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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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今日(狂)の狂言 : 09月26日(木曜日) &旅と文化の足跡が野帳

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★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 ★

◆ 台風災害の厄日。どれだけ厄日かというと、日本海軍の艦隊が打撃を受けたり(1935年)、青函連絡船が転覆するばかりか北海道の漁村が丸焼けになったり(1954年)、・・・しかし近鉄にとっては名古屋線がレベルアップするチャンスとなったラッキーな日(1959年=伊勢湾台風)だったりする。 ◆ スペインの商船や植民地を略奪して周った海賊ドレークが、やりたい放題の挙句に地球を一回りしてしまった(1580年)。 ◆ 豪腕の破壊神が子分ともども民主党に下駄を脱いだり(2003年=民由合併)、後の森羅万象担当大臣(2006年=安倍内閣)やチンパンジー(2007年=福田内閣)が総理に就任したりと政界にとっての特異日。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第8回= ◎ ◎

1921-1956期 « ツタンカーメンの墓で »

……National Geographic Journal Japan 〉 ニュース〉 旅&文化〉 より……

2012年2月29日 / (Web編集部)

第一期黄金時代にナショジオが生んだ2大スターの1人、ジョセフ・ロック、今回はもうひとりのメイナード・オーエン・ウィリアムズをご紹介いたしましょう。  学究肌でときに気難しく、中国雲南省「トンパ」の病魔退散術やチベットのシャーマンなど、ミステリアスな話題で人気を博した“孤高の地理学者”ジョセフ・ロックと、“ミスター・ジオグラフィック”ことメイナード・オーエン・ウィリアムズは、実に対照的でした。

大柄で性格は明るく社交的。世界各地のどこへ行っても、誰とでもすぐに仲良くなれる。以前、シリアや中国で宣教師をしていた彼のモットーは「旅は冒険じゃない。友だちとの出会いだよ」。  そんなオープン・マインドな人柄で、現地の人々にがっつり食い込み、生き生きとしたレポートを彼は次々にものにします。

 1919年、ウィリアムズは『ナショナル ジオグラフィック』ではじめてのスタッフライターになりました。その後、長らく海外編集部のチーフを務め、100本以上の記事を寄せました。  なかでも彼の代表作というべき仕事が2つあります。

ひとつは1923年5月号に書いた「ツタンカーメンの墓で(At the Tomb of Tutankhamen)」。  ツタンカーメンといえば、黄金の仮面や発掘関係者が次々に変死をとげる“ファラオの呪い”で日本でも超有名ですが、広く知られるようになった理由は、珍しいことにほとんど盗掘されておらず、お墓がほぼ完全な形で残されていたことでした。

 1922年11月4日、カイロからナイル川を700キロほどさかのぼったルクソール西岸の「王家の谷」で、ツタンカーメンの墓を発見したのは当時まだ無名だった考古学者ハワード・カーターです。

ほどなく“世紀の大発見”の知らせを聞きつけた人々がルクソールに押し寄せます。しかし、カーターはお墓を保護するために立ち入りを禁じて完全非公開としてしまいます。  それでも、翌23年の2月19日、ごく一部の記者やカメラマンにお墓がついに公開されることになります。さすが“ミスター・ジオグラフィック”。メイナード・オーエン・ウィリアムズもその1人に選ばれたのです。

 53枚の写真と1枚の地図とともに、彼は公開時の様子をリアルにレポートしています。しかも、それはありきたりの報告ではありませんでした。昔の思い出話や、全部を見せてくれない不満などをけっこうグチっぽく?(笑)織り交ぜながら、ルクソールに入ってから出るときまでを紀行文仕立てにしているおかげで、とても読みやすく、かつ、面白く仕上げているあたりはさすが。

 まあ「この石棺のなかにツタンカーメンが眠っていると期待されている」と書いていて、つまり、このときはまだツタンカーメンのミイラがあるのかないのか教えてもらえなかった(あるいはわかっていなかった)ようですから、不満げなのは当然かもしれません。副葬品もすでにある程度運び出されていたようですし。

 とはいえ、金箔の貼られた戦車の車輪や、金銀宝石がちりばめられた「黄金のスカラベ」のバックルの写真をはじめ、お墓やさまざまな副葬品の様子は、やはり博物館で展示されているのとは違ってとても見ごたえがあります。当時、これだけのボリュームでツタンカーメンの墓のレポートを報じたメディアはありませんでした。リアルな文章とあわせて、とても貴重な記録です。

いま見れば、モノクロ写真がちょっぴり残念ですけどね……こればっかりは仕方ありません。まだモノクロが主流の時代でしたから。  さて、・・・・・・・・

――ツタンカーメンの墓は驚くほどうまく隠されていた

ツタンカーメンの墓は古代エジプトの都市テーベの西、ファラオ(王)の墓が密集する王家の谷で発見された。財宝の存在が一目でわかるピラミッドと異なり、王家の谷につくられた墓はしばしば、略奪者に発見されないよう覆い隠されていた。ツタンカーメンの墓は最終的に、15万トンを超える岩石の下から出てきたが、その中には上部の丘に掘られた別の墓のがれきも含まれていた。

――ツタンカーメンの墓が見つかると考えていた人はほとんどいなかった

 ツタンカーメンの墓の捜索はまさに、信じる人しかできない探求だった。当時の専門家は、王家の谷にある墓はすべて古代に盗掘されたか、その後、考古学者によって発見されたと断言していた。何の変哲もない遺跡で発掘調査が行われ、ツタンカーメンの墓と誤認されたこともある。また、ツタンカーメンは高名なファラオではなかったようで、現存する記録にはツタンカーメンの名を冠した遺物がわずかしかない。

――しかし、ハワード・カーターは諦めなかった

考古学者のハワード・カーターはそうした意見に耳を貸さず、ツタンカーメンの捜索を続けた。第1次世界大戦中を含めて何年も掘り続け、英国の後援者であるカーナボン卿の信頼と資金を失いかけた。そして、1922年11月、最後の年の発掘が始まってわずか数日後、墓に下りる階段の最上段を発見した。

 さて、ウィリアムズのもうひとつの代表的な仕事は……、と続けたいところですが、長くなりそうなので、すみません、次回にご期待ください。

次回は “  シトロエン―アールト中央アジア探検隊  “ に続く・・・・・

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