☆ 余りの寒さから旭川市で焼酎が凍ってしまうほどに(1902年=日本の観測史上最低気温-41℃を観測)。流石にこの程度でウォッカは凍らないが・・・・・参加者210名中199名が死亡するという八甲田雪中行軍遭難事件(1902年)が発生。 ☆ 資本家と労働者の激突がエスカレートして、三井三池炭鉱が全山挙げての操業停止(1960年)。以後10か月近くも大騒ぎして3年後の大爆発の端緒を作る。 ☆ この年の正月にボクシングのチャンピオンを防衛したばかりの大場政夫が、高速道路上で大型トラックにKOされる(1973年)。
本日記載附録(ブログ)
アフリカ大陸で誕生した私たち現生人類は、約5万年前頃までにはアジアやオセアニアの島嶼域への移住を開始した。
もともと陸の生き物である人類はどのように海洋世界に適応し拡散したのか――。
海を通じて世界を見渡し、人類の島嶼適応や移住といったテーマを軸とする
人類史的な視座、巨視的な研究者/小野林太郎(05)
【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
第3回 人類はマグロを4万年以上前から釣って食べていた =1/1=
貝と石器しか出てこないタラウド諸島リアンサル遺跡は、小野さんによって集中的に発掘・研究された。食べ物として貝ばかり出るという不思議なところだ。日本の貝塚だって、決して貝ばかりではなく、魚骨や獣骨も出てくる。いったい、なぜ貝ばかりなのか。
「動物が出ない理由として、1つ言えるのは、そもそも動物がほとんど住んでない島なんですよ。陸上の動物で、人間が持ち込んだもの以外でもともといたっていうのは、コウモリのたぐいと、クスクスと呼ばれる有袋類のたぐいだけなのですが、これらが本当にその当時いたかどうかわかってないんですけど、少なくとも今はそういったものが現生でいるっていうことなんですよね。食べられるタンパク源になるものが極めて少なくて海洋資源に依存しなきゃいけなかったんでしょう。ただ魚が全然出ないっていうのは非常に不思議なところです。普通出るところは出るんですけど、ここは本当に貝しか出なかった」
実にミステリアスな遺跡なのだ。
では、遺跡はどんな状態だったのだろう。
「掘っている感覚としては、日本の貝塚とはまったく違います。貝が出てくる層というのが上から下までわずか60センチなんですよ。その60センチの中で、3万5000年から8000年前まで、結構きれいに分かれます。それだけ堆積が浅いってことは、そんなに多くの人が使ってなかったっていうことが1つと、断続的に形成されているのはどういうことだろうか、と。私なんかは、恐らく、資源が非常に少ないので、どこかにまた移動したか、あるいは死に絶えたかっていうふうに考えていて、だから当時の狩猟採集民の人たちが、資源が非常に限られている離島に移住しても、継続的に居住するっていうのはかなり難しかったんじゃないかと。この事例ではそのような議論もしたことがあります」
別の島の話題に移ろう。東ティモールのジェリマライ遺跡。4万2000年ぐらい前のこの遺跡では、また別の生活ぶりを垣間見ることができる。
「4万2000年ぐらい前までさかのぼる、今のところウォーラシア海域で一番古い年代が出ている遺跡です。私は、出てきた魚骨の分析を担当しました。ここで特徴的だったのは、とにかく魚骨がすごい出たこと。貝も出ているんですけど、貝だけじゃなくて、海産資源がいろいろ出ていて、特に魚の骨が非常に多く出ている特徴的な遺跡でした」
実はこの遺跡の論文は科学雑誌のサイエンスに掲載され話題になった。魚の骨が大量に出てくることが稀なのと、さらに小野さんによる分析の結果、おもしろいことがわかったからだ。
「貝は結構いろんなところから出るんですけど、ここのように魚の骨がパッキングされて(ぎっしり詰まった状態で)出てくるっていうのはなかなかなくて。そういう意味で非常に面白い遺跡だったのは間違いないんですが、それに加えて、魚の骨を見ていくと外洋性の魚、サバ科のマグロだったりとかカツオの仲間が、一番下の4万2000年前の層からも出てきたんですよね。一般的に、遊泳速度の速い外洋系の魚って捕るのが一番大変な魚でして、そういった魚を捕り出すのは多分1万年より後、新石器時代になってからじゃないかっていうのが定説だったんです。その予想を覆すということで注目を浴びました」
それまで知られていたヨーロッパやアフリカの遺跡では、マグロなどの利用は一番古くても3万年前頃だそうだが、人類が海洋に適応する最前線だったウォーラシア海域では、さらに前からそれらを捕っていた。
ところで、マグロなどの外洋性の魚を捕るにはどれくらい沖に出なければならないのだろうか。ふと考えれば、今も相模湾や駿河湾にマグロが入ってくる。定置網にかかったり、遊漁船で釣られることもある。
「ええ、そうです。日本もそうなんですけど、ガーッと海が深くなったりしてると、結構入ってくるんですよね。ですから、ここも議論がちょっと分かれていて、私が主張したのは、外洋性というより、遊泳速度の速い魚を捕っていたということです。どこで捕っていたかっていうよりも、捕り方のほうの問題です。恐らくマグロとかサバ科ですと、釣りで捕るのが最も一般的なので、釣り漁が既に4万年から3万年前に実践されていたかもしれないという、その根拠につながるのですごいということを言いたかったんです」
論文は外洋まで出て漁をしていたかもしれないというところが注目されがちだそうだが、それは正直言って分からない。しかし、マグロやカツオを捕るには釣りが最初の選択肢であり、それをウォーラシア海域ではかなり昔からやっていたと示唆するものと捉えるべき、という。なお、釣りをしていた証拠は、氷河が後退し海面が上がった1万年前の完新世の始まり以降になると、世界のあちこちで見つかるそうだ。
「やっぱり海面がどんどん上がってきて、とにかく世界じゅうで人類と海とのかかわりっていうのがすごい急激的に増加した、そういう時代ですから」
ウォーラシア海域はそれを先取りする、海への適応の現場だったと言えそうだ。
明日“ 第4回 人類拡散の最終章をつづった謎のラピタ人とは “に続く・・・・・
小野林太郎(おの りんたろう)1975年、島根県生まれ。東海大学海洋学部海洋文明学科准教授。博士(地域研究)。2003年、上智大学外国語学研究科地域研究専攻博士課程単位取得後、日本学術振興会特別研究員(国立民族学博物館)、総合地球環境学研究所研究プロジェクト推進支援員,日本学術振興会海外特別研究員(オーストラリア国立大学)などを経て,2010年より東海大学海洋学部海洋文明学科に所属。専門は海洋考古学、東南アジア地域研究、オセアニア考古学。『海域世界の地域研究 (地域研究叢書 24) 』(京都大学学術出版会)などの著書がある。
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