◆ 船代をケチったイギリス人の船乗りが、泳いでドーバー海峡を渡るのに成功(1875年)。クラゲに刺され潮流に流されもしたが21時間45分かけて泳ぎ切った。以降、後継者達がチラホラ。大和撫子・大貫映子が9時間32分(1982年)で泳いだ。 ◆ パリを4年間も我が物顔に振る舞ってきたナチスとその協力分子に、市民の不満が爆発。この日から数年間、市内全域をリンチの嵐が襲うことに(1944年=パリの解放)。 ◆ 安藤さんちがお湯をかけて3分で食える袋ラーメンをロールアウト(1958年)。故に即席ラーメン記念日ってことになってしまっているが、同業他社にとってはお察し下さい。
◎ ◎ 第2回 隣り合わせの「死」を見つめる / Webナショジオ・インタビュー 野口健 ◎ ◎
- - -Webナショジオ Webナショジオ・インタビュー 野口健 / インタビュー・文=高橋盛男/写真=藤谷清美- - -
==1999年、七大陸最高峰の世界最年少登頂記録(当時)を樹立した登山家であり、近年では清掃登山やシェルパ基金の設立、ネパールでの学校建設、戦没者の遺骨収集などに取り組んでいる野口健、再びカメラを手にしたことで、新たな世界が切り開かれたという。==
――写真集『野口健が見た世界』には、ヒマラヤ、アフリカ、日本の写真が収められています。「死」がひとつの大きなテーマになっているようですが。
山登りをする僕たちにとって、死はいつも身近にあるものです。 エベレストも、1999年に僕が最初に登頂したころまでに1000人くらいの登山家が入山していますが、そのうちの300人くらいが遭難して命を落としています。 写真集の中にも、白骨化した登山家の写真があります。僕らは山で、そういうのを目にしていますし、自分自身も何度か死にかけています。
――写真集には、雪崩の中から脱出した直後の野口さん自身の写真もある。
あれは、僕の登山歴の中でも、相当なピンチでした。 2011年のエベレストでのことです。 上の方で爆発音のような大きな音がしたかと思うと、大雪崩が真っ直ぐに僕らの隊に向かってきて、一瞬のうちに飲み込まれてしまいました。必死になって雪から這い出した瞬間に、思わず自分に向けてシャッターを押していたらしいのですが、あとで写真を見てびっくりしました。
――この写真を写真集に載せたのは?単に登山の危険を伝えようとしたわけではないですよね。
違います。そうではない。僕らはふだん、文明に支えられて何不自由ない生活をしていて「死」を意識することがあまりないでしょう。あったとしても、そうリアリティーのあるものではないと思う。 でも、僕は死を意識する機会がないと、人間は生きるという欲求を薄れさせてしまうのではないかと思っているんです。
――さまざまな「死」を、山で見てきたからですか。
そうです。僕は、自分の年の数と同じくらいの仲間を亡くしています。 最初は19歳のときです。一緒に甲斐駒ヶ岳に登った先輩が滑落しました。冬の岩壁から、600m下へ。落ちた場所は、雪崩が集中するところで、捜索できませんでした。彼の遺体が発見されたのは、ゴールデンウィークごろ。雪が解けてからです。 すさまじい姿でした。頭はつぶれているし、腐敗がひどい。
それまで僕には、何となく「死」を美化しているところがありました。高校時代から読んでいた多くの登山家の本にも「死」が出てきます。けれど、登山は冒険ですから、死ぬこともあると思うくらいの認識。若かったから、むしろ命をかける行為に憧れを抱いていました。 しかし、実際に直面した「死」は、それよりはるかに生々しく、むごいものです。命をかけるのがかっこいいなんて、とんでもない思い違いだと、そのときに思いました。
――山で、ご自身が「死」に直面したときは、どう思いましたか。
人間も動物ですから、本能的に生きようとするのだと思います。 写真集にあった、雪崩から這い出たあとも、気がつくと、自分の体や顔のあちこちを触っているんですよ、生きていることを確認したくて。それから「生きたい」という「生」への執着心がワッと湧き出してくる。
一時期、子供の自殺が多発したことがありましたね。今は、中高年の自殺も多い。僕はあれ、「死」に対するリアリティーがないからじゃないかと思うんですよ。 「死」は、けっしてきれいなものじゃない。残酷で、強烈に恐ろしい。そのリアリティーがあれば、人間はそうそう自分から死ねるものではないと僕は思います。 それから、生きることにも、それなりの覚悟がいるものですよ。
――どういうことでしょう。
2007年にエベレストに登頂したときです。同じ隊ではないですが、ほぼ同時に登頂を果たした日本人登山家が、下山開始直後にうずくまって動けなくなってしまいました。 彼は「先に行け」というのだけれど、立ち去るわけにもいかない。でも、その場の選択肢は2つしかない。見捨てるか、とどまって死ぬか。あの標高では、助けるという選択肢はありえないんです。 結局、彼はその場で息を引き取り、僕はやむなく彼を残して下山しました。つまり、僕が「生きる」という選択をした瞬間に「仲間を置き去りにする」という覚悟をしなければならない。
――厳しいですね。
僕にそういう経験がなければ、戦没者の遺骨収集はなどしていなかったと思います。 遺骨収集を始めた理由のひとつには、子供のころから祖父に聞かされていた戦場の話があります。 祖父は、ビルマ(ミャンマー)のインパール作戦に従軍した参謀の一人で、自身は捕虜になって生き延びましたが、戦地に残した多くの兵士が戦死しました。
祖父は、そのことをずっと悔いていました。「自分は今、孫に囲まれて平穏に暮らしているが、幸せになればなるほど苦しい」とも言っていました。 山で遭難した仲間を置いてこなければならない状況に遭遇するたびに、僕は祖父の言葉を思い出すんです。僕にも「生き残って申し訳ない」という気持ちがある。 登山家が何で遺骨収集なのかと、よく言われるのですが、僕のなかではそんなふうにつながっているのです。
――高校時代に、野口さんを登山家へと導くことになった植村直己さんの話を、次にうかがいましょう。
・・・・・・・明日 ( 第3回 植村直己に教えられたこと ) に続く・・・・・
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