○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○
探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己=
= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =
☠ 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠
◇◆ 冒険家の食欲 =6/6= ◇◆
記したように キビヤックについて長々と引用したのは、キビヤックにまつわる次のような植村のエピソードを紹介したかったからである。
78年の「北極点犬橇単独行」の冒険のときである。彼はまずグリーンランドに行ってエスキモー犬を集めたのだが、そのときシオラパルクの養父イヌートソアが、キビヤックを20羽ほど植村にわけてくれた。 植村は大切に持ち帰り、カナダのアラート基地のサポート隊にそれを托した。 ところが何日か後に、キビヤックが紛失した。 どうやら同じ時期に北極点を目ざしていた日大隊に参加していたエスキモーのしわざだった。 彼らが基地に遊びにきて、この大御馳走を見つけて食べてしまったらしい。
キビヤック紛失を、基地から無線で聞いた植村は、傍目には異様なほど紛失事件にこだわった。 北極点を目ざす植村は、出発直後から乱氷帯に突入し、1日2、3キロしか進めない。 まさに悪戦苦闘していた。 キビヤックどころではないはずなのに、基地と交信のたびに、キビヤックがどうなったか、盗んだ犯人は誰だったのか、しつこくたずねてきた。
サポート隊員たちは植村の固執ぶりに驚きつつ対応したが、結局犯人の名前まではわからずしまい。 このキビヤックをめぐる無線でのやりとりは1週間もつづいた。
不思議な話である。植村はふだんとても気前がよかった。 物に、とくに食べ物に執着するような男ではなかった。 その植村が見せたキビヤックへのこの執着は、サポート隊員を面くらわせた。 初めは冗談かと思って笑いながら無線で答えていたが、だんだん植村が真剣なのを知って、ただ茫然とするばかりだった、という。
私はこの話をサポート隊員の一人から聞いて、考えこんでしまった。 何だったのだろう。 植村のなかで何が起こったのだろう。
不思議な話である。植村はふだんとても気前がよかった。 物に、とくに食べ物に執着するような男ではなかった。 その植村が見せたキビヤックへのこの執着は、サポート隊員を面くらわせた。 私はこの話をサポート隊員の一人から聞いて、考えこんでしまった。 何だったのだろう。 植村のなかで何が起こったのだろう。
今でも明確な答えはない。 ただ、植村は北極点に単独で到達したあと、自分への祝いにキビヤックを食べようと思っていたのは確かなことだと思われる。 必ず到達し、成功させる。 そしてキビヤックを食べる。 その執念のような思いのなかで、彼の集中力が高められ、噴出する。そういう植村の心と体の秘密を、このエピソードは伝えているのではないか。
私にはそんなふうに思えてならない。 冒頭にふれた、植村がキビヤックに噛りついている写真は、北極点到達後、基地に戻ってきたときのものである。 サポート隊員の一人が用事でグリーンランドに行ったとき、エスキモーからわけてもらって、帰還後の植村のために用意したものだった。 私はこの写真にどういうわけか強く惹かれて、何度も何度も眺めて飽きないのである。
=補講・資料=
不可能への挑戦 登山家メスナー(追考 3/3)
夜明けを迎えるころ、ギュンターの状態は一刻を争うまでになっていた。そのとき、ようやく救いの手がさしのべられたかにみえた。第4キャンプから登ってくる、ペーター・ショルツとフェリックス・クーエンの姿が見えたのだ。二人は兄弟が切り開いたルートを苦労しながら進んでいた。だが兄弟と彼らのあいだにはサッカー場ほどの距離があって、大声で叫び交わしても思うように意思の疎通は図れなかった。
それから起きたことは、ナンガ・パルバットの悲劇のなかでも、いちばん謎の多い部分だ。理由はどうあれ、メスナー兄弟が危機的状況にあることは、ショルツたちにはうまく伝わらなかった。そして兄弟のほうも、出発前夜に打ちあげられたロケットが誤りであったことなど知る由もなかった。実際にはまたとない好天で、ショルツとクーエンは兄弟を助けに来たのではなく、頂上をめざしていたのだ。
仲間の助けを得られないと知ったラインホルトは決断を下す。ギュンターとともに、山の反対側に位置するディアミール壁から下山することにしたのだ。「頂上近くの高いところからだと、ディアミール壁はなだらかな雪の斜面に見える」と、米国人のスティーブ・ハウスは説明する。ハウスは2005年、パートナーのヴィンス・アンダーソンとともに、ルパール壁をアルパインスタイルで登頂している。「最初のうちはほとんど平坦で、とても歩きやすい。いっぽうルパール壁は巨大で危険だ。メスナーがあのルートに決めたのは合理的な選択だったと私は思う」
ラインホルトは本能に突き動かされて進んでいった。6500メートル地点で日が暮れ、兄弟は短時間の野営(ビバーク)をした。翌日は強烈な日差しの中を下りつづけた。6000メートルあたりで、ギュンターの体調がいくぶん良くなった。ここまで来れば、一気に下山できそうだ。
「何となくだがルートが見えてきたのは、2度目のビバークのあとだ。ふもとの少し離れたところから見あげれば、山の全体像はつかめるが、上からでは、そうはいかない。上からのぞくと、大きく落ちこむ奈落しか見えないんだ。右へ行くべきか、左へ行くべきか判断できない。だから、私がひとまず先に下るしか方法はなかった」とラインホルトは振り返る。
先に下りはじめたラインホルトとギュンターとのあいだには1時間ほどの開きが出ていた。もう弟の姿は見えないし、声も聞こえない。スピードが代名詞のラインホルトだが、自分の超人的な速さを理解していなかったのかもしれない。彼は本能の命じるまま、転がるようにナンガ・パルバットを下っていった。途中の小川で4日ぶりに水を飲んでひと息つき、ギュンターが追いつくのを待った。しかし、いくらたってもギュンターは現れなかった。
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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