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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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“難民の父”/ フラム号で北極点へ=01=

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○◎19世紀末 探検家ナンセンは大胆な企てに乗り出した =フラム号の軌跡= ◎○

= Webナショジオ_“北極探検 二つの物語”に転載・補講 & 世界のスーパーアルピニスト =

☠ 流氷の流れを利用して北極点への到達する冒険を開始_氷の世界の1,000日_☠ 

◇◆ プロローグ ◆◇

_プロローグ_フリチョフ・ナンセン(Fridtjof Wedel-Jarlsberg Nansen、1861年10月10日- 1930年5月13日)は、スウェーデン統治下のノールウェーの科学者、探検家、そしてノーベル平和賞を受賞した国際的な政治家である。 1893年から1896まで探検家として有名なナンセンのフラム号遠征を行った。 北極探検である。 北極海の東から西に向かう自然の潮流を利用して、地理上の北極点に到達しようとした試みである。

 ナンセンはクリスチャニア(現在のオスロ)で弁護士の子として生まれた。 クリスチャニア大学に進学し、動物学を専攻。 1882年にはグリーランド水域への最初の航海を行ない、1888年から翌年にかけてグリーンランド氷原のスキーによる横断に成功した。 1891年にイギリスのの王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を受賞した。 

因みに、王立地理学会の金メダルは、「地理的科学及び発見の奨励、推進のための奨励金」として、当時の国王ウィリアム4世が1831年から毎年50ギニーを下賜したことにある。 最初期には受賞者には賞金として下賜金が与えられたが、1836年から1838年には、ロイヤル・メダルとして金メダルが与えられるようになり、1839年以降は、等しく価値をもつとされるふたつのメダル、創立者メダルとパトロンズ・メダルが与えられることとなった。 創立者メダルの表面にはウィリアム4世、パトロンズ・メダルの表面には、1837年に即位したヴィクトリア女王の肖像が刻まれている。

この賞は、著名な地理学者たちに与えられてきており、受賞者の中には、デイヴィッド・リヴィングストン(1855年受賞)、ナイン・シング・ラワットNain Singh Rawat:1877年)、フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン男爵(1878年)、アルフレッド・ラッセル・ウォレス(1892年)、ウィリアム・ウッドヴィル・ロックヒル(1893年)や、20世紀以降では、ウィリアム・モーリス・ディヴィス教授(1919年)、サーハルフォード・ジョン・マッキンダー(1945年)、リチャード・チョーリー教授(1987年)、デヴィッド・ハーヴェイ教授(1995年)らが含まれている。

 さて、本稿の主人公が冒険的探検を成立せしめた主体・フラム号について記しておこう。フラム号(Fram)とはノールウェー(スウェーデン=ノルウェー)の探検船。 重量402トン、高さ39mの木造スクーナーで耐氷のため丸底になっているのが大きな特徴。 フリチョフ・ナンセンの指揮の下に本船を使用し北極海の海氷に閉じ込められたまま漂流するという野心的な観測探検のために建造された。その観測成果からV・ヴァルフリート・エクマンが風走流理論を確立したので有名である。

 ナンセンは北極海における海流の研究の際、シベリア産の流木グリーンランド東岸に漂着したり、シベリア北岸で氷圧のため破壊されたアメリカ探査船ジャネット号の遺物が3年後グリーンランド南東岸に漂着したことなどの事実から、北極海の海流がシベリア北岸からグリーンランドに流れているものと推論した。 そしてこれを実証するため氷圧によって破壊されない底が丸い特殊な形の船体をもつ船で氷に閉じ込められ、そのまま漂流すれば上記の説を実証できるとし、フラム号を建造。 船底にコルクやフェルトなどを入れて保温効果を高める特殊な北極探検用の船である。

そして13名の隊員とともに1893年6月にノルウェーを出発した。 同年の9月25日シベリア北岸沖で氷に閉じ込められ、そのまま漂流を続け北極海を横断3年後の1896年8月12日、グリーンランド海にてダイナマイトで氷を破り脱出、帰国する。 この間、ナンセンは氷上に降りて北極点到達を試みたが果たせなかった。 

その後、1898年から1902年に行われたオットー・スウェルドルップ指揮のカナダ北部北極海の探検、および1910年から1912年に行われたロアール・アムンセン指揮の南極探検に使われた。 南極にフラム号がむかった経緯は、ナンセンからフラム号を譲り受けたアムンゼンは、着々と北極点への探検準備を進めた。 しかし、北極点探検の準備中、1909年4月6日にロバート・ピアリーが北極点に到達したことを知り、目標をひそかに南極点に変更した。 しかし、出資者や隊員にはこれを告げず、秘密裏のままに準備を進め、1910年8月に「北極探検のため」ノルウェーを出航した。 当時、英国の威信をかけてロバート・スコットが南極点到達の遠征隊を率いてロス海に向かっていた。

 1911年10月20日にアムンセンは4人の選抜隊とともにフラムハイムを出発し、4台の犬ぞりを1台あたり13頭、計52頭に引かせて南極横断を開始する。 途中好天にも恵まれてアムンセン隊は順調に距離を伸ばし、1911年12月14日、人類初の南極点到達を果たした。 帰路も順調で、1912年1月25日1月25日に一人の犠牲者も出すことなくフラムハイムへと帰還した。 その間の1月17日に英国・スコット隊は南極点に到達、アムンゼン隊の国旗を発見する。 そして、帰路にて全員が遭難(ロバート・スコット#パーティーの遭難)するのである。

【拙文≪南極点到達への死の彷徨 = ロバート・ファルコン・スコット = https://thubokou.wordpress.com/2013/08/09/ 参照】


動画資料 : ドキュメンタリー 北極点 栄光の裏側 ピアリー到達の真相 : クリック➡

https://youtu.be/Adtuu9PrWzk

 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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