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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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今日(狂)の狂言 : 10月13日(日曜日) &旅と文化の足跡が野帳

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★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 ★

◆政府の懐が厳しいので、皇族の大規模リストラが実施される(1947年=11宮家51人の皇族離脱)。 ◆アンデス山中にウルグアイ空軍機571便が墜落(1972年)し、人間同士のぴー≪12月23日に生存者16名を救出≫が行われた。他方、アエロフロートIl-62型機がシェレメーチエヴォ国際空港への着陸に失敗して墜落、乗員乗客174名全員が死亡も起きる。 ◆そして、1977年 ルマ・デ・マヨルカ発フランクフルト行きのルフトハンザ航空615便ボーイング737型機がPFLPによってハイジャック。10月13日は航空業界の厄日ある。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 12 回= ◎ ◎

1921-1956期 追考 « カラー写真戦争ついに勃発! ライカ、コダック (3/5) »

……National Geographic Journal Japan 〉 ニュース〉 旅&文化〉 より……

2012年6月06日 / (Web編集部)

  1938年の『ナショナル ジオグラフィック』に掲載されたカラー写真は、フィンレーが222枚、デュフェが69枚、アグファカラーが18枚、オートクロームが3枚、そして、コダクロームが62枚。それに対して、翌年にはフィンレーが47枚、デュフェが93枚、アグファカラーが11枚、オートクロームが8枚、そしてコダクロームが317枚とあっという間に逆転します。

 すでに編集長補佐となっていたメルビル・グロブナーは回想しています。 「我々はほかのカラー写真をすべてお払い箱にして、即行コダクロームに置き換えたよ。あのときのことは決して忘れないだろう。本当にスリリングだった」

 そして、メルビルの父、ギルバート・グロブナーが「写真技法、とくにカラー写真に関しては常に我々が最先端だった」と書いたように、『ナショナル ジオグラフィック』の歴史はそのままカラー写真の歴史となり、ほどなくコダクロームの時代が訪れます。

 ところで、コダクロームの35ミリフィルムが発売されたのは1936年。『ナショナル ジオグラフィック』に掲載されたのはその2年後です。「常に最先端をいっていた」というにはちょっと遅いのですが、それにはワケがありました。

 そのワケは……、

―「ライカ? そんなオモチャに用はない!」 2012年6月6日カラー写真に革命を起こした35ミリコダクロームの発売が1936年。『ナショナル ジオグラフィック』が掲載したのは2年後の38年。いち早く新しいカラー写真を試していたナショジオにしては少し遅いタイミングでした。

 なぜか。  いちばんの理由は「サイズ」でした。

 前回も書いたように、オートクロームをはじめ、当時のカラーフィルムの標準サイズは13センチ×18センチ前後。いまではとうてい考えられませんが、ハガキより大きい。これが標準だったのは、大きくないとマトモな写真が撮れなかったから。それほどカラー写真の画質が低かったのです。

 一方、1936年に発売されたコダクロームの35mmフィルムは、1コマが24ミリ×36ミリのいわゆるフツーのサイズ。少し大きめの切手ぐらいですね。  ハガキと切手じゃ全然迫力が違います。どう見たってハガキのほうが力強い。それほど差があるのに、従来のどのカラー写真よりも圧倒的に画質がすぐれていたコダクロームは本当に画期的な発明でした。

 その変化はもはや量のレベルではなく、質のレベルです。だから革命が起きたのですが、どうやらその劇的な変化が協会の想像をはるかに超えていたようです。大きければ大きいほどいい、という固定観念が邪魔をしたんでしょうね。

 当時の協会が写真の「サイズ」についてどう思っていたかをよく示すエピソードがあります。 実は35ミリフィルムという規格はコダクロームが登場する前からあって、モノクロ写真ではプロも使える画質になっていました。

 その35ミリフィルムカメラのさきがけであり、代表格となったのが「ライカ」でした。  いまもしばしば「名機」として引き合いに出されるぐらいですから、写真をよく知らない人でも、ライカの名前ぐらいは知っているんじゃないでしょうか。35ミリフィルムはライカのおかげで普及したため、「ライカ判」と呼ばれることもあります。たまにですが。

 ところが、「これでもか!」と写真に力を入れていた『ナショナル ジオグラフィック』としては、「大きいことはいいことだ」と、モノクロ写真でもライカより大きなカメラを使っていました。同じフィルムの画質を比べたら、そりゃサイズが大きいほうが画質はいいに決まっていますから、まあ理由はあるにはあったわけです。

 そんな状況のなか、ナショナル ジオグラフィック協会で最初にコダクロームに注目した人物は、1935年に専属カメラマンとして採用されたルイス・マーデン(Luis Marden)だと言われています。 『小型カメラによるカラー写真の撮り方』という本を出版したばかりの若干21歳のマーデンは、『ナショナル ジオグラフィック』がカメラマンを募集していると聞き、さっそく売り込みにいきました。首からライカをぶら下げて面接にのぞんだ彼は、写真部長のフランクリン・L・フィッシャーに無邪気にたずねます。

「仕事でライカを使ったことはありますか?」 「ライカ? あるわけないだろう。そんなオモチャに用はない! うちはマジメに写真を撮ってるんだから」

 まさかその翌年にコダクロームが発売され、のちにライカが写真の歴史にその名を刻む名機になろうとは、写真部長は思いもしなかったでしょう(笑)。いずれにしろ、当時の『ナショナル ジオグラフィック』の「大艦巨砲主義」をよく表しているエピソードですね。大きな船が向きを変えるのはタイヘンだ、ということだったのかもしれません。

 いち早くコダクロームに注目したマーデンでしたが、前回にお伝えしたように、『ナショナル ジオグラフィック』にコダクロームの写真を提供した最初の人物とならなかったのは、あまりにも若すぎたせいだといわれています。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

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次回は “   «カラー写真戦争ついに勃発! & ライカ、コダック » (4/5) “ に続く・・・・・

・・・・ National Geographic: The Last Roll of Kodachrome  ・・・・・

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