☆ 本日は、国民の祝日に関する法律第2条に「建国をしのび、国を愛する心を養う」と規定された建国記念の日です。建国記念日ではなくて、建国記念の日です。大事なことなので2回言いました!!!?。 ☆ 建国記念の日で疑問を呈された三笠宮崇仁親王に対し、国を憂いた右翼が自邸に押しかけてお叱り申し上げた(1954年)= 3人の兄たち(昭和天皇、秩父宮雍仁親王、高松宮宣仁親王)とは年齢も離れた四男であり、皇位継承の可能性が低かったことから、かなり自由な立場で行動する親王への鉄拳。 ☆ 東側の鉄のカーテンに対抗し、イギリス保守党が鉄の女をボスにする(1975年)。
本日記載附録(ブログ)
イルカと話しがしたい――高校生の時に映画「イルカの日」を見てそう思った
研究者を志し、20年以上イルカと話す研究を一歩一歩進めてきた
海洋レジャー施設「鴨川シーワールド」のシロイルカ、ナックと1989年に出会う
1996年からナックに言葉を教える研究を続けてきた
会話は実現するのだろうか? 東海大学教授・村山司・(06/mn)
【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
第2回 イルカにはどのように物が見えているのか =3/3=
そういうわけで、村山さんはまずイルカの視覚から研究を始めた。それも、基礎中の基礎ともいえる「イルカの視力」がテーマだった。
「イルカの眼球の標本で、網膜の神経節細胞とか、視細胞を一生懸命数えて、その密度から視力が推定できるんです。それで、シロイルカを含めて、イルカってだいたい0.1くらいの視力があると分かりました」
視力というのは、どれだけ細かなところまで分解して見ることができるかという解像度のことなので、基本的には網膜の上のセンサー密度によって決まる。もちろん、近視になったりしてレンズの焦点がぼやけると網膜の「性能」が活かせずに解像度が落ちる。我々が社会生活上問題にしている視力は、むしろ、焦点が合わなくなっている状態のことが多いので、ちょっとだけニュアンスが違う。
「あとはコントラストの識別、だいたい人と同じようにコントラストがわかるんだなとか、回転する図形を見たときに、人と同じように回転する角度が大きくなると間違いやすくなるんだなとか、そういったようなことは、今度は水族館のイルカでの実験でやっていきました」
具体例として、回転する図形について。
「これは、カマイルカでやった実験なんですが、JやVという文字を使って、それを45度、60度、90度、というふうに回転させながら、区別できるかというのを見るんです。回転する角度が大きくなるほど、正答率が落ちていくという結果でした。シロイルカのナックでも、似たような実験をやりまして、同じような結果になりました」
さらに、興味深いのは色覚についてだ。
「イルカの網膜には、色を判別する錐体という視細胞があるにはあるんです。でも、今まで、実際に色を識別できたという報告がありません。わたしも、やってみたんですけど、白と黒や灰色の濃淡は分かっても、色が分かっているふうではないですね。青と白を見分けさせようと思って、青を選んだと思ったら、それは単に色が濃い方を選んでいたり。だから、その青よりももっと濃い灰色を持ってくると、青じゃなくてその灰色を選んでしまう、とかですね」
海の中は濁っていれば何も見えないし、透明度が高くても青に塗り込められた世界で、繊細な色覚を持っていても、あまり役に立たないというのは想像できる。しかし、錐体を持っているのに色を識別できないというのは面白い。いずれにしても、村山さんが目指す人工言語では、色の識別は使えないということはよく分かった。
「自分でやった実験やほかの研究者の成果で、だいたい、イルカが人と同じように見えているというのが分かってきました。これが90年代の前半です。では、次はというと、人と同じふうに考えているのか、というのを見ておきたくて、言語の前段階の実験をいくつかしたんです」
なんと、イルカが「人と同じふうに考えているのか」とは!
興味津々である。
次回は“ 第3回 イルカは人と同じようにものを考える? ”に続く・・・・・
【参考資料】 : ジョン・C・リリー(2/3)
生涯(その1/2)
ジョン・C・リリーはミネソタ州セントポールでカトリックの銀行のオーナーの御曹司の家に生まれた。
父は東海岸のマサチューセッツ工科大学進学を強制しようとしたが、リリー自身はカリフォルニア工科大学を希望し、結果的にカリフォルニア工科大学へ進学し物理学を学んだ。1934年には、作家のオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』に衝撃を受け、学術への関心が物理学から生物学に移り、脳の謎を説明するのに「より満足のいく」概念を提供する生物物理学に惹かれるようになった。
在学中に最初の結婚。恩師の忠告で脳を研究するためヒトの解剖学の講義を受けられるダートマス大学へ進学し医学を学び、転校してペンシルベニア大学を1938年に卒業し、医学博士号を取得した。また、アンナ・フロイトに師事した精神科医ロバート・ウェルダーの下で精神分析を学んだ。第二次世界大戦中は高空における人間の状態研究に従事し、ジェットパイロットのガス圧を測定するための機器を発明しており、ここから自身を実験体とする彼の研究スタイルが始まった。
1952年、神経生理学者として、「脳と身体と心の活動の関係についての研究プログラム」という野心的な提案を掲げ、メリーランド州ベセスダのアメリカ国立精神衛生研究所(NIMH)の大脳セクションの責任者の地位を引き受けた。10年間脳に関する実験を続け、「大脳のひだのどこかに隠れている意識的自己の追求」に没頭した[3]。彼の研究目的は、コミュニケーション理論、神経生理学、精神分析学を組み合わせ、新しい脳マッピング技術を用いて、サル、ネコ、ヒト、そして後にはイルカの脳内の行動相関を物理的に特定し、操作することだった。
当時、神経生理学は、意識を維持するために脳に外部刺激が必要かという疑問があり、リリーは外部刺激を遮断した状態を観察するために、世界初のアイソレーションタンクを製造し、自分で最初に実験した。
実験を始めて最初の1年で、リリーのアイソレーションタンクの使用時間はどんどん伸びていき、「24時間こうして浮いていられたら最高だろうな」と、友人のピート・ショアライナーに言ったところ、フロリダに水棲生物のイルカを見に行くことを勧められた[3]。当時イルカはニシンを食べる害獣でしかなかったが、リリーはフロリダのマリンスタジオを訪れ、イルカの脳の大きさを見て、クジラの知性の可能性に感銘を受け、バージン諸島にイルカのコミュニケーション研究所を開設し、10年間の実験を開始した[3]。イルカに人間の声をまねするよう教えることができると気が付き、イルカが話している言語を知りたいと思うようになった。イルカは体積比における脳の割合で人間よりも大きな脳を持っている(と彼が考えた)ため、彼らの脳の方が進化しており、そのコミュニケーションのモードは人間よりも洗練されているだろうと仮説を立てた。脳を生命コンピュータとしてプログラミングの観点で考え、イルカに言葉を覚えさせる訓練を行った。
続く・・・・・
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