☆ ヒュー・グレイがネッシーの写真を初めて撮影(1933年)。 & 仁義を弁えなかった林長次郎が、山口組からカチコミされて商売道具に損害を被る(1937年)。そう言えば、「山菱」は美空サエズリを愛顧し ナイスガイ・児林旭を脅して結婚させている(1962年)。 ☆ 時計台のてっぺんに落雷したことによって、デロリアンを改造したタイムマシンで過去へと飛ばされたDQNが現在に戻れることに(1955年=バック・トゥ・ザ・フューチャー)。 ☆ 全国の灯台が人工無能による管理となり、喜びも悲しみも幾歳月が本当に完結(2006年)。
本日記載附録(ブログ)
人間って何だろう?そして、「人間って何だろう」と思う心って何だろう?
そんな疑問に端を発して、ヒト(人)以外の霊長類を比較認知科学的視点から研究
ヒトに最も近縁なチンパンジーを主な研究の対象に選ぶ
「熊本サンクチュアリ」に行って59にん(人)のチンパンジーと暮らす
= 未踏の領野に挑む、知の開拓者・平田聡(06/mn) =
【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
第3回 チンパンジーのあの「ナッツ割り」を見た! =1/2
西アフリカのギニアという国は、東西にやたらと長い。
京都大学霊長類研究所の研究拠点ボッソウ村にたどり着くには、首都コナクリから四輪駆動車で2泊3日を要する。チンパンジーたちがアブラヤシの種を割って食べるために道具を使う「ナッツ割り」の行動で有名なフィールドだ。
2010年に、ぼくは霊長類研究所の松沢哲郎教授の許可を得て、現地を訪れたことがある。地元の研究助手の後をついて森に入ると、比較的すぐにチンパンジーに出会えた。それほど大きな森ではないし、なによりチンパンジーの移動の痕跡を読む助手が優秀なのである。
野生のチンパンジーとの出会いは本当に印象深く、彼らの力強さ、感情の豊かさ(とぼくには感じられるもの)、行動のおもしろさなど、語り始めたらきりがないのだが、その中でも、自分の目でナッツ割りを見られたのは、強く印象に残っている。
まず最初に驚いたのは、少し離れたところでもはっきりと分かるカーンという打撃音。
想像してみてほしい、森を歩いていて、カーンカーンと音がする。誰かが意図を持って、何かをしていると示唆する物音だ。どこかの狩猟民が近くにいると思う方が自然だ。しかし、実際に近づくと、チンパンジーが台石の上に木の実を置いて、さらに別の石でたたくという手の込んだやり方でナッツ割りをしているのである。「人間がいる」という感覚から「チンパンジーがいる」という感覚に切り替わる際に「おおっ」という驚きがあった。ナッツ割りについて事前知識がなかったら、さらに強い衝撃を受けただろう。
前置きが長くなった。野生のチンパンジーのことは、考えてみるとどこにも書いたことはなかったので、興がのるとどんどん長くなりそうで自粛。
さて、熊本県宇城市にある京都大学野生動物研究センター・熊本サンクチュアリには、59にんのチンパンジーと6にんのボノボが暮らしている。
常駐して研究をしている平田聡教授と一緒に、チンパンジーのランチタイムにお邪魔し、食事と一緒に繰り広げられるちょっとした研究的瞬間について書いてきた。アイトラッキングという人間では当たり前でも、チンパンジーでは世界で2カ所でしかできない手法を使ったチンパンジーの発達心理、社会的知性についての研究に少しふれることができた。
そして、その次に、見せていただいたのが、なんと、「ナッツ割り」だったのだ!
オスふたり、2組の母子、合計6にんのチンパンジーと会ったのとは別のブースに、1組の母子が導かれやってきた。ミズキとイロハだ。
「近い将来、このブースである実験をするので、まず部屋に慣れてもらおうという段階です」と平田さんは言っていた。
慣れてもらうための一貫として、昼ご飯をここで食べてもらう。昼のメニューにマカダミアナッツがあり、食べるためにはナッツ割りを実行する必要がある、というわけだ。
母親のミズキは、実に上手に割る。手慣れたものだ。だいたい、一発で成功し、中身を口に運んだ。
一方、イロハはたどたどしい。2008年9月生まれなので、取材した2014年7月の時点で、5歳10カ月。サンクチュアリで最年少のチンパンジーだ。石ではなく握りやすい金属球を使っているのだが、それでも二度三度と振り下ろし、やっとなんとかヒビを入れるのに成功する。一生懸命な雰囲気がかわいい!
ここで、素朴な疑問。
サンクチュアリのチンパンジーがなぜ、ナッツ割りを知っているのだろうか。
答えは簡単で、平田さんたち研究者が教えたからだ。
明日に続く・・・・・
【参考資料】 : 「進化の隣人」チンパンジーに、ヒトの「心の起源」を探(4/8)
Ω・ 京都大学野生動物研究センター ; 平田 聡 教授/熊本サンクチュアリ所長 ・Ω
チンパンジーを絶滅の危機に追いやるもの
熊本サンクチュアリの淵源は、民間の医薬品開発企業が1978年にチンパンジーを飼育し始めたことにある。当初の名称は「熊本霊長類パーク」だった。
「感染実験の役割を終えたチンパンジーを引き取る目的で、この地に施設がつくられたと聞いています。その後、この場所で感染実験も行うようになり、さらには感染実験用の個体を他の研究機関に提供させるため、繁殖拠点としての役割も担うようになりました」
だが、次第にチンパンジーを巡る情勢も変わり、施設の役割やあり方も変化していく。
「2006年、我が国でチンパンジーの医学感染実験の廃絶が宣言され、翌2007年には施設の名称が『チンパンジー・サンクチュアリ・宇土(CSU)』に変わりました。目的も、チンパンジーができるだけいい環境で余生を送れること、つまり『動物福祉』に変更になり、そのころから京都大学霊長類研究所が運営協力で関わるようになりました。2008年に野生動物研究センターが発足すると、その役割をセンターが引き継ぎ、2011年にはサンクチュアリのすべての施設がセンターに移管されて現在に至ります」
医学実験廃絶が宣言されたのは、チンパンジーが絶滅危惧種であることが大きな理由だ。1990年代後半から、大型類人猿の研究者の間で、「絶滅の危機に瀕するチンパンジーを感染実験に使うのはおかしい」との声が高まり、廃絶宣言へとつながった。
野生のチンパンジーは、アフリカ赤道付近の熱帯雨林付近に生息している。
「その数、推計10~20万人です。20世紀初頭には100~200万人ほどと推計されていましたから、わずか100年あまりで急激に数を減らしています」
個体数激減の理由は大きく3つ。ひとつは、チンパンジーの生息地である森林の破壊が進んでいること、2つ目は密猟である。森の中に生息する野生動物の肉は、町で食用として高く売れる。こうした「ブッシュミート・トレード(森の肉の交易)」と、愛玩動物用の密猟が今も絶えない。3つ目の理由は感染症の流行だ。1976年からアフリカ大陸でときおり猛威をふるうエボラ出血熱に、野生のチンパンジーやゴリラも感染し、相当数の個体が命を落としたと推測される。
「『10万個体もいれば十分多いじゃないか』と思われるかもしれませんが、メスの出産間隔が長く、1人のメスが産む個体数がそう多くありません。そのため、個体数が減り始めると、増加に転じるのはとても難しくなります。生息地である森林の破壊にも歯止めがかからず、森林が回復する見込みもありません。個体の寿命は50年ほどなので、100年後も種として存在はしているでしょうが、先細りになっていくのは間違いありません」
・・・・・・・つづく
https://youtu.be/0KiwmCv1d-g == チンパンジーのナッツ割 ==
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