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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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“モグラ博士”哺乳類分類学 / 川田伸一郎(08/nx)_学究達=667

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年03月06日<ⰧⰊⰧ

☆ 倶知安町で豪雪の最中に映画でも観て楽しもうとしたら、観衆の熱狂が過熱する大事に。余りの惨禍に先帝陛下が見舞金を下賜するまでに至った(布袋座火災・1943年)。     ☆ この季節、大学の卒業旅行で世界一周をさせようと日本航空が世界一周便を就航させる(1967年)も、パンナム・BOACなどの欧米大手の競合に敵う筈も無くたった5年で終了。     ☆ リクルートの創業者から未公開株を貰って得をしたNTTのドン(1989年)やゼネコンにも政界にも睨みを利かせた小沢一郎の師匠(1993年)など政治とカネをめぐる一件でお縄になる特異日。

本日記載附録(ブログ)

車線上の無残な動物の轢死体_瞬時に目をそむけ、遭遇した不運を呪う

しかし、彼は「かわいそうに」を飛び越えて_噴き出す感情は「もったいない」

誰もが知り謎に満ちたモグラ_身近な存在である哺乳類を研究する「モグラ博士」

  自称「標本バカ」というほど標本にも魅せられた国立科学博物館動物研究部研究主幹

  「モグラ博士」として知られると同時に、「標本バカ」の哺乳類分類学者_川田伸一郎(08/mn)

【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 第3回 「昆虫少年」が「モグラ博士」になるまで =2/3= 

   当時、弘前大学には博士課程がなかったそうで、川田さんはさらに研究を進めるためには他大学の博士課程の試験を受ける必要があった。一時、岡山の実家に戻って機会を伺い、名古屋大学の博士課程に入る。愛知県設楽町にある畜産系の実験実習施設に住み込んでの研究生活で、ヒミズではない「モグラらしいモグラ」に吸い寄せられていった。

 ヒミズの研究で親しみがあったとはいえ、本格的なモグラ研究へと進んだのは、かなり偶然の出来事がいくつか重なったからだという。例えば、日本中のモグラ愛好家(?)が集まる「第1回モグラサミット」に参加して刺激を得たこと。「染色体学会」でヒミズの研究を発表したところ、ほとんど同時期に行われた哺乳類学会でモグラの研究発表がある(つまり、モグラの研究者がいる!)と知ったこと。また、分類的に色々な論争があり、そんな中で、染色体を見る技術を持った川田さんなら寄与できることがあるかもしれないこと。モグラをテーマにして研究を深める、ひとつの方向性が見えてきた。

 その時、染色体の研究者がモグラ研究に入っていく、というのは何を意味したのか。ちょっと教えてもらう。

「染色体を見ることで、異論はあるかもしれませんが、外見ではわからないような種の違いを判別できるというのがあります。染色体の形や数が違うと、繁殖能力を非常に阻害しますので、形態は似ているけど、繁殖できない、というふうなのも出て来ます。もちろん、形態を見て、明らかにこれは違うなっていうのもいますけどね。例えば、頭骨の標本を見て、やっぱり違うと思って、そのあとで染色体を見て、これは別種、新種だな、というふうに確認するようなことが多いと思います。そういう意味では、今では染色体を見るというのは、ずいぶん形態の研究の側になってきているんです」

 染色体の研究は、形態の研究に近い。そういう認識は、新鮮だった。門外漢であるぼくにしてみると、細胞分裂だとか、遺伝だとか生物の基本原理にかかわるものだし、顕微鏡を覗かなければ見えないし、遺伝子が格納されているところなのだから、遺伝子の研究に近いような印象を持っていた。それなのに、頭骨の形がどうしたとか、歯式がどうしたとか、形態の研究に近い面もあるとは。

さらに、種の違いが判明する鍵としての染色体というのも面白い。種とはなんだろう、と大きな問いを深く考えていくと、哲学的な世界に入り込んでしまうのだが、生物学的で扱う種の考え方として一番よく使われるのは、マイヤーの生物学的種の概念だ。極端に単純化していえば、「繁殖可能かどうか」が、同じ種かどうかを分けるポイントになる。そして、染色体の数や形は、繁殖可能かどうかに直結する。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

【参考資料】 : 川田伸一郎と世界のモグラたち(1/5)

Ω 国立科学博物館動物研究部/2014年度大会公開シンポジウム記録   Ω

モグラ分類学の過去

食虫目モグラ科は約 40 種に分類されてきた.MammalSpecies of the World の初版(1982 年)から第二版(1993 年)を経て第三版(2005 年)まで種数の変遷を見てみると,それぞれ 31 種,42 種,39 種となっている.第二版から第三版では日本周辺の種がまとめられたために種数が減少しているが,1993 年頃にはほぼ分類学的整理が完了した印象がある.

哺乳類全種でみると 4,170 種,4,629 種,5,416 種と安定して増加しているため,モグラ科に関しては特に第二版出版以降の分類学的研究の遅れが見て取れる.上記初版の出版頃までの哺乳類分類学では,おおむね形態的な差異によって分類がなされた.

そのため調査が容易であったり,標本を保管する博物館施設がある国では,分類が整理されている状況があった.調べる研究者が多い地域でもむろん同様である.

一方で,日本を除くアジア地域のように調査が困難で分類学的研究を支える博物館が整備されていなかった国では,標本数も限られ,それらが採集された地域集団も限定される.特にモグラ類に関しては齧歯類や他の食虫類のような地上性の小哺乳類と比較すると欧米の博物館に所蔵される標本は少なく,また近年の標本数の増加もほとんどないように思われる.

1970 年代以降,染色体情報やアイソザイム等を用いた手法の発達により,これらが哺乳類の分類と系統推定に応用されるようになった.しかしいずれの手法でも新鮮なサンプルを必要とするため,材料入手の困難な地域については未解決な問題は解消されなかった.

日本産モグラ科に関しては,土屋公幸氏による研究が代表的なもので,染色体数や染色体構成といったデータがまとめられたが,種間でどのような染色体の変化が起こっているのか,また国外の種との関係性に関しては未解決となっていた.

米国の故テリー・イェイツ氏は,モグラ科は核型変異が少なく,分類学的情報に乏しいとしたが,果たしてそうなのであろうか?核型の報告がないモグラ科の種は多数残されていた.

モグラ類は地中性という生活スタイルのため,ネズミ類などとは採集方法が完全に異なっており,モグラを捕ろうとして罠をかけないとモグラは捕れない.

また一般に他の小哺乳類と比較して,捕獲するのが困難であると思われがである.材料入手が難しいというだけの理由で,博物館標本も数が限られ,分類学的再検討がなされていない状況があったと考えられる.

続く・・・・・

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