○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○
○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子= ○
= WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社 より転載 =
◇◆ 生と死の風景 = 2/3= ◇◆
静寂の中、亡骸を取り囲むように、コケや地衣類など、小さな生命が力強く息づいていた。 アザラシは栄養となって、いつの日か自分の姿がすっかり消えるまで、この小さな生命を大きく育てあげるのかもしれない。 生き物の気配など何もない荒涼とした世界で、まるでそれは、小さなアザラシのために誰かが作ったお墓のようだった。
その、あまりにもわかりやすい生と死の風景に、わたしはしばらくその場で呆然と立ち尽くした。 ゆっくりとゆっくりと、生命は廻っている。
それから数日経ったある日のことだった。 その日の調査も終わり、夕食の用意のかたわら、わたしはきざはし浜小屋の外へ出ていた。 風のない静かな海は鏡のようになり、ちょうどいい光の加減が当たった岩壁“シェッゲ”が海に映し出され、空には紫色の半月が昇っていた。
プシュ────ッ。 急にすぐ近くから聞き慣れない音が聞こえた。 とっさに音がする辺りを見ると、そこにはちょうど頭だけを海面から出し、鼻をプクッと広げて呼吸をしている一頭のアザラシの姿があった。 目が合った瞬間、アザラシはまた海の中に潜り込んでしまった。
わたしも突然の訪問者に驚き、かがんで水中に目を凝らすと、思ってもみないことに、アザラシはなんとすぐ目の前に顔を出したのである。 お互いの顔が、距離にしておよそ30cm。 真ん丸の潤んだ大きな黒い目が、なんの警戒心もなく、好奇心旺盛にこちらを真っ直ぐに見つめている。 一瞬、時が止まったような気がした。細長いヒゲが前後に小さく動くのさえもはっきりと認識できる。
それにしても、顔つきがなんだか幼い。 浮かび上がってきた体を見て、その感覚が間違いでないことがわかった。 体長はピンと伸びている状態で1メートルちょっとくらいだろうか。 きっと、今年産まれたばかりの、離乳して間もない赤ちゃんだろう。 顔だけでなく、体全体もまだ丸みを帯びた可愛らしい形をしている。
水中に潜り、ウロウロと少し泳いでは顔を出し、わたしが話しかけるとまたこちらにス──ッと寄ってくる。 こんな行動をしばらく繰り返し、いつの間にかどこかへ行ってしまった。
“何か探しているのかなぁ……” そんなことを思いもしたが、一日の終わりにアザラシの赤ちゃんにあんなにも至近距離で出会えたことに心が弾み、その日はなんとなく幸せな気分で眠りについた。
それから2週間くらい経った頃だった。 夕方になって外に出ていると、不意にどこからか大きな唸り声のような重低音が響き渡ってきた。
「ヴォ──ッヴォ────ッ」 耳を澄まして音のする方向を探すと、小屋のすぐそばにある湖“親子池”から海へ水が流れ出る辺りからだった。 小屋の周囲を取り巻く岩壁にその音は反響し、繰り返し、繰り返し聞こえてくる。明らかにただ事ではない声だった。
声のするほうへ走り、少し小高くなっている岩を越えると、海岸の砂地にニョロニョロと動く灰色のものが見えた。 近寄るにつれ、正体が分かった。2週間前に現れた、あのアザラシの赤ちゃんだったのだ。 少しパニックになった様子で、ひたすら大きな声で鳴き続け、周囲をバタバタと動き回っている。 声も枯れそうだった。 鳴き疲れ、動き疲れたのか、アザラシはその場で眠り始めた。
きっと、母親を捜しているのだろう……しばらくのあいだその様子を見つめ、なんとか海に戻ってくれることを祈りながら、わたしは小屋へ戻った。 翌朝、少し心配になって、昨夜アザラシが眠っていた場所まで行ってみたが、そこにはもうアザラシの姿は消えてなくなっていた。
“よかった…………きっと海に帰っていったんだ” 胸を撫で下ろし、いつものように湖の調査に出かけた。
しかし、その10日後、あのアザラシの赤ちゃんはわたしの前に再び姿を現した。 すっかり白夜も終わり、夜になると海岸から見える岩壁“シェッゲ”が、地平線に沈む太陽で真っ赤に染まる時期になっていた。 海岸に腰を下ろし、まるでそこだけが燃えているような赤い光景に見とれていた。
ふと、ピタッと張り付いたように静かだった海の、とある一点がほのかにざわめきはじめた。 小さな波紋が現れたのだ。 ジッと目を凝らすと、黒い何かがわずかに水面から出ている。
“あ!! もしかして————” 近寄ってきて海の中から顔を出したのを見て、確信した。 また戻ってきたのだ。
背後には赤く輝くシェッゲ。 不気味なほどに静まり返った海はこの世のものとは思えないほど不思議な青緑色に染まり、その中をゆっくりと、流れるように泳ぎ回る幼い小さなアザラシ。 時折、アザラシが顔を出すと水面にそっと波紋が生まれる。
言葉にしがたいほどに美しい光景だった。
わたしはなんて素晴らしい世界に生きているのだろう。 この世界に生まれてきたこと、これからも生きていくこと、それ自体意味のあることではないのかもしれない。 が、わたしは今見ているこの光景だけで、そのことを心から肯定できると思った。 それくらい、この光景は強い力を持ってわたしの心の中に入り込んできた。
アザラシはしばらくの間、いつものようにウロウロと泳ぎ回って、いつのまにかどこかに消えていなくなっていた。 少し心配だったが、もしかしたらしっかりと独り立ちして、自分の力で餌を採って暮らしているのかもしれない、そう思うと少し落ち着いた。
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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