〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇
= ほぼ日刊イトイ新聞_2013-03-22-FRI “【グレートジャニー人類の旅】展開催時の対談”より転載・補講 =
☠ “人類の旅”に魅せられた関野の探求心はどこから来たのか ☠◇◆ 太古の人々の感覚に近づくために =1/3= ◆◇
糸井重里; 糸井重里です、よろしくお願いします。
関野吉晴; 関野吉晴です。今日はよろしくお願いします。
神田xx ; 私、フジテレビの神田と申します。 今回の、特別展「グレートジャーニー 人類の旅」の
プロデューサーをしております。
糸井重里; テレビ番組の「グレートジャーニー」を編集したものがちらのDVDですよね。ぜんぶで‥‥
神田xx; 「8年3ヶ月」の旅の記録が「約2時間の番組8本」になっておりまして、「約16時間」ですね。
糸井重里; 16時間。
神田xx ; ぜんぶ見ようと思うと、けっこう大変です(笑)。
糸井重里; ただ、その「16時間」も、関野さんの旅のほんの一部なんですよね。
神田xx ; そうですね。なにしろ「8年3ヶ月の旅」ですから。
関野吉晴; たぶんもう、つくれない番組だと思います。
糸井重里; ‥‥時代的には「バブル」のころ?
関野吉晴; いえ、お金と時間のかけかたは、たしかに「バブル」的なんですけれど、実際は、バブル後の企画です。旅のスタートが1993年で、テレビ放映が1995年から、なので。
糸井重里; そうでしたか。
関野吉晴; バブルのころにスタートしていたら、途中で、できなくなっていたと思います。 ぼくが旅をやめる‥‥ということはなかったと思いますが、番組を続けることは、できなかったかもしれない。
糸井重里; ある種の「冷静さ」が必要だったと?
関野吉晴; ぼく、借金してはじめたんです。
糸井重里; この旅を。
関野吉晴; はい。でも、ぼくには、「絶対、いっしょにやりたいと 言ってくれる人たちがいるはずだ」
という確信がありました。だから、何にも決まってないのに借金して撮影隊と旅に出てしまった。
糸井重里; はー‥‥。
関野吉晴; で、自分たちでパイロット版をつくってから、テレビ局に売り込みに行ったんです。
糸井重里; 結果は、どうでしたか?
関野吉晴; 賛同してくれた局は、いくつか、ありました。 でも、フジテレビだけが「何年かかっても、ゴールまでやりましょう」と言ってくれたんです。
糸井重里; なるほど。
関野吉晴; 当時、ちょうど社内でも真面目な番組をもっと増やしたい、というタイミングだったんです。
糸井重里; では、もしフジテレビじゃなかったら、こういうかたちにはなってなかったかもしれない‥‥んですね。
=〝グレートジャニー“地球を歩いて気付いたこと / 講演会(2015-05-19-TUE)より=
弱いから、遠くまでたどり着けた(2/5)
研究者はだいたい1世代を30年と見ています。その計算だと、「10世代前」は300年前です。江戸時代の真ん中から少し前くらいです。ただ、その「10世代前」の先祖ですらわかる人がいませんから、「100世代前」までたどれる人は、まずいないですね。
でも「100世代前」の先祖がいないと、わたしたちはいないんです。そして「100世代前」って、想像できない数ではないんです。たとえば1センチに1世代ずつ名前を書いたら、1メートルあれば書ききれる長さです。
この「100世代前」の祖先が暮らしていたのはさきほどの計算だと3千年前。縄文時代です。もっとも縄文時代は文字がないですから、名前を書こうと思っても、残せた人はいないはずですけど。じゃあ、もっともっと遡ってみて、「2000世代前」になるとどうでしょう?途方もない昔かもしれませんが、これも、1センチに1世代ずつ書いてみると、20メートルで書けちゃうんです。この、20メートルで書けてしまうわたしたちの「2000世代前」の祖先がどれほど前の人たちかというと、ざっと6万年前なんですね。
名前を1センチにひとつずつ書いて20メートル先にあるわたしたちの祖先は、みんなアフリカにいたんです。ヨーロッパ人、アメリカ人、アジア人、日本人、インドネシア人‥‥みんな祖先はそこにいました。
今、人種差別の問題はまだ完全には消えていませんけど、でも、たった2000世代たどれば、みんな同じアフリカにいたんです。祖先はみんなアフリカにいたけれど、今の見た目がそれぞれに違うのはなぜか。それは、みんな環境に適応したからです。
たとえばスウェーデンとかデンマークの人は肌が白いですけど、実は彼らの祖先も2000世代前は浅黒い肌を持っていました。アフリカでは紫外線が強いのでそこから体を守らなければいけませんからみんな浅黒い肌をしていたんですね。
でも、北に住むようになると、太陽の光が弱いんです。紫外線は人間にとって有害でもあるけれど、人間は、太陽の光をもとに自分の肌で生きるために必要なビタミンDを作るんですね。だけど北に行って、肌が黒いままだったら、ビタミンDを作るのに十分な光を肌に取り込むことができず、骨の異常が起こって、早死にしてしまうんです。だからそのとき、北の地域では突然変異して、肌が白くなった人たちが生き延びたんです。そんなふうにして、何千年、何万年という時間をかけて適応して、人々は見た目の違いができてきたんですね。
・・・・・つづく・・・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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