☆ Hyde!!?の誕生日。だが、依然としてhydeの身長は156cm。 ハハハー お判りかな、16歳の少女が、フルメタル・ジャケットのジョーカー宜しく銃を乱射(1979年)。ホント 月曜日は憂鬱だぜ! フゥハハハーハァー!! ☆ インスブルックオリンピック開幕(1964年)。そして四年後 ノンポリな東大医学部の学生が無期限ストに突入(1968年=東大紛争)。バリケードを築いて、インテリの行動とは思えぬ景色が・・・・ ☆ 金正日が、サダム・フセインやアリー・ハーメネイーと並んで悪の組織のボスに認定される(2002年)。
本日記載附録(ブログ)
アフリカ大陸で誕生した私たち現生人類は、約5万年前頃までにはアジアやオセアニアの島嶼域への移住を開始した。
もともと陸の生き物である人類はどのように海洋世界に適応し拡散したのか――。
海を通じて世界を見渡し、人類の島嶼適応や移住といったテーマを軸とする
人類史的な視座、巨視的な研究者/小野林太郎(08)
【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
第6回 海底に沈む遺跡を究める「水中考古学」に刮目せよ! =1/2=
小野さんは、2009年に東海大学海洋学部に赴任した。それ以来、従来の海洋考古学に加えて、さらに別の方面へと足を踏み入れている。
これまでは陸上で遺跡を発掘したわけだが、海の底に沈んでいる水中文化遺産の調査研究を始めた。水中考古学とも呼ばれる分野である。
海辺の遺跡の研究から、今度は海底に沈んでいる文化遺産へ。自分の足で立って歩ける陸地から、海の底の話になるわけだから、言葉で想像するよりも大きな「跳躍」、いや、「飛び込み」であると思う。
「実は、東海大に赴任する前に総長面接があって、直々に「やれ」と言われました(笑)。オセアニアのこともいいんだけど、水中のほうも含めて何かやれと。それまで、水中考古学ってほとんどノータッチだったんですけど、昔、高校時代には結構興味があったんです。ちょうど初年度からいろいろ偶然が重なって始めることができました。国内、それも東海地方での調査です」
水中考古学というのは、ぼくの個人的な感覚なのかもしれないが、とても心惹かれる響きだ。例えば、エジプト・アレキサンドリアの水没遺跡など発見のニュースを聞いた時には心躍った。歴史のロマンに加えて、どこか神秘的なものを感じるのである。
日本での調査・研究はどんなふうに展開しているのだろう。
「NPO法人のアジア水中考古学研究所ってご存じですか。そこが日本の水中文化遺産のリストをつくるプロジェクトをやっていました。それ以前に文化庁に登録されていた水中文化遺産って100幾つぐらいで、非常に少なかったんです。日本は何万と遺跡があるのに、水中文化遺産になると本当に一握りしかない。そもそもどこにどんな遺跡があるか調査をする必要があって、私たちは東海地域の調査を担当することになりました。基本的に東海地域を中心に、週末2泊3日とかで休みとかも使って、学生らと一緒にひたすら現地を歩きました」
水中の遺跡調査でも、まずは最初に歩くことから始める。当たり前とはいえ、地道な話である。同時に楽しそうでもある。その時の学生さんたちは、何かを始める時の興奮をたっぷり味わっただろう。
「とにかく地元の漁師さんとかダイバーの人に会って、話をうまく聞き出してくる。そういうの、人類学者は得意なもんですから。それで結構、新しい遺跡があるのが分かりました。例えば初島沖。ここの海底に徳川の瓦があるという情報を熱海での調査時に仕入れたので、訪ねてみたらちょうどお祭りをやっていたんです。そこでそこにまぎれて地元の方と仲良くなって、この情報が本当であることを確認できました。海底に瓦がたくさあって、徳川の葵の紋様がついてるって」
東伊豆の初島沖に葵の紋様の瓦! なにかそそられるものがないだろうか。ぼくは、とってもそそられる!
そこには、どんな徳川由来の建物があったのだろうか。
「建物ではなくて、船ごと沈んだというふうに考えられています。江戸城って何度か火事とかで修復の必要があって、その際に大阪のほうから瓦を船で運んでくるところだったと。きれいに積まれた状態で出てるんで、恐らく船ごと沈んでるだろうと。一部、船材みたいな木材が露出してるんですよ。本当に船が沈んでた場合、保存状態のいいものかもしれない。近世の船が、そういう形で水中から出てきたものっていうのはまだ1点もないので、価値が非常に高いというふうに考えているんですね」
実は小野さん達が情報を仕入れた時点で、すでに何点か瓦が引き上げられていて、地元では瓦のまわりに夜な夜な侍の幽霊が出るとか、恐れられていたという。海底の遺物というのは、神秘的というのと同時に、冥界に通じるような独特のほの暗さがある。それは、よく分かる気がする。
しかし、建物ではなくて、沈没船由来のものなのか。
残念。とどこかがっかりしたのは、アレキサンドリアの水中遺跡からの連想でそちら方面を期待していたからだと思う。実際は、近世の沈没船が海底で見つかること自体凄いことであり、学術的な意味も文化的な意味も計り知れない。間違いない。
では、今後の具体的な計画はどうなっているのだろう。調査を進め、将来的に引き上げるとしたら……。
「実は、今、基本的に引き上げるというのはあまりしないんですよ」と小野さん。
ええっ、そうなんですか! よく沈没船から「お宝」を引き上げているダイバーの話を聞いたことがあるものだから、すっかりそういうものだと思っていた。
「今ユネスコが、水中文化遺産保護条約っていうのを推し進めていて、それの方針でも、やっぱり基本的に水中に極力とどめておくものだと。保存がきくんであれば、それのほうがいいっていうことと、上げるのは大変だし、上げた後の保存も大変なんです。そういうコストを考えると、やっぱりその場所にとどめておいて、むしろ見たい人には潜って見てもらう。ガイドラインをちゃんと確立すれば、地元にもお金が入るし、文化遺産も守られるっていうコンセプトです」
というわけで、初島の海底の瓦は、引き上げられず、現場に留め置かれる。水中で浮いてしまっていたりして、例えば次に台風が来たら行方不明になってしまう、というのでもない限り、現状維持される。今の目標は、水中の文化遺産として、県や地元の教育委員会に認知してもらい、埋蔵文化財包蔵地に登録してもらうことだそうだ。
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
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