◆ ワルツの親父が死去し、大変な悲しみを訴えるあまり倅がいつも明るく元気な歌ばかり作ることになる(1849年)。 ◆ 染料工場の爆発で何故か赤痢が蔓延、真相は検閲により削除(1937年=大牟田爆発赤痢事件)。 ◆ 某国の親日感情への配慮から、ア〜ン♥♥風呂をこの日からソープランドと呼ぶことに(1984年)。全日本特殊浴場協会連合会が高度な政治的配慮を断行したのだそうだ。
◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第7回= ◎ ◎
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2012年2月15日 / (Web編集部)
しかしながら、自然のもたらす災害や予期せぬ不幸から逃れられないという意識があるせいだろうか、日本人はどちらかというと運命論者なのではなかろうか」 という具合に、災害が多い一方で、自然が豊かな地理的条件が日本人の気質や文化の根っこのところにある、とウエストンは掘り下げています。
彼の2回目の記事は翌年9月号の「日本の農村こんなとこ(Some Aspects of Rural Japan)」で、ここでは「この国の本質や国民性は、地方の農村を訪れて、農民の暮らしを見ないことには理解できない」と文字通り日本の奥深くまで踏み込みました。
日本成功の秘密をとりあげた極めつけは1923(大正12)年10月号の「日出づる帝国(The Empire of the Rising Sun)」でした。かっこいいなあ。このタイトル。
著者は日本学のさきがけとなった元お雇い外国人のウィリアム・エリオット・グリフィスです。 「人口が倍増し、国富も20倍に膨れ上がった日本。世界の片隅にいて忘れ去られていたようなこの国が、たかだか50年ほどの間に大国と肩を並べ、世界の工業や貿易をリードするまでに成長できたのはなぜか」と、真っ正面からストレートに日本を分析しました。
ただし、日本の勢いはこのときを境に陰りを見せはじめます。 大正12年といえば、関東大震災が起きた年。「日出づる帝国」が掲載された10月のひと月前のことでした。
1914年の1月12日には追い討ちをかけるように桜島が大噴火します。 『ナショナル ジオグラフィック』では、例によって迫力の写真とともに、1924(大正13)年4月号で関東大震災と桜島大噴火の詳しいレポートを掲載しました。そして、この特集が大正時代における日本の最後の記事となったのです。
大正デモクラシー(たいしょうデモクラシー)とは、日本で1910年代から1920年代(概ね大正年間)にかけて起こった、政治・社会・文化の各方面における民本主義の発展、自由主義的な運動、風潮、思潮の総称である。信夫清三郎『大正デモクラシー史』(1954年)がこの言葉の初出である。
何をもって「大正デモクラシー」とするかについては諸説ある。政治面においては普通選挙制度を求める普選運動や言論・集会・結社の自由に関しての運動、外交面においては国民への負担が大きい海外派兵の停止を求めた運動、社会面においては男女平等、部落差別解放運動、団結権、ストライキ権などの獲得運動、文化面においては自由教育の獲得、大学の自治権獲得運動、美術団体の文部省支配からの独立、マルクス主義、アジア主義など、様々な方面から様々な自主的集団による運動が展開された。
――背景
1905年(明治38年)、日露戦争はポーツマス条約により賠償金無しの終戦となったため、戦費獲得のための増税に苦しんでいた都市雑業層(当時の選挙制度では納税額が少ないために選挙権が無かった層)がこれに反発、日比谷焼き討ち事件を起こした。この動きは新聞記者や弁護士を通じて広まり、社会運動が広まる時代背景ができ上がっていった。
同じく1905年には東京で孫文率いる中国同盟会が結成されている。1911年(明治44年)に清朝の四川省で発生した鉄道国有化の反対運動をきっかけとして辛亥革命が勃発し、中国革命同盟会が中核となった革命軍は、翌1912年(民国元年、大正元年)に清朝を倒して中華民国を樹立した。
この中国情勢の混乱を勢力圏拡大の好機と判断した陸軍大臣の上原勇作は、第2次西園寺内閣に対し朝鮮半島に2個師団を新設するよう提言した。しかし西園寺は日露戦争を要因とした財政難や国際関係の問題などを理由に拒否した為、上原は軍部大臣現役武官制を利用して西園寺内閣を内閣総辞職へ追い込み、陸軍主導の内閣を成立させようと画策した。
こうした背景の中、長州藩閥出身で陸軍の影響力が強い第3次桂内閣が組閣されたが、薩長藩閥政治への不満が高まっており、この桂内閣に対し国民世論の批判が高まった。また衆議院でも衆議院議員の尾崎行雄や犬養毅らが藩閥政治であるとして桂内閣を批判し、1912年(大正元年)、「閥族打破・憲政擁護」を掲げた第一次護憲運動が展開され、桂内閣は組閣してからわずか53日で内閣総辞職に追い込まれた(大正政変)。
続いて設立された立憲政友会を与党とする第1次山本内閣は軍部大臣現役武官制の廃止など陸海軍の内閣への発言力を弱める改革に着手したが、海軍高官の贈賄事件(シーメンス事件)の影響により再び国民の批判を招き、1914年(大正3年)に内閣総辞職を余儀なくされた。
次回は “ 「ツタンカーメンの墓で」 “ に続く・・・・・
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