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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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今日(狂)の狂言 : 08月26日(月曜日) &旅と文化の足跡が野帳

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★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 ★

◆ カルカッタで貧しい人々に死に場所を与えた聖女と言う名のマザー・テレサが、アルバニアで生を享ける(1910年)。 ◆ 芥川龍之介脚本の映画『羅生門』が封切り(1950年)。これに合わせて、第1回24時間テレビ 「金はテレビを救う」が放送される(1978年)……両出来事の関係は謎である。 ◆ 芝浦埠頭とお台場の間がデカいつり橋で結ばれる(1993年)。真下をデカい船が通る上に大量の車を捌くことから、勝鬨橋のバージョンアップとはならず。

◎ ◎ 第3回 植村直己に教えられたこと / Webナショジオ・インタビュー 野口健 ◎ ◎

- - -Webナショジオ Webナショジオ・インタビュー 野口健 / インタビュー・文=高橋盛男/写真=藤谷清美- - -

==1999年、七大陸最高峰の世界最年少登頂記録(当時)を樹立した登山家であり、近年では清掃登山やシェルパ基金の設立、ネパールでの学校建設、戦没者の遺骨収集などに取り組んでいる野口健、再びカメラを手にしたことで、新たな世界が切り開かれたという。==

――高校停学中に読んだ植村直己さんの著書「青春を山に賭けて」に触発されて、登山家を志したそうですね。何が野口さんを突き動かしたのですか。

 学校に馴染めず、勉強もついていけず、挙句の果てに先輩を殴って停学処分。これで完全に落ちこぼれたなと、自分では思っていました。直己さんも著書のなかで、自分は落ちこぼれだというようなことを書いているんです。  数々の冒険を成し遂げて、世界的にその名を知られる人が、そうおっしゃるのですから、ついわが身と重ねて考えてしまいますよね。

――植村直己さんのどういうところを魅力に感じられたのですか。

 彼は、当初は野心的な冒険家ではなかったと思います。世界中を放浪しながら山登りを続けていくうちに、それが結果として日本初、世界初になったということなのでしょう。  地味にコツコツ、自分のやりたいことをやっていく人だったのだと思います。その夢の実現に向けた直己さんのしつこさ、くどさに魅せられましたね。

――しつこさ、くどさ?

 奥さんに話を聞いたことがありますが「あの人は本当にしつこいし、くどかった」と言っていましたよ。  たとえば、直己さんのマッキンリー(北米最高峰・アラスカ州)単独登頂。1968年に初めて挑戦しますが、単独登山が許可されずに断念し、1970年に再挑戦しています。このとき直己さん、単独登山の許可を求めて、アラスカの国立公園事務所に毎日通うんですよ。来る日も来る日も。すると、何日目かに公園長が直己さんに言うんです。

 「ナオミ、君は今、登頂しているアメリカ隊のメンバーだったね?」  アメリカ隊の一員ということにして、目をつぶってくれたわけです。アメリカの公園事務所スタッフは規制に厳しいから、ふつうならそうはいかない。  しつこい、粘り強い、スマートではない、がむしゃら。世界的な冒険家というだけではなく、それ以上にその泥臭い生き方に感銘を受けました。

――植村さんをモデルとして、登山家・野口健のスタイルが形づくられたのですね。

 目標にしてきました。でも、とても直己さんのようにはなれませんね。  ただ、僕は登山家として世界各地へ行くようになってから、その先々で直己さんと出会うんです。  たとえば、ネパールへ行って、僕が日本人だというと「お前、ナオミを知っているか」と聞かれる。南米最高峰のアルゼンチンのアコンカグアに行ったときも、アラスカのイヌイットの村に行ったときも同じことを聞かれました。

 世界的に実績のある冒険家は多いのですが、地元の人々にエピソードが語り継がれる人はそうはいないと思います。

――どうして植村さんは、それほど地元の人に親しみを持たれているのですか。

  直己さんは、いつも現地のコミュニティーに、溶け込むように入っていくんです。  北極点単独行のときも、準備のためにグリーンランドのイヌイットの村に住み込んでいます。犬ぞりの扱いもそうですが、極寒の北極圏で行動するには、彼らの生活習慣や文化から学ばなければならないと、彼は考えていたのです。

直己さんは、エベレストに登るときも、半年前からシェルパの村に泊まり込みました。ふつうそういうことはしないんです。  当時の欧米隊などは、山でも生活はシェルパと別々。テントも食事もです。シェルパは使用人ですから、その上下関係は厳然としていました。でも、直己さんはそうではなかった。

――分け隔てをしなかったのですね。

一番印象に残っているのは、5~6年前に氷河湖の調査で、ネパールへ行ったときのことです。  小さな村の民家に泊まったのですが、私が日本人と知ると、一人の老人が両手を差しだしました。10本の指の第一関節から先がないんです。凍傷にかかって切断したんですね。  彼が「1981年のエベレスト登頂のときに切った」と言ったのでピンときました。その年、植村隊がエベレスト登頂に挑んでいるのですが、隊員の一人が死亡して断念している。彼はそのときのシェルパの一人だったんです。

 とっさに僕は「困ったな」と思った。「日本人登山家のせいで、俺は指を失った」と責められるのではないかと身構えました。でも、違いました。彼は言うんです。  「指を失ったあと、ナオミは何度もここに来た。病院に連れて行ってくれたし、仕事ができない間は生活費も送ってくれた」と。

 当時、シェルパは家畜のような扱いを受けていたけれど、ナオミは我々を同じ人間として扱ってくれたと言うんですね。そういう話は、この村でのことばかりではなく、行く先々で聞くんです。

――野口さんは、遭難したときの補償が不十分なシェルパのために基金を設立したり、ネパールに学校をつくるなど、さまざまな活動を続けていますが、その理由が今、わかったように思います。野口さんの後ろにはずっと植村直己さんがいるのですね。

・・・・・・明日 ( 第4回 世の中のB面にこそテーマがある ) に続く・・・・・ 

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