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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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未知の世界へ 関野吉晴 =024=

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〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇

= ほぼ日刊イトイ新聞_2013-03-22-FRI “【グレートジャニー人類の旅】展開催時の対談”より転載・補講 =

☠ “人類の旅”に魅せられた関野の探求心はどこから来たのか  ☠

◇◆ 太古の人々の感覚に近づくために =2/3= ◆◇

関野吉晴; 確実に、ちがうものになっていたでしょう。 ただ、かたちはどうあれ、ぼくは、この旅に出ていたと思います。

糸井重里; そうですか。

関野吉晴; 少しずつお金を貯めながら、何年かかってでも、たったひとりでも、旅していたと思いますね。

糸井重里; 何年かかってもというのは‥‥。

関野吉晴; 40歳ちょっとではじめましたからたとえば、そこから30年‥‥と考えると、70歳でゴールできるなあ、とか。

糸井重里; いやあ、そうは言っても「70歳の旅する身体」というのは相当「ダメ」になっているだろうとは
思わなかったんですか?

関野吉晴; 伊能忠敬が日本の測量をはじめたのが56、7歳なんです。 で、終わったのが「72歳」です。

糸井重里; ‥‥ええ。

関野吉晴; それも「江戸時代の72歳」です。 江戸時代人の体力年齢は現代人の「7掛け」と言われているから、ぼくの70歳は、伊能忠敬の49歳。 つまり、40歳で「グレートジャーニー」をはじめて30年でやり終えれば、伊能忠敬が測量をはじめるより前に終われる計算になるので。

糸井重里; ははー‥‥(笑)。

関野吉晴;  まぁ、そういう考えもできますけどね‥‥というような話ですが(笑)。

糸井重里; でも、関野さんが「グレートジャーニー」をやり遂げることができた背景にはやはり身体的に「向いていた」んでしょうね。 たとえば、真冬に薄着で外にいても、ぜんぜん寒くない‥‥とか?

関野吉晴; いや、ぼくはすぐに「寒い寒い寒い」とか言うほうです。 娘から「軟弱探検家」とか言われるくらいで、気合いが入ってないと、ぜんぜんダメです。

糸井重里; あ、そうなんですか。

関野吉晴; ただ、いったん気合いが入るとマイナス40度でもまったく平気になります。 何と言うか「怖いものなし」みたいな状態になって、ふだん持てないものも持てるようになったり。

糸井重里; いわゆる「火事場の馬鹿力」みたいなものが。

関野吉晴; あるんです。 とくに自分が「やりたい」と思ったことなら気合いとエネルギーを入れられるんですよ。 それと「本番に強い」というのか‥‥。

糸井重里; そうか、「グレートジャーニー」の旅はまさに「本番だけ」ですもんね。

関野吉晴; そうですね。 死んでしまうような危険もありましたし、がんばらなければ前へ進めない場所もありましたから。

糸井重里; つまり、旅では「火事場の馬鹿力」を出さざるを得なかった。

関野吉晴; まぁ、ふだんは、ぜんぜんダメで12月に入っただけで「寒い寒い寒い‥‥」と言ってるくらいなんですけど(笑)。

=〝グレートジャニー“地球を歩いて気付いたこと / 講演会(2015-05-19-TUE)より=

弱いから、遠くまでたどり着けた(3/5)

さて、ぼくの話に戻ります。 6万年前にアフリカにいた人類は、何万年もかけて、世界各地に散らばりました。アフリカを出て世界中に拡散した人々の旅路を、イギリス人の考古学者が「グレートジャーニー」と名づけているんですけど、ぼくはこの「グレートジャーニー」を10年かけて、逆にたどってみたんです。 人類が世界各地に拡散した道のりの中で、いちばん距離の長いアフリカから南米の先端までのルートです。

スタート地点は南米の最南端。 ゴールはアフリカ・タンザニアのラエトリ遺跡です。 この遺跡には360万年前の人類の家族の足跡の化石があるので、そこにしました。 南米の最南端からラエトリ遺跡までは約5万3千キロ。 昔の人々がどんなふうに広がっていったのかを自分の肌で感じてみたかったから、ぼくはすべて、自転車や手漕ぎボートなどの自分の力だけを使って、そのルートをたどりました。 飛行機や自動車などは一切使いませんでした。 ただし、乳牛、トナカイ、馬、ラクダといった動物の力は、「自分で触れるならいい」というルールにしました。

そのグレートジャーニーの旅で気づいたことはいろいろありますがひとつに「人々が拡散した理由」があります。 ぼくはもともと、アフリカにいた人々が、はるか遠く、南米の最南端まで拡散していったのは、人々の「好奇心」や「向上心」が理由かと思っていました。 「あの山の向こうには何があるんだろう」 「あっちならもっといい暮らしが できるんじゃないか?」そういった思いを理由にして人々は南米の最南端まで到着したんじゃないかと予想していたんです。

でも「好奇心」や「向上心」が理由だったら、南米の最南端にいるのはいちばん「好奇心」や向上心」の強い、新進の気鋭にとんだ人々のはず、ですよね。 だけど南米の最南端に行ってみたらぼくが訪れた当時、もうそこには2人しか暮らしていませんでした。 絶滅寸前だったんです。


現在はもう1人しか住んでいません。 そして彼らは、海に潜って貝を採ったりして生きていました。
これは要するに、「ほかを追い出された弱い人たちが結果的に、先端に到達した」ということだと思うんです。

・・・・・つづく・・・・・

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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