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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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未知なる深海へ 高井 研 =113=

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〇◎ “私が知りたいのは、地球の生命の限界です” ◎〇

= 海洋研究開発機構(JAMSTEC)及びナショナルジオグラフィック記載文より転載・補講 =

☠  青春を深海に掛けて=高井研=  ☠

ᴂ 第7話(最終話) 新たな「愛と青春の旅立ち」へ ᴂ

◇◆ ボクの熱意とジタバタだけではどうしようもない問題 =2/3= ◆◇

カンラン岩は本来、海底から地殻の厚い壁を隔てたさらに深くにある、上部マントルの支配者である。そのカンラン岩が海底近くに露出するなんて、よっぽどの条件が揃った極めて限られた場所でしかあり得ないと考えられていた。

いわば「カンラン岩の蛇紋岩化反応はロイヤルファミリー御用達の超限定品で、今なら先着XX名様だけに超特別価格でご提供!」みたいなノリだったのだ。(2012年の米国地球物理連合大会でジェームズ・キャメロンのマリアナ海溝有人潜水艇調査でマリアナ海溝の底にも蛇紋岩を発見!!みたいな大々的な発表があったり、今では蛇紋岩化反応=歳末バーゲンセールみたいな大盤振る舞い状態ではあるが)。

蛇紋岩化?それで?

ボクは、「中央インド洋海嶺かいれいフィールドの熱水に含まれる超高濃度水素を説明するためには、かいれいフィールドの周辺に蛇紋岩化反応、その材料たるカンラン岩が存在しているはずだ」と考えるようになった。慣れない地質学や地球化学系の論文を読みあさった結果、かいれいフィールドの熱水の水素濃度を説明するためには、熱水の蛇紋岩化反応しかあり得ないという結論に達したからだ。

しかし、このアイデアを日本最初の熱水博士の黒メガネ石橋純一郎氏や日本の熱水化学の専門家達に投げかけても、イマイチな反応だった。「ふーん」とか「それで?」とか暖簾に腕押し状態だったんだ。それは仕方のないことだったかもしれない。当時(今でもそんなに状況は変わっていないけれど)、海底蛇紋岩化流体の専門家は日本にほとんど皆無だった。

さらに、そのアイデアを検証するためには、熱水化学だけでなく岩石学や地質学の専門家の協力が不可欠だったし、海底でのカンラン岩や蛇紋岩探査も行わねばならなかった。つまり、ボクの直感と熱意とジタバタだけではどうしようもなかったんだ。

状況は決して良くはなかったが、ボクはぜんぜん落ち込んではいなかった。

まだほとんど賛同者はいなかったけれど、地球微生物学という分野を目指すようになって初めて、本当に地球と微生物生態系の関わりについての明確な自分独自のビジョンが頭の中に生まれ出て、そのまだ荒削りなアイデアが、自分が研究者を志した時の最初の動機であった「生命の起源」の謎に迫るかもしれない重要なナニカを内包している直感を信じていたからだった。

転機が訪れたのは、おそらく2004年の初頭だったと思う。たまたま東京大学海洋研究所(現在、東京大学大気海洋研究所)の沖野郷子(おきのきょうこ)准教授がJAMSTECにやってきていて、その年の秋に行われる南太平洋ラウ海盆の熱水調査について打ち合わせをしていた時だった。

打ち合わせもそこそこに、ボクはいつものように「インド洋かいれいフィールドにはカンラン岩が必要なのだ、そーなのだ」説を打っていた。一通りボクの思いをぶちまけた後、どうせまた「ふーん、それで?」みたいな反応が返ってくるのかなと思っていたんだ。

ところが沖野さんは、真剣な表情で「それは、アリかもしれない」と言い出したんだ。

沖野さんは地球物理学的手法を用いた海洋拡大系のテクトニクスを専門とする研究者で、簡単に言えば海底地形や重力、磁気、海底下構造等からなぜそのような地形が形成されたかという大局的なプロセスを明らかにしてゆくことを得意としている。そして彼女はその頃、世界中の海洋底の超低速拡大に興味を持って、カンラン岩を含む超マフィック岩の海底露出構造の出現パターンやそのメカニズムを研究しているところだった。

その超マフィック岩体探しのプロの沖野さんが、インド洋かいれいフィールドの付近に、超マフィック岩がある可能性が高いと言うのだった。

= しんかい6500パイロットチーム <ベテランが語るパイロットの醍醐味>2/6 =

1万mが得意だと、2000mが苦手に

「しんかい6500で海面近くの潜航をするときには、積む荷物を、250kg減らさなくてはなりません。なので、採取するサンプルの量を少なくしたり、研究者が持ち込む計測機器などの重量に制限をかけたりする必要が出てきます」

 ということは、仮に、今のしんかい6500と同じ技術で、1万メートルに最適なものを造ると、それは、2000メートルとか、4000メートルとか、そういうところが苦手になる。

「それでいいのか、という思いはあります。でも、やっぱり6500メートルより深いところに行ってみたいですよ。日本海溝の最深部は約8000メートル、日本の排他的経済水域内の最深部は9000メートルを超えますからね」

 そのしんかい6500を造る前に、技術評価の目的で、しんかい2000が造られている。1981年のことだ。

 小倉さんは、そのしんかい2000でも30回の潜航経験がある。
 もともとこの仕事に就いたのは、しんかい2000の整備士としてだ。

 小倉さんのお父さんは船乗りだった。

「育った家の周りもみんな船乗りで、当然、子どもの頃の自分も、将来は船に乗るんだと思っていました。中学を卒業したら、すぐに船に乗りたかった。でも、親に反対されまして(笑)」

 進学したのは、神奈川県立三崎水産高校。今の神奈川県立海洋科学高校である。
 二期上の先輩に、しんかい6500のもう一人の司令・櫻井利明さんがいる。

「エンジンの勉強をして、卒業後、専攻科(大学における大学院のような存在)に2年間行きました。その頃いろいろあって、船は厳しいかなと思っていたときに、しんかい2000の整備士の募集がありまして、それで就職したんです。昭和58年です」

 つまり1983年。しんかい2000完成の、2年後だ。

 あの、その頃いろいろあって、とは、どんないろいろですか? 「それはね、要はね、彼女に振られましてね」

 おお、なんということでしょう。

・・・・・・・・つづく・・・・・・・

動画 : 「地球生命誕生物語」 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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