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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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現代の探検家《河江肖剰》 =016=

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○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠

◇◆ 研究課題との縁 = 3/3= ◇◆

 この驚くべき結果と方法論を、なるべく大きな学会で発表したいと思ったところ、ちょうど世界の主立った三つのデジタル文化遺産系の国際学会が、2013年は一つにまとまり、大きな国際会議として開催されることを知った。 場所はフランスのマルセイユだった。 フランスでは、ウーダン氏の説が有名であるため、議論が紛糾する可能性もあったが、逆に、彼らの勢力圏で私たちのデータと方法論を先に発表するのは戦略的にも妥当と思われ、なによりSNS上などではなく、学術的な場所で議論したかったため、私たちは気合いを入れて申し込んだ。

 しかし結局、フランスで行われた学会であるにもかかわらず、その国際会議にはウーダン氏は現れなかった。 発表でも、デジタル文化遺産系の学会ということもあり、「内部螺旋傾斜路」説の質問もまったく出ることはなく、むしろSFMを使ったその先駆的な方法論に注目が集まった。 正直、肩透かしを食らった気分だったが、往々にして、独自の説を主張する人たちは学会に来ることはない(来てみると分かるが別に閉鎖的な雰囲気はなく、歴史好きの高校教師とか、エジプトマニアの人なども参加している)。


批判の炎で鍛え上げる

 ギザのピラミッドに関しては、その建造の方法から目的にいたるまで、多種多様な説が唱えられてきた。 そのなかで、奇抜な説を持つ人やニューエイジ系の説を標榜する人との議論は、カルト的な人と話しているようで、不毛な議論に終わることが多い。 しかしそれでも、私は、なるべく彼らの話にも耳を傾けるようにしている。 理由は、そこからなにかを学べることがあるからだ。

 ただ、彼らの古代へのアプローチは感心しない。 基礎的な文献を読むことなく、あるいは現場を見ることなく、先に自分の想いが先行してしまい、自説に合う情報だけを取り上げ、批判を受け入れないケースがよく見受けられる。 逆に、彼らからすれば、考古学者のほうこそ凝り固まっており、批判や新しいアプローチを受け入れないという。 しかし、実際には真逆である。

 私たち考古学者は常に批判にさらされている。論文で言えば、まず仲間から率直に批判され、その後、発掘隊の隊長や、あるいは所属の研究機関の編集者から批判され、それが終わった後は匿名の査読者から批判され、採用された後は同業者から批判されと、常に批判の炎に焼かれ、仮説や主張は鍛え上げられていくのだ。 そして、新しい発見や説が次々と提示されるなか、残っていくものだけが通説として認められるようになる。

 今回の私たちの発表も批判の炎に焼かれるだろう。 データの考古学的解釈にはまだまだ議論の余地がある。 しかし、工学チームが苦心して作り上げたこの3Dデータは、大ピラミッドの内部構造を知るための基礎的資料として残っていくことは間違いないと、私は思っている。


=資料・文献=

エジプト・ピラミッド学(6)

三大ピラミッドおよびナイル川の(当時の)流れ、そして他の多数のピラミッドとの配置に着目し、ピラミッド群は現在から1万500年前の天体の配置を模したものであるという説もある。 すなわち、ナイルが天の川で、三大ピラミッドがオリオン座のベルト、即ち中央を横切る三つ星に相当、他のピラミッドも星の位置に対応しそれを反映しているということである。

三大ピラミッドのうち、メンカウラー王のピラミッドが他の2つの頂点を結んだ線からずれている点、大きさも他の2つよりも小さいことについて説明する有力な説とも言われている。 ただし、この説はエジプト考古学庁には認められてはいない。

ピラミッド建造年代を定説通りとした場合、建造当時はエジプトではオリオン座は地平線すれすれの位置に見えていたはずで、それほど目立たないうえに、実際にオリオン座の三ツ星を模したならそのような記録があってもよいはずである。

衰微

クフ王の大ピラミッドを頂点として、その後それをしのぐピラミッドが建設されることはなかった。 続くカフラー王およびメンカウラー王の時代においては規模・技術ともにそれほど劣るものではないピラミッドが建設されており、この3つのピラミッドを総称して三大ピラミッドとも呼ばれるゆえんであるが、その後造営規模は縮小していった。

続くエジプト第5王朝およびエジプト第6王朝期においてもピラミッド建設は続けられるが、石材の代わりにレンガを代用したり、石積みの精緻さも劣るなど、ピラミッドの造営は衰微していった。その後エジプトは古王国期からエジプト第1中間期と呼ばれる混乱期に突入し、この時期にいったんピラミッドの造営は中断する。

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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