〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇
= Webナショジオ_“北極探検 二つの物語”に転載・補講 =
☠ 関野吉晴の探求心はどこから来たのか ☠◇◆ 初めてのアマゾン、先住民の楽しみ =前節= ◆◇
大学1年生の時に、一橋大学に探検部を創設した。ほぼ全国の大学に探検部があって活発に活動していたが、私の大学にはなかった。
そのころは日本国内にはもう探検のフィールドはないと思っていたので、国内の活動はトレーニングと位置付けていた。とはいえ先輩がいないので技術も知識も情報もない。社会人山岳会に入り登山技術を身に付けた。他の大学探検部に顔を出して、様々な話をうかがった。特に早稲田大学の探検部には準部員として合宿に参加させてもらった。
そのころ、早稲田の探検部ではアフリカのナイル川で、全流踏査隊が活動を展開していた。私も国内の様々な川をゴムボートやカヌーで下っていた。早稲田が世界最長のナイル川なら、私は世界で最も大きく、未知な部分が残っているアマゾン川に行くことにした。
南米にもアマゾンにも日本からの移民はたくさんいたが、アマゾンに長期間滞在して探検、調査、取材している人は少なかった。もし日本にそんな人がいれば、北海道でも、大阪でも、九州でも飛んで行って話を聞いた。また私が住んでいた大学の寮の近くに飯山達雄さんという何回もアマゾンに通っている写真家がいたのでいつもお邪魔して話を伺った。
何故アマゾンかというと、ニューギニアとともに地球上でもっとも未知なところという魅力があったからだ。しかし、実はアマゾンでなくても、インドでも、アフリカ、アラスカ、東南アジアでも欧米以外ならどこでもよかった。最初海外に出た一番の動機は自分自身の探求だった。
違った自分が発見できるのでは?
私は東京生まれで、東京で育った。高校時代、朝家を出て高校に行き、授業を受け、クラブ活動をして帰ってくる毎日の中で、「生涯をかけてやってみたいこと」がなかった。進学校の中で劣等生でもあった。父親が高校の担任に呼び出されてもう少し勉強させるように注意を受けた。それでも父親は私に勉強しろとは言わなかった。私は柔道部とラグビー部を掛け持ちで、3年生になってもクラブ活動に夢中だった。
友人の何人かと大学に入ったら海外雄飛しようぜと言いあっていた。特に私は真剣だった。海外の、自分が住んでいる東京とは全く違う、ワイルドな自然の中に自分をほうり込んでみたかった。東京とは全く違う文化の中に自分をほうり込んでみたかった。そうすれば違った自分が発見できるのではないかと思ったからだ。自分自身の未知な部分への探求だった。
1年のうち3分の1は山に登るか、川を下っていた。3分の1はアマゾンに行くための資金をためるためにアルバイトをしていた。大学で講義を聞いている時間はなかったが、全国に全共闘運動が広がっていて、一橋大学でも大学が閉鎖されていて、一時講義がなかった。
1971年2月、晴れてペルーの水源地帯からアマゾン川全流を下った。最初はペルーのアルト・マドレ・デ・ディオスという川を仲間と三人で下った。およそ400キロを下った段階で、「これなら一人でも下れそうだね」と思った。一人でもできることをグループを組んでやることはないと三人とも思っていた。
そこで三人別々の川を下ってブラジルの河口の町ベレンで落ち合う約束をした。しかし、川の長さも、流れの速さも違う川を下るので落ち合えるはずなかった。再会はやはり日本でだった。私は河口から最も遠い水源であるアプリマック川から、一人で下り始めた。
私は河口から最も遠い水源であるアプリマック川から、河口まで2カ月かかった。その後、再びペルーのアマゾン源流に戻った。そこでアシャニンカという先住民の村で居候させてもらった。当時はフィールドワークという気はさらさらなく、単なる友人として付き合いたいという気分だった。フィールドプレイと称して、仲良くなった友人たちと狩りに行き、魚を取り、木の実や貝、小エビを採って過ごしていた。話を聞いてもメモを取ることもなく、写真もほとんど撮らなかった。夜寝る時間も含めると1日15時間はハンモックに揺られていただろうか。
3カ月の滞在期間中、持参した食料は米3キロとわずかばかりの塩だけだった。村には店などない。親しくなった先住民から一軒の小屋を与えられ、食料も分けてもらったが、ほとんどは、どこかの家で「およばれ」にあずかっていた。パパイアやフルーティなバナナは私の好物と知って、優先的に私のところに集めてくれた。
ユカイモとか調理用のバナナばかりを食べていると、無性にご飯を食べたくなる。しかし、わずかしか持ってきていない。いつも世話になっている家の人にもふるまわなければならない。米がとても貴重なものになった。それまではパンでもうどんでもご飯でも何でも一緒だと思っていたが、そのときは米粒が真珠やダイヤモンドの粒のように、あるいはそれ以上の価値があるものに見えた。
=補講・資料=
アマゾン川
アマゾン川は世界最大の河川の一つである。特に流域面積では2位以下のコンゴ川、ナイル川、ミシシッピ川のそれぞれ2倍程度、オーストラリア大陸の面積に匹敵する705万km2にわたる。1973年から1990年の平均流量は毎秒 209,000 t と推定される[1]。全世界の川の流量の 25% を占めている。水深も深く、河口から 4,000 km 上流まで遠洋航海用の船が航行できる。平均水深は雨季で 40 m である。
名称としてのアマゾン川は、ペルーではアンデス山脈のミスミ山を源流とするウカヤリ川と、ラウリクチャ湖から流れ出たラウリクチャ川/マラニョン川がイキトス付近で合流する所からの川を指す。ただしブラジルに入るとこの川はソリモンエス川と呼び名が変わる。ブラジル国内や約2000km下ったネグロ川との合流地点から、ふたたびアマゾン川と呼ばれるようになる[2]。このアマゾン川には、支流では最大の流量・流域面積を持つマデイラ川と、次いでタパジョース川やシングー川などの大きな河川が南側から合流しながら河口まで続く。
アマゾン川の標高は河口から 1,600 km 遡っても 32m、3,800 km 遡っても80 m しかない。アマゾニアと呼ばれる広い大湿原の低地が広がっている。新生代以降にアンデス山脈が隆起するまでは太平洋側に流れていた。
アマゾン川の流域面積は世界最大であり、ジャングルや大湿原などのいわゆる自然のダムや地下に含まれている水の量は世界の全河川の 2/3 に当たる膨大な量である。
・・・・・後節につづく・・・・・
動画資料 : Wild Amazon Discovery Amazon River Documentary = クリック➡ https://youtu.be/dH7KYIRnrho=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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