その最期の言葉は、死刑執行人・サンソン医師の足を踏んでしまった際に
○◎ “ごめんなさいね、わざとではありませんのよ。 でも靴が汚れなくてよかった” ◎○
◇◆ 革命と狂乱の嵐の中で・・・・・・・ ◆◇
1792年8月13日夕刻、ルイ王朝の王室一家は革命派ペチオンの指揮のもとに、陰鬱な要塞タンブルに送りこまれる。 ここにいたるまで、マリー・アントワネットは国民議会で、パリへ連れもどされる途中の沿道で、あるいはテュイルリー宮殿に乱入してきた国民軍兵士の前で、どれだけ多くの罵詈雑言を浴び、どれだけ堪えがたい屈辱を嘗めさせられたことか。 王室一家とは、国王、マリー・アントワネット、ふたりの子供、それに国王の妹エリザベートの五人である。 これまで一緒にいた王妃の親友ランバール夫人も、タンブルへの収監と同時に、彼女から引き離された。
一ヵ月後に、ランバール夫人は暴民に虐殺され、屍体を裸にされて、パリの町中を引きずりまわされる。 槍の穂先には、血まみれの夫人の首が掲げられる。 気丈な王妃も、親友が虐殺されたというニュースを番兵から聞くにおよんで、叫び声とともに気を失って倒れた。
逃亡事件失敗の後、ある晩に国王一家が幽閉されているテュイルリー宮殿に変装して忍び込んだフェルセンは、国王と王妃に新たな亡命計画を進言するが、パリに留まることを決意した国王から拒否されてしまう。 革命政府によって裁判にかけられるため、国王一家がタンプル塔に移送されると、フェルセンはこれを救うためあらゆる手を尽くしたが、全て失敗に終わった。 革命が激しくなると、フェルセンはブリュッセルに亡命し、ここでグスタフ3世やオーストラリア駐仏大使と共に王妃救出のために奔走した。
しかし、国王の裁判がはじまるのは、同じ年の十二月、そしてついにルイ16世がギロチンで処刑されるのは、翌年の1月21日である。 処刑の前日、市の役人がひとりマリー・アントワネットのもとに現われて、本日は例外として家族とともに夫に会うことが許される、と伝えている。 妻、妹、子供たちは、暗い要塞の階段をおりて、国王ひとりが収容されている部屋に赴く。 最後の別れである。
マリー・アントワネットの救出に奔走するフェルセンは亡命先のブリュッセルで、1792年3月にグスタフ3世が暗殺されたと知る。 母国・スウェーデンは革命から手を引いたことも知る。 その結果はフェルセンの政治的な失脚であった。 そして、翌年に愛するマリー・アントワネットが革命政府によって処刑されたと知った彼は、愛想のない暗い人間となり、マリー・アントワネットを殺した民衆を憎むようになったと言う。
タンブルの獄舎で王国一家の監視に当たっていたのは、1789年の革命の立役者のなかでも最も根性の下劣な、「狂犬」と異名をとる極左派のエベールであった。 ロベスピエールやサン・ジュストに告発されて処刑されるが、すでに夫を失い無力になったマリー・アントワネットに対して、執拗な脅迫を繰り返すのが彼である。
7月3日、最愛の子供がマリー・アントワネットの手から引き離され、8月1日、彼女はついに国民公会の決定により、コンシェルジェリに移されることになる。 マリー・アントワネットは落着いて告発文に耳を傾け、一言も答えない。 革命裁判所の起訴が死刑と同義であり、ひとたびコンシェルジェリに収監されれば、そこを出てくるためには断頭台への道を通らねばならないことを、彼女はよく承知している。
しかしマリー・アントワネットは嘆願もせず、抗弁もせず、猶予を願うこともあえてしない。 彼女にはもう失うものが何もないのである。 まだ三十八歳だというのに、髪はすでに白くなり、その顔には不安は消えて、茫漠とした無関心の表情があらわれている。
冒頭で記したコクトーのいうように、すでに彼女は「自分自身を使いつくして」別の女になってしまっていたのである。 王妃マリー・アントワネット、未亡人カペーは、世界中から見捨てられ、いまや孤独の最後の段階に立っている。 あとはただ、王妃にふさわしく、誇り高く立派に死ぬことが残されているのみだ。
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森のなかえ
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