☆ 草加次郎が島倉千代子を殺そうとするも未遂に終わる(1962年)。この腹いせから草加は、以後一年近く彼方此方で花火を爆発させることに。 ☆ ロナルド・レーガン主演の映画「ストロング・アメリカ」が封切り(1980年)。以後8年にわたるロングランを記録。豊国では王がバットを奉納して現役引退。 ☆ 麻原彰晃とゆかいな仲間たちが、自分たちを批判した弁護士の一家を丸ごとポアさせて極楽浄土に導く(1989年)。
◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 20回= ◎ ◎
1956- «世界をアッと驚かせた大スクープ「バウンティ号発 」!(1/2) »
= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =
……National Geographic Journal Japan 〉/ 2012年10月24日 / (Web編集部) ……
海好き、船好き、そして、キャプテン・クック好きの中の人はよく知っているのですが、みなさんは「バウンティ号の反乱」をご存じでしょうか。今回はこの事件とナショジオの意外な関係をご紹介いたします。
「バウンティ号の反乱」はフランス革命と同じ1789年に南太平洋で起きたイギリス海軍のデキゴトなのですけれど、どのぐらい知られているか謎だったので、まずは隣に座っているWeb編集部Tに聞いてみました。月曜のメルマガを書いている美人編集者です。
「Tさん、バウンティ号の反乱って知ってます? 昔、イギリス海軍で起きたドラマチックな事件なんですけど」 「何号? 反乱ですか? ドラマチックな反乱といって真っ先に思い浮かぶのは……忠臣蔵かな。カッコいいですよね、松方弘樹♪」
いや確かに忠臣蔵は反乱モノで、松方弘樹は海のイメージありますけどね……。で、ほかの編集者にも聞いたところ、「バウンティ号の反乱」を知っている人は少数派でした。日本ではさほど有名ではないみたいです。
ところがこの事件、米英ではとても有名です。たくさんの小説や本が書かれていますし、映画も5本作られています。
5本の映画のうち、『戦艦バウンティ号の叛乱』(1935年)はクラーク・ゲーブルが主演してアカデミー賞の作品賞を受賞しました。また、『戦艦バウンティ』(1962年)は『ゴッドファーザー』で有名なマーロン・ブランドが主演し、『バウンティ/愛と反乱の航海』(1984年)では、主役がメル・ギブソンで脇役がアンソニー・ホプキンスという豪華キャストです。これだけ見ても知名度の高さがわかるというもの。
実際のところ、とても面白い話なのです。ざっと説明すると、奴隷の食料にするため、パンノキという植物を南太平洋のタヒチからアメリカの南にある西インド諸島まで遠路はるばる運ぶ命を受けた英海軍のバウンティ号。かつてはキャプテン・クックの部下だった艦長がなかなかに横暴で、タヒチからの帰り際、正義感に満ちた二番手の航海士が反乱を起こします。
航海士の反乱は成功し、艦長はじめ19名が南太平洋上で長さ8メートルほどの小船に乗せられてハイさようなら。バウンティ号を乗っ取った航海士はいちどタヒチに戻り、追っ手を恐れてイギリスの海図にない無人島のピトケアン島に移住します。
ウィキペディア氏曰く : バウンティ号は、タヒチ島から奴隷用の食料品としてパンノキを西インド諸島に運ぶ任務のために、英国海軍が貨物船を買い上げて臨時の軍艦とした徴用船で、小型の船舶であった。したがって、映画の題名などで用いられる「戦艦」という呼称は適切ではない。
乗組員は唯一の士官である艦長ウィリアム・ブライと上級准士官3人・准士官11人・士官候補生6人・下士官14人・水兵11人の計46人だった。ブライは33歳で、以前にジェームズ・クック船長指揮下のレゾリューション号の航海長を務め、その後商船の乗務員として航海しており、この海域に関して経験豊かだったが、艦長になるのは初めてだった。
1787年 12月23日にイギリスのポーツマス港を出航、当初は南米ホーン岬を回って太平洋を航行する計画だったが、天候不順のため計画を変更し、喜望峰を周ってインド洋に出て、1788年10月26日にタヒチ島に到着した。航海中にブライは航海長のジョン・フライアを降格し、航海士(上級准士官)の1人フレッチャー・クリスチャンを海尉心得に抜擢している。
1789年4月までパンノキやその他の植物を搭載するためにタヒチ島に滞在し、その期間中、クリスチャンはタヒチの女性と結婚し、多くの船員も現地生活を楽しんだ。3人の船員が脱走の罪で逮捕され、鞭打ち刑を受けた。
1789年4月4日にタヒチ島を出航し、喜望峰経由で西インド諸島を目指すため西に向かったが、4月28日にトンガのフレンドリー諸島で反乱が起きた。途中の死亡者を除き、当時の乗組員44人のうち反乱者はクリスチャン以下12人だった。ブライ艦長以下19人は救命艇に乗せられて追放され、非反乱者のうち13人は船に残された。
ブライの指揮する救命艇は、41日かけてニューギニア島とオーストラリア大陸の間の難所トレス海峡を通り、ティモール島にたどり着いた。
一方、反乱者を乗せたバウンティ号は トゥブアイ諸島に3ヶ月滞在したが、その後タヒチ島へ向かった。16人の船員がタヒチ島に残り、クリスチャンと8人の反乱者はタヒチ島の現地人(男6人、女11人、赤子1人)を乗せて、フィジー、クック諸島を経て、1790年1月15日にイギリスの海図に載っていないピトケアン島にたどり着いた。クリスチャンらはバウンティ号を解体し、その資材を利用して島での生活を始めた。
めでたし、めでたし? いいえ、話はこれで終わりません。
復讐のまっ赤な炎をメラメラと燃やす艦長ウィリアム・ブライは、その後、なんと誰1人船で死なせることなく、命からがらオランダの貿易港があるティモール島に到着。6700キロをわずか8メートルの小船で走破した航海は海軍史上に残る偉業と評価され、無事イギリスに戻ると一躍ヒーローに。そして、反乱事件は軍法会議にかけられて、英海軍は反乱者を追跡する船を派遣します。
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
次回は “ « 世界をアッと驚かせた大スクープ「バウンティ号発見」 » “ を記載、続きます・・・・・
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