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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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感染症の把握と実験室診断法/安田二朗(01/mn)_学究達=597

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年11月23日<ⰧⰊⰧ

☆ 『種の起源』出版(1859年)。ダーウィンは冒険家の植物学者A.R.ウォレスが送ってきた論文盗用して発表したとか… ☆ 山崎晃嗣が、抱えた莫大な借金を清算する目的で青酸カリを呷りエクストリーム・自殺(1948年)。東京大学の学生による闇金融起業が法律違反として警察に検挙された事件=光クラブ事件= ☆ 一昨日にジョン・F・ケネディをぶっ殺したオズワルドがリンチされる(1963年) &so 山一證券がギブアップ。記者会見ではトップ・野澤が“社員は悪くありませんから”と号泣したが、責任者達は粗方あの世に行くか時効を迎えて逃げ切る(1997年)。

本日記載附録(ブログ)

エボラ、マールブルグ、ラッサ、クリミア・コンゴなどの出血熱

インフルエンザ、ノロ、マダニから移るSFTS

ウイルス性の「新興感染症」の研究と新たな治療薬の開発

 バイオテロ対策への貢献で文部科学大臣表彰科学技術賞をも受賞 

  = 感染症医療分野で未踏の領野に挑む・安田二朗(01/nm)= 

【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

  第1回 エボラ出血熱と、バイオテロ対策と、 =01/nm= 

感染症について調べ物をしていると、その名前に出会い、何をするところだろうと不思議に思う人は結構いるのではないだろうか。

 熱帯の医学研究をなぜ日本で「研究所」を構えてまで行うのか。なぜそれが長崎大学にあるのか。そもそも、熱帯医学って何をしているのか。

 謎だ。

 そんな疑問を抱いていたところ、研究所の新興感染症学分野の研究主宰者、安田二朗教授が、感染症などを使ったいわゆるバイオテロ対策への貢献で、平成26年度、科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞(開発部門)を受けたことを知った。

 長崎、熱帯医学、バイオテロ対策。

 いったい、どんなことがここで起きているのだろうか、と更に謎が深まる。

 好奇心ではち切れんばかりになりつつ、安田教授の研究室を訪ねた。

 長崎大学医学部のキャンパスは原爆の爆心地に近く、ほとんど全滅の憂き目にあった旧長崎医科大学の敷地をひきついだものだ。大学病院も医学部キャンパスも、浦上天主堂などのモニュメントから徒歩圏内にある。

 熱帯医学研究所は、医学部キャンパスの奥まったところにたたずんでいた。建物入り口付近に掲げてある「表札」にずっしりとした歴史の重みを感じた。

 入り口まではだれでも立ち入れるものの、研究室がある上の階に行くためには、IDを持った人と一緒にゲートをくぐらねばならない。BSL-3(バイオ・セーフティ・レベル3、扱うことができる病原体の危険のレベルが上から2番目)の表示があって、身が引き締まった。

 安田さんの新興感染症学分野の研究室は、一見、普通の生物学・医学系の研究室と変わりない印象だ。それもそのはずで、ウイルス研究のための諸々の実験機器は、ゲノム研究だとか、今、流行の幹細胞の研究だとか、他の生物学・医学研究で使われるものと重なる部分が少なくない。素人がぱっとみた限りでは、生物や医学の研究室だろうな、くらいの印象になる。

 安田さんは、助教や大学院生がいる大部屋の奥にある教授室で、まずはこの「エキゾチックな研究所の謎」から説き起こしてくださった。

「第2次大戦中の1942年(昭和17年)、当時、長崎大学じゃなくて、長崎医科大学なんですけれども、そこに東亜風土病研究所っていうのが開設されています。最初、風土病研究所だったんですね。古くは江戸時代から長崎は海外に対する門戸だったので、いろんな病気がまず長崎に入ってきたっていう経緯もあって、東亜、東南アジア、東アジアのほうからの感染症が想定されていたわけです。それで、戦後、1967年にもなりますと、東亜風土病研究所という名前がなじまなくなってきたので、広く熱帯地域の感染症研究をするということで、熱帯医学研究所と名前が変わりました」

 さらりとまとめるとそういうことになる。

 間に、原爆によってまさに焼け野原になってしまったキャンパスや病院を復興するために大きな努力が払われたことは間違いないのだが、それはまた別の大きな物語だ。

 東亜風土病研究所から、熱帯医学研究所へ。

明日に続く・・・・・

【参考資料】 : ウイルス感染症の把握と実験室診断法(1/3)

Ω・Ω 熱帯医学研究所安田二朗教授にインタビュー  Ω・Ω

2016年からガボンで実施されている「公衆衛生上問題となっているウイルス感染症の把握と実験室診断法の確立プロジェクト」の専門家として従事している熱帯医学研究所安田二朗教授に、同プロジェクトの取り組みや現況についてインタビューを行いました。インタビュー日:2021年1月14日 

; JICAホームページ 、長崎大学ホームページ

 ―― 本ガボンでは死因の半数を感染症が占めている(2011,WHO)ものの、新興・再興感染症への対応能力は低く、中核研究機関においても殆ど研究実績がないと聞いています。
本プロジェクトは公衆衛生対策上優先度の高いウイルス感染症に対する迅速診断法の開発に係わる共同研究をランバレネ医療研究センターと実施することで、ガボンのウイルス感染症研究開発の能力の向上を目指しています。
安田先生のウイルス感染症への関わりと、専門家としてこのプロジェクトに参画したきっかけは何ですか?

安田教授:私自身はもともとウィルス性出血熱といってエボラ出血熱、マールブルグ病、ラッサ熱という日本で一類感染症と分類される極めて致死率が高い高病原性のウィルスについての分子生物的な研究をしていました。長大に新しい実験施設とウイルス研究室をつくる話があり、当時の学長の片峰先生からの誘いがあって2010年に熱帯医学研究所(熱研)に移ってきました。ラボの中にいて感染症全体が分かるわけではないので、実際に発生している場所にいかないと色々なことが見えてこないだろう、せっかく熱研に来たのだからフィールドもやろうということで、最初にナイジェリアのラッサ熱に取り組みました。同国出身の留学生との縁でした。

その後2015年に西アフリカでエボラの大流行が起きた時、もともとエボラも研究して診断法なども開発していましたので、開発した診断法を現地で実際に評価試験を行うことにしました。これもギニア出身の助教との縁で、ギニアで行ないました。ブラジルのジカ熱にも協力しました。

安田教授:ガボンではエボラも2000年前後に4回発生し、私はバックグラウンドが獣医なので野生動物にも非常に興味があり、関心を持っていました。国土の80%が森林で、野生動物も沢山保護されていて、ニシローランドゴリラの一大生息地があります。でもエボラで5000頭ぐらい死んでしまった。そういう状況で人獣共通感染症にも興味があるのでガボンでも何かやれるかもと思ったのが参画のきっかけです。感染症は国境を越えて広がるので、ガボンの周りの国でも色々なウイルス感染症が存在することにも興味を持っていました。熱研内でガボンへの協力の話が持ち上がり、在ガボン日本大使館の支援も受けながら応募し、幸いにも採択されたのです。

・・・・・・・つづく

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=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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森のなかえ

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