○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○
探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己=
= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =
☠ 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠
◇◆ マッキンリーの氷雪に消える =プロローグ 1/2= ◇◆
世界初の五大陸(マッキンリー・アコンカグア・エベレスト・キリマンジャロ・モンブラン)登頂者で、日本が世界に誇る著名な登山家・冒険家の植村直己さん。 少なくとも今から30年以上も前の装備と現在の装備では大きく性能の差があり、そんな中で数々の偉業を打ち立てたことを考えるとまさに日本を代表する登山家・植村直己。
世界初の五大陸最高峰登頂、犬橇を使った単独行による北極点到達、年来の夢“南極点単独踏破”・・・・・数々の偉業をなしとげた不世出の冒険家は何を夢見ていたのか。 エベレストの日本人初登頂に成功する以前から、植村直己の相談相手としてともに歩んできた文藝春秋の元編集者がさまざまな角度からその実像に迫った労作に、登山家になれなかった同世代・老翁(涯 如水)が補講して行こう。
冒険家の植村直己がひとり、地球の頂点に立った1978年4月29日、北極点単独行を取材したナショジオ写真家=アイラ・ブロック=が人生を変えた植村との日々を語る。
初めて体験する北極の寒さに、私は凍えた。 1978年2月9日、2度目となるナショナル ジオグラフィック誌の取材のため、私は飛行機を乗り継いで、カナダ北部のレゾリュート・ベイ空港に降り立った。 この地で私が追うのは、北極点への単独行を計画していた植村直己だ。 成功すれば、北極点に単独で到達した最初の人間になる。 北米大陸の北端から、氷に覆われた北極海を横切り、北極点に至るおよそ800キロの旅。 その撮影を任されたことは誇らしかったが、責任の重さに少し怖い気もしていた。
私はニューヨーク市出身の27歳の写真家で、直己は37歳の日本のヒーローだった。 世界初の五大陸最高峰登頂や犬ぞりでの北極圏1万2000キロ走破など、輝かしい冒険をいくつも成し遂げていた。 しかし、本人に会ってまず驚いたのは、超人的ともいえるこのエクスプローラーが思いのほか小柄だったことだ。 身長165センチの私とあまり変わらない。
地球の頂点で、植村直己は幸せそうに笑っていた
1978年3月5日、直己と17頭のそり犬、総重量400キロほどの装備、それに、私たち関係者を乗せた飛行機がアラートを飛び立ち、120キロほど北西にあるコロンビア岬の海岸に着陸した。 北緯83度06分、西経71度02分、ここから直己の冒険が始まる。
それはまさに心躍る瞬間だった。 前人未到の冒険に旅立つ直己の晴れ姿をしっかり記録したいと心がはやっていたのだろう。 ぬれた手袋を乾かすのも忘れて、出発準備をする直己を撮ろうと、待機用のテントを飛び出したのだ。 たちまち手袋は凍り、手の指が凍傷を負った。 まったく、初心者が犯すようなミスだ。 痛みと水ぶくれは1週間ほどで治まったものの、37年がたった今でも、そのとき凍傷を負った指が冷えるたびにしびれる。この先も消えることのない、直己を追った日々の名残だ。
4月29日、直己はついに北極点にたどり着いた。 単独行としては、世界初の快挙だ。 翌日、彼に会うため、私たちはツインオッター機で向かった。 地球の頂点で、直己は幸せそうに笑っていた。 あんなに幸せそうな人間を、私は見たことがない。 犬たちもうれしそうだ。
1984年にアラスカのマッキンリー山で行方不明になる瞬間まで、直己は冒険家として世界を探求し続けた。 そして私は、直己から教わった強さと優しさを心に刻んで、写真家として世界を探求し続けている。
=補講・資料=
北極点到達レース (1/2)
北極点到達を目指した最初の探検隊のひとつがウィリアム・エドワード・パリーの1827年の探検であり、北緯82度45分にまで達した。 1876年には英国海軍のアルバート・ヘイスティングス・マーカムが北緯83度20分26秒に達している。1879年から1881年にかけては米国海軍のジョージ・W・デロング率いるジャネット号が北極点を目指したが遭難し、デロング含む19名が死亡した。
1893年、ノールウェーのフリチョフ・ナンセンがフラム号で北極を目指し、北緯86度14分にまで達した。 1897年にはスウェーデンのサロモン・アウグスト・アンドレーが気球による極点征服を目指したが、途中で不時着して死亡している。 1900年にはイタリアの王族であるルイージ・アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタがゼムリャフランツァヨシファから北進し、彼の隊のウンベルト・カーニが北緯86度34分にまで到達した。 その後、
1908年4月21日、アメリカののフレデリック・クックが北極点に到達したと(ピアリーの帰還後に)主張したが、実際は数百キロ手前までしか到達していなかった。 19009年4月6日、アメリカのロバート・ピアリーらがカナダ・エルズミア島のコロンビア岬から犬橇で北極点初到達[3]。 ただし、厳密には北緯89°57′までの到達だった。 また、1990年代ごろから捏造の可能性が指摘されている。 1926年、アメリカのリチャード・バードが、ノールウェー・スピッツベルゲン島から北極点まで飛行機による往復飛行に成功。 1937年、ソ連の科学者イワン・ドミトリーヴィッチ・パパーニンが北極点の流氷上に飛行機で着水することに成功。そのまま氷上で史上初の漂流越冬観測を行った。 1958年8月3日、アメリカの原子力潜水艦ノーチラス号が北極点を潜航したまま通過して北極海を横断。 1959年3月17日、アメリカの原子力潜水艦スケート号が北極点に初浮上。 1969年、イギリスの探検家ウォリー・ハーバートが北極点に徒歩で到達し初の公式認定。 1977年、ソ連の原子力砕氷船アルクティカが、水上艦として初めて北極点に到達。 1978年4月26日、日本大学山岳部により、日本人最初の北極点到達。 同年4月29日、植村直己、世界初の北極点犬ゾリ単独行、北極点到達。 1989年、日本の女優、和泉雅子が北極点到達(日本人女性初。女性として世界で2人目)。 2006年4月16日、モナコ公のアルベール2世が国家元首自身では初の北極点到達。 また、彼は2009年1月に南極点にも到達している。 2007年8月2日、ロシアの有人潜水艦ミールが北極点の海底を世界で初めて探査し、北極点の海底にロシアの国旗を設置した。=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=
・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
前節へ移行 : http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/311d96eeb8b2369b49e827dc5cdd46dc
後節へ移行 : http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/38f5030b15a341efea78a3eb24c3263c
----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------
【壺公夢想;如水総覧】 :http://thubokou.wordpress.com
【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/
【疑心暗鬼;如水創作】 :http://bogoda.jugem.jp/
下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます=ウィキペディア=に移行
================================================
・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
================================================