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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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未知の世界へ 関野吉晴 =009=

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〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇

= Webナショジオ_“北極探検 二つの物語”に転載・補講 =

☠ 関野吉晴の探求心はどこから来たのか ☠

◇◆ フィリピンから台湾へ、風待ちの停滞と国境の壁 =前節= ◆◇

  漁師、船員、海軍の将校も8月は避けた方がいいと言う。様々なデータを集め、マンダール人クルーたちの意見も聞いて、2009年の航海はパラワン諸島の北端コロンまでとした。

 2年目(2010年)の航海は最初に難関が待っていた。フィリピンのパラワン諸島とミンドロ島の間にあるミンドロ海峡80キロを渡らなければならない。最短コースでもベーリング海峡と同じ距離だ。今まではセレベス海、スールー海という、島々に囲まれた比較的静かな海を走って来たが、これからは、南シナ海に放り出される。うねりも波も大きくなるはずだ。

 私たちは5月中旬に出航するため、パラワン諸島北端のコロンにいた。出航をこの時期にしたのは、フィリピン、台湾、沖縄の風の動きのデータを読んでのことだ。
 ここ30年間のデータを見てみると、この地域は共通した風の動きをしていた。10月から4月までは北風が吹いているが、5月に風がやみ、やがて南風が吹き始める。その転換点が5月の上旬なのか、中旬、下旬なのかは年によって違うが、下旬には南風が吹き始めると読んでいた。

 しかし、甘かった。台湾や、フィリピンでも別の地方では南風が吹いているのに、コロンでは東風が多く、南風は気まぐれに吹く程度だ。今までの航海で私たちを散々悩ませた北風になることもある。ミンドロ島まで真東に走らなければならないが、東風だと真正面から風を受けることになる。私たちのカヌーは基本的に風に逆らって走れないので、なかなか出航できずにいた。

帆走4割、漕ぎ4割、風待ち2割

 5月21日の午後から弱い南風が吹くようになり、23日早朝に出航することに決めた。ミンドロ海峡は南からの微風で、穏やかだった。最後は風が止み、漕がなければならなかったが、無事渡れた。

 しかしそれから南風はめったに吹かなかった。ミンドロ島とルソン島の岸に沿って北上していくのだが、北寄りの、前方から吹く風が多く、四苦八苦しながら進んだ。1日60キロ以上進んだこともあったが、大抵は20キロほどで、6キロしか進まなかった日もあった。マニラ湾を通過したのが6月10日。予定よりかなり遅れた。1日およそ12~13時間航海していた。私が乗っていた縄文号に限って言えば、時間で言うと、帆走4割、漕ぎ4割、風待ち2割という割合だろうか。

 この年のフィリピンの天気は、いつもと違っていた。

 1 モンスーン期になってもほとんど雨に出会わなかった。
 2 南シナ海は一度も荒れることがなかった。
 3 私たちが待ち望んでいた南風がなかなか吹いてくれなかった。

 上の二つは私たちの航海には好条件だったのだが、三つめが、遅れる最大の原因となった。

バシー海峡、挑むか、挑まざるか

 今回は全行程の中でも最大の難関バシー海峡およそ400キロを渡らなければならない。台風銀座と言われるように台風が頻繁に通る海峡だ。多くの海の専門家、研究者から6月中にバシー海峡を渡るようにアドバイスされていた。5、6月はまだ比較的台風は少ないが、7月になると、頻発するうえに大型化する。台風がなくても南シナ海と太平洋がぶつかる所で、なおかつ黒潮が川の奔流の様に流れている。風は強く、うねりや波も高いという。

 ところがこのままのスピードでは6月中にルソン島の北端に着くかどうかも分からない状態だった。

 6月11日の夜、安全対策コーディネーターの白根全(しらね ぜん)から電話があった。「沿岸警備隊のガルシア司令官だけでなく、海軍の将校、フィリピン人の海の識者も7月に入ってから私たちのカヌーで、バシー海峡を渡るのは無謀だとの意見が大勢だ」と言う。

=補講・資料=

バシー海峡

バシー海峡(バシーかいきょう)は、中華民国台湾島南東の蘭嶼(蘭島)に隣接する小蘭嶼(小蘭島)とフィリピンバタン諸島(バシー諸島)最北のマヴディス島との間にある海峡を指す。海峡の幅は約100km。海峡のすぐ東側を黒潮が北流し、その流速は2から3ノットほどである。海峡中間付近の水深は1,500m以上は優にある。

バタン諸島とバブヤン諸島の間にあるバリンタン海峡はバシー海峡とは別の海峡である。バシー海峡、バリンタン海峡およびバブヤン海峡の三海峡を併せてルソン海峡と呼ぶ。

太平洋(フィリピン海)と南シナ海を結ぶ交通の要所で国際通信海底ケーブルが存在し、軍事的にも重要である。太平洋戦争後半にはアメリカ海軍の潜水艦が多数配置され、多くの日本輸送船を沈めたことから輸送船の墓場と呼ばれた。

・・・・・後節につづく・・・・・

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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