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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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“モグラ博士”哺乳類分類学 / 川田伸一郎(02/nx)_学究達=661

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年02月27日<ⰧⰊⰧ

☆ “ノアが箱舟からでることを許され感謝祭を実施、神が契約の証しとして虹を顕した日”なれど、ナチス支配下のドイツで、現状の息苦しさにムシャクシャした一共産党員が国会議事堂に放火(1933年)。    ☆ 集合住宅団地『まんまる団地』に住む推定60歳代の現役引退組が「シルバーパトロール(SP)隊」なる組織を結成(1976年)。     ☆ 日本のアイドル「ピカチュウ」の誕生。ピカチュウはマリオからアイドルの座を譲り受け、日米のアイドル対決は、正に「ネズミ」同士が対決する構図となった(1996年)。 

本日記載附録(ブログ)

車線上の無残な動物の轢死体_瞬時に目をそむけ、遭遇した不運を呪う

しかし、彼は「かわいそうに」を飛び越えて_噴き出す感情は「もったいない」

誰もが知り謎に満ちたモグラ_身近な存在である哺乳類を研究する「モグラ博士」

  自称「標本バカ」というほど標本にも魅せられた国立科学博物館動物研究部研究主幹

  「モグラ博士」として知られると同時に、「標本バカ」の哺乳類分類学者_川田伸一郎(02/mn)

【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 第1回 「モグラ博士」にして「標本バカ」 =2/3= 

 壮観である。と同時に、なにか厳粛というか、言語化するのが難しい感覚にもとらわれる。今は「標本」として棚の中に並べられているけれど、この「個体」の生きていた場所や時期はそれぞれ違う。採集者や標本製作者や研究者などの関わりがあって、はじめてここに所蔵されている。折りたたまれて格納されたまだ語られていないサイエンスやストーリーの密度はものすごい。

 よくよく見ると、モグラ標本の一群には、SIKという識別記号がついていた。これも「ストーリー」の1つだとすぐに知った。

「僕のコレクションの記念すべき0001、最初の標本です。1993年、名古屋大学で博士課程に入った時に、いちばん最初に捕まえたモグラで、コウベモグラです」

 SIKというのは、Shin-Ichiro Kawadaからとったものだそうだ。自分で創設したコレクション番号なのである。(2005年、科博の研究員に就任した以降の標本は、NSMT‐M の文字がついている。"National Science Museum, Tokyo"の略。科博の旧英名で、現在は、"National Museum of Nature and Science"になっているが、標本の登録番号は変更しない。ハイフンの後のMは、哺乳類Mammalを示す)。

「哺乳類の標本だけで5万点弱あります。モグラは3800点くらい。日本では最大なんですけど、ヨーロッパの博物館ですと、地方都市のものでも軽く10万点を超えたりします。僕は、ロシアのノボシビルスクという地方都市に留学していたことがあるんですが、その時、通って研究していたシベリア動物学博物館というところでは、哺乳類標本を11万点所蔵していました。小さな博物館なんですよ。そのクラスはロシアにはいくつもあるんです」

 ロシアに科博以上の標本数の自然史博物館がいくつもある、と。やはり、博物学の歴史の長さなのだろうか。さらに言うなら、アメリカのスミソニアン国立自然史博物館など、70万点以上の哺乳類標本を誇る、と聞いた。

 自然史博物館による標本収集は、19世紀の博物学時代には、標本のために大型動物をまとめて採集するような無茶をやったことがあるかもしれない。けれど、現在の発想としては、「生き物の死を無駄にしない」だ。科学的な研究の結果にせよ、自然な状況下にせよ、また別の理由にせよ、命を落とす生き物がいたら、手の届く範囲で標本化していく。死んでなお、知識の体系を支える標本として、新たな命を吹き込む。そういう仕事を自然史博物館はしている。

 さて、標本を前に、川田さんの語り口は概して淡々としたものだ。しかし、ふとした瞬間に熱が籠もることがある。

「もっとバカげたものを見ますか?」と川田さんは言った。

「はい、見ます」意図が分からぬまま、ぼくは即答した。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

【参考資料】 : ゾウ埋めて、タヌキ煮る「標本バカ」な男の生活(2/3)

Ω あまり知られていない博物館研究員の仕事とは/ 中村 陽子 : 東洋経済 記者 Ω

──“標本バカ”として覚醒されたのはロシア留学時代とか。

弘前での学生時代、実験結果の信頼性を示す証拠として標本を残すよう、指導されたのが最初でした。当時は単にアルコールにポチャンってやる程度だった。

その後モグラの染色体の研究でロシアへ行って、価値観が変わりました。夏場に捕った30匹の頭骨標本のうち、4〜5匹の歯の数に変異があったんです。それはちょっと異常な率で、冬場は積雪でモグラを捕獲できないこともあり、これは調べてみようと博物館の門をたたいた。そしたら大量のモグラの標本に遭遇した。衝撃的でした。

博物館の研究員がしていること

──で、なぜ“バカ”に?

博物館の本来の存在意義を、ロシアで初めて知ったわけです。博物館の真に大切な機能は、展示より、研究者を支援するために生き物の標本をたくさん収蔵しておくことなんだと。いつでも誰でも使えるよう整備しておくことが大切なんだというのを学びました。

帰国後は、自分が作った標本や研究室にゴチャッと置いてあった標本を全部整理することから始めた。そのうち噂が広がって、猟師さんなんかが声をかけてくれるようになり、「こんなのもあるぞ」「やります、やります」と。その頃からがバカでしょうね。

──大学に残るのではなく、博物館へ就職されたのもその延長線?

そう、僕が働く場所は博物館やと決めたんです。博物館での僕の生活はそうとう変わっている。でも博物館にはそんな人間がいて、博物館とは大事な標本を集める場所なんだよ、というのを純粋に知ってほしいとこの本を書きました。多くの人にとっての博物館は展示室だけど、本当は裏側があって、バカみたいに地下の部屋にこもって標本作る人がいる場所なんだ、どうだ面白いだろ?みたいな。

──確かに博物館の研究者の仕事って、イメージしにくいです。

博物館はむしろ未来のために存在してる、そんな信念を持ってやっています。未来のために、が博物館そのものの存在意義。

例えばこのケナガネズミ。日本でいちばんデカいネズミですけど数が急減していて、100年後いるかどうかわからない。なので今いる個体を適切に処理して収蔵庫にしまっておく。僕自身は大して興味なくても、標本にしておけば100年後、絶滅したケナガネズミを知りたい人が出るかもしれない。そのときのために残しておく。

絶滅危惧種ではないヤギだって、今後もしかしたら変異していくかもしれない。100年前のヤギはあごがこんな形だった、と残すことが未来につながる。何でも残しておけば、後で絶対に役に立つ。

続く・・・・・

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=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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