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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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現代の探検家《田邊優貴子》 =99=

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○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

= WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社 より転載 =

◇◆ 生と死の風景 = 3/3= ◇◆

 2日後の夕方のことだった。

 その日も大きな唸り声が小屋の外で轟いていた。 またあの親子池の流出口のほうからだった。 駆けつけると、いつもの幼いアザラシは砂地を這い回って、騒々しく鳴いていた。 よく見ると、少し体長が大きく、というよりも長くなってはいるのだが、体は痩せ細って、肋骨が浮かび上がっている。

 アザラシは海には向かわずそのまま湖の中に入り込み、泳ぎ出した。 途中途中で水面に顔を出しては、何度も何度も叫ぶように鳴き続け、海とはまるで真逆のほうに向かって進んでいく。

 「そっちじゃないよ!」  幾度か話しかけてはみるが、どんどん海から離れていく。 途中の湖岸に上陸し、パニックを起こしたように鳴きながらさまざまな方向へ進もうとするが、角ばった石でゴロゴロとした陸地を痩せ細った体を引きずっている姿がとても痛々しい。 腹部にはいくつもの傷がついている。

 恐らく、長時間にわたって、そしてこれまで何度も必死に陸の上を動き回っているに違いなかった。

 しばらくすると、鳴き疲れ、動き疲れたのか、憔悴し切った様子でその場で目をつぶって力なく横たわった。 しかし、少しすると動き出し、また湖のほうへ戻ってしまった。

 アザラシの進む方向へ、わたしも湖岸を走りながら追いかけていった。 心の中で“海のほうへ戻ってくれ……”と願いながら。

 しかし、アザラシはそのまま湖の向こうへ泳いでゆき、海からはすっかり遠く離れてしまった。 あそこから戻ってくるのはもはやとても難しいだろう。

 アザラシの行方を追うのはもうやめよう……わたしは歩みを止め、遠く離れていくアザラシの姿を目に焼きつけ、小さくなる声が消えるまでただ黙って湖の畔で立ち尽くしていた。

 わたしはただ傍観していることしかできない。 手出しをすることは決して許されることではない。 わたしたちは境界を越えてはならない。 それは目に見えない掟のようなものだ。

 切ない気持ちでいっぱいだった。 当たり前の自然がそこにあった。 その時、椿池の畔で見つけた、人知れず横たわる幼いアザラシのミイラと目の前で繰り広げられている光景とがオーバーラップした。

 自然はいつも脆く、そして力強い。 その脆さに煌めきを感じ、わたしはいつも心を揺さぶられる。 それは、日常の暮らしの中で忘れている、生きていることの根源的な悲しさと、いとおしさを問いかけてくるからなのかもしれない。

 誰かの生命(いのち)が無くなって、誰かの生命になっていく。 生き物は、生まれたときからすでに悲しみを背負っているのかもしれない。 生きるということは悲しいものなのかもしれない。 けれど、それが生きることなのだろう。生き物はそうやって長い間、生命を紡いできた。

 さまざまな生き物が絶え間なく生まれては消え、この星にはこんなにもたくさんの、こんなにもすてきな生態系が出来上がってきた。

 この夏、何度も迷い込んできたあの幼いアザラシと、鮮やかな緑のコケに囲まれた幼いアザラシのミイラは、そっと、遥かなる生命の物語を語りかけてきた。

 それから2日間、雪が降り続けた。 すべてをリセットするかのように、雪は南極の大地を真っ白に覆い尽くしていった。 雪が止んだ朝、劇的に季節がめぐっていた。 つい数日前まで見ていた世界はもうどこにもない。 空にはどこまでも透明な青が広がっていた。 宇宙まで見えてしまいそうな青だった。

 この日、ついにこの夏最後の調査に出かけた。 真っ白な、サラサラとした雪の上を長靴でしっかりと踏みしめて歩いてゆく。自分の歩いた後ろに道ができていく。 サングラスをはずすと、澄んだ太陽光線の照り返しが眩し過ぎて目を開いていることができない。

 親子池の脇を通り、長池の方向へ進んでいくと、いつもの斜面の手前で、わたしが通っていたのとは対岸側へと続く小さな道を見つけた。 10センチメートル弱の小さな三つ又の足跡が無数についている。アデリーペンギンの歩いた跡だった。 よく見ると、歩くたびに揺れる尻尾がつけたジグザグの線も描かれている。

 それはきざはし浜とは逆方向にある海岸から一直線につながっていた。 早朝から餌採りにやって来ているのだろう、そろそろヒナも換羽を終えて旅立つころだろうか……なんとなく微笑ましくその足跡を辿っていくと、途中でそのペンギン道と交差する不思議な道にぶつかった。 太い一本の筋と、その筋の両側に短い斜線が等間隔で描かれていた。

 アザラシの通った跡だった。 その形跡を目で追ってみると、クネクネとさまざまな方向へ行ってはまた戻り、いくつもの蛇行した道がその辺一帯に残されていた。 わたしはアザラシの道を辿って歩いた。

 ずいぶんと海から離れた斜面へと登っていった。 そして、小高い丘の中腹あたりでいつしか沢のなかに迷い込み、道はそこで途絶えていた。

 丘の上から親子池のほうを見下ろすと、わたしがそれまで見たことのない真っ白なきざはし浜の風景があった。

 澄んだ空気から、懐かしい冬の匂いがした。

 あと2日。 南極から旅立たなければならない日がすぐ目の前に迫っていた。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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