☆ バービーの誕生日。ちなみに生まれたのは1959年だが、実年齢は非公開。 史実では、ナポレオン・ボナパルトがジョゼフィーヌ・ド・ボアルネと結婚(1796年)。“恋多き女”で年下のナポレオンは手玉に取られたとか・・・・。 ☆ 寺田屋に投宿していた坂本龍馬が伏見奉行の襲撃を受ける(1866年= 寺田屋事件)。 ☆ 日本初の記念切手発行(1894年)。 &so、どさくさ紛れに、日本で商法公布(1899年)。
本日記載附録(ブログ)
車線上の無残な動物の轢死体_瞬時に目をそむけ、遭遇した不運を呪う
しかし、彼は「かわいそうに」を飛び越えて_噴き出す感情は「もったいない」
誰もが知り謎に満ちたモグラ_身近な存在である哺乳類を研究する「モグラ博士」
自称「標本バカ」というほど標本にも魅せられた国立科学博物館動物研究部研究主幹
「モグラ博士」として知られると同時に、「標本バカ」の哺乳類分類学者_川田伸一郎(10/mn)
【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
第4回 夢は世界のモグラをコンプリート! =1/3=
モグラの形態や染色体を調べるには、モグラを捕まえなければならない。つまり、モグラ研究者は、優秀なモグラハンターである必要がある。
川田さんは、自他ともに認めるモグラ捕りの熟練者である。
では、いったいどうやるのか。試行錯誤の後に出会った決定版というべき罠をみせてもらった。
「こういう罠をトンネルの中に仕掛けます。もともとイタチの罠に使ったものを小さくしてあって、中にモグラが入ってくると、バネが弾けて、リング状のワイヤーを引き上げて出られなくする、みたいな仕組みです」
細い塩ビ管のようなパイプを使っており、そのまわりに、バネの仕掛けがくっついている。一応、怪我をさせずにとる「生け捕り用」だ。川田さんは、このタイプの罠でだいたいのモグラを捕ってきた。
もっとも、仕掛けさえあれば、誰にでもすぐに捕まえられるというわけではない。
まず、モグラのトンネルがどこにあるか探さなければならない。トンネルを見つけられても、どのあたりなら罠にかかりやすいか知っていなければならないし、そのためには、モグラの行動パターンを読む必要がある。
お話を聞いて面白かったのは、モグラの活動時間が1日に3回(3周期)、ということだ。
「だいたいのモグラで、1日3回なんです。さらに調べると、同じところに住んでるモグラでは、その周期が同調するみたいです。罠をかけても、しばらくは全然かからない。でも、1匹捕れたら、ほかのところでもう1匹捕れてるとか、ですね。お互いに縄張りがあるので、そういうことをやらないと、1匹がどっかに侵入していって全部食い荒らしちゃうことになる。荒らされた方は生きていけなくなってしまうし、そういうことばっかりやってると、そのうち集団全体が絶えることにつながるんで、うまく折り合いをつけて、活動期の同調性というのが進化してきたんじゃないのかって言われてるんですけどね」
モグラハンターの立場からは、この3周期は「モグラを捕まえるチャンスは1日に3回ある」ということでもあって、なかなか都合がいいことのようだ。
さて川田さんは、日本国内のモグラの標本を自ら入手し、形態や染色体を見るようになってから、次第に海外にも目が向くようになった。日本国内のモグラはモグラ亜科の6種にヒミズ亜科の2種を加えて8種。世界では40種そこそこ。川田さんは、その中の25種を捕獲し、研究してきた実績を持つ。
モグラハンターの立場からは、この3周期は「モグラを捕まえるチャンスは1日に3回ある」ということでもあって、なかなか都合がいいことのようだ。
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
【参考資料】 : 川田伸一郎と世界のモグラたち(3/5)
Ω 国立科学博物館動物研究部/2014年度大会公開シンポジウム記録 Ω
モグラ分類学の現在 2,形態観察への目覚め
北米のモグラ科を調べているさなか,ロシアのノボシビルスク市にあるロシア科学アカデミーへ留学することとなった.ここではアルタイモグラ Talpa altaica の核型分析を行う予定であったが,10 月に降り始めた雪は街や森を覆いつくし,モグラの捕獲は不可能となった.幸いにも短い夏の間に得ていたデータで満足することとし,筆者が向かったのはシベリア動物学博物館であった.
ここには 1,700点を超えるアルタイモグラの標本が所蔵されている.博物館で標本を調べる研究はこの時始めて体験し,主にアルタイモグラの歯数変異や形態変異,またコーカサス地方のモグラの種間形態変異を調査することとなった.
この経験によって筆者は後に「標本バカ」を自称するほどの標本作成および収集活動に明け暮れることになり,さらには現在の博物館研究員を職とすることになった.博物館での標本調査は筆者を染色体研究者から,標本を扱う分類学者へと成長させていく.
分類学者としての最初の研究は,台湾のモグラに関するものだった.台湾にはタカサゴモグラ M. insularis という 1種が分布するとされていたが,この種の染色体調査のために訪問した際,共同研究者から山地に棲むという謎のモグラの話を聞いた.
翌日すぐに車で玉山の 2,800 m 地点まで移動して,その夜,明らかに平地の個体とは毛色が異なるモグラを 1 個体捕獲することができた.帰国後,調査した核型はタカサゴモグラの染色体数 32 と同じで,分染法を用いた分析でも差異は見つからなかった.
そこで形態分析を主眼として調査を行うこととなった.このモグラを巡って数度台湾を再訪し,また米国の博物館を歴訪して標本を計測・観察し,ついに新種として認めることができたのがヤマジモグラ M. kanoana である.
最終的に行き着いた地はアジアである.中国からネパールにかけての地域にはモグラは連続的に分布せず,山地に限定された飛び石状の分布を示す.これらのグループは イ ン ド 東 部 か ら 中 国 南 西 部 に 分 布 す る ア ッ サ ム モ グラ Parascaptor leucura や 現 在 ミ ズ ラ モ グ ラ と 同 じ 属Euroscaptor に分類される数種が含まれる.
アッサムモグラは比較的最近ミャンマー北部で捕獲したが,上顎小臼歯が一対少ない点が特徴的な,一属一種とされる興味深いモグラである.マレー半島で捕獲されたモグラはタイのクロスモグラ E. klossi の亜種 E. k. malayana であるとされていたが,筆者がタイで捕獲したクロスモグラとは明らかに臼歯の形態が異なっており,また尾率が小さいことが分かった.
さらに核型分析の結果,マレー半島とタイのモグラは染色体数が同じであったが,相互転座という染色体再配列によって変化したとみられる違いがあった.これらに分子系統学的データを加味して,マレー半島のモグラをマレーシアモグラ E. malayana として独立種に位置付けることができた.
続く・・・・・
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