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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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恐竜に魅せられた古生物学者/冨田幸光(12/14)_学究達=581

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年11月02日<ⰧⰊⰧ

☆ 阪神タイガース記念日。1985年に日本一になったことを記念して制定された。そりゃあ優勝回数が少ないからね(巨人ファン談)。ひがみではないが、巨人ファンにもの申す…下項留意… ☆ 横浜で通訳をやっていた方が、庶民に漢字を教えるために新聞を創刊(1874年)。これが今の読売新聞の前身だったりするが、上から目線な態度はこの頃からの伝統だったりする。 ☆ インターネットに虫が湧き、数千台のコンピュータが発病(1988年=Morris worm)。

本日記載附録(ブログ)

日本にもゾウやサイなど、アフリカ並みの巨大野生動物が暮らしていた

地質学的には「少し前」までの話である

国立科学博物館で開かた特別展「太古の哺乳類展」

この企画を担当したのが冨田幸光地学研究部部長 

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

冨田幸光地学研究部部長(12/14) 

◇◆第5回 日本の巨獣はなぜ消えた? =3/3= ◆◇

 ひとつは、ナウマンゾウに代表される、ナウマンゾウ・ヤベオオツノジカ動物群と呼ばれるもの。これは本州側の温帯地域に住んでおり、暖かい時期には北海道に渡ったこともある。一方で、寒い地域から北海道に入ってきた、マンモス、ヘラジカ、バイソンなどのマンモス動物群。マンモスは北海道から本州には渡らなかったが、ヘラジカ、バイソンは寒い時期に本州に進出した。同時代的にはこれらの2つの動物群が地域ごとに棲み分けていた。

「いろんな動物の年代で信頼できるものだけを調べていくと、一番最後のナウマンゾウが2万3000年前ぐらいまでなんですね。一方で、マンモスで1万5000年とか1万6000年前とか。バイソン、ヘラジカなんかはもっと新しい年代が出てます。で、どうもナウマンゾウは最後の氷期のピークに向けてどんどん寒くなっていた2万3000年ぐらいから2万年前あたりに絶滅したんじゃないか、と。そして、1万9000年前に氷期がピークになった後、1万6000年前ぐらいまで寒いんですが、その後ガーッと暖かくなってますから、そのときに逃げ切れなかったマンモス動物群はそこで絶滅したし、サハリンを通って北へ逃げることができた連中は逃げちゃったのかもしれないという話なんです」

 これが2フェーズの絶滅の説明だ。

 氷期がピークに向かう時に、ナウマンゾウ・ヤベオオツノジカ動物群が滅び、氷期のピークがすぎて急激に暖かくなる中で、マンモス動物群が滅んだ。環境変動によって、篩い落とされた、ようなイメージである。

 日本というとても局地的な島々にだけ着目しているので、この場合は、移動していなくなるのも、化石研究の観点からは「絶滅」に見える。いずれにしてもナウマンゾウもマンモスもその後、世界中から姿を消すわけではあるが、こと日本の大型哺乳類の絶滅は、人が狩り尽くしたよりも、環境変動の方が大きく効いてることは間違いなかろうと、今は多くの研究者が思っているとのこと。

 もちろん、「はじめ人間ギャートルズ」みたいな一族が、残っていた最後のマンモスを狩って、その地域からはマンモスはいなくなった、というような個別のケースは充分有り得る。でも、それを我々が知ることはできないし、「最後のマンモス」に至るまでに、環境変動が大きく効いていたというのが有力、ということだ。

 大量絶滅をめぐっては、よく「人間の罪深さ」が語られることが多い。しかし、妙に教訓を引っ張り出すよりも、まずは現象を理解しようといった姿勢を、冨田さんの語り口から感じるのだった。

次回は【参考資料/ 巨獣はなぜ消えた?残余記載】の後、

新企画“第1回 59にんのチンパンジーが余生を送る場所”に続く・・・・・

【参考資料】 : 巨獣はなぜ消えた?(2/4)

Ω かつてオーストラリアに生息した大型動物の多くが、数万年前に姿を消した。!!

絶滅の原因は氷河期の到来か? それとも人間か?? Ω

 こうした大型動物は生態系の支配者だったにもかかわらず、ある時期に姿を消した。残ったのは体重45キロ以下の小型の動物がほとんどだ。なぜ大型動物は絶滅したのだろうか?

 大型動物は米国にもいた。マンモス、ラクダ、顔が短いクマの仲間アルクトドゥス、巨大なアルマジロ、長い牙をもつネコ科動物スミロドンなどだ。しかし人類が到来してまもない1万3000年前に、どれも姿を消してしまった。その原因に関して、古生態学者のポール・マーティンが1960年代に仮説を立てている。北米と南米に進出した現生人類が、とがった石を先端につけた槍(やり)で大型動物を狩り、過剰に殺して絶滅に追いこんだという「過剰殺戮(さつりく)説」だ。

 しかしすべての動物が根絶やしにされたわけではない。北米ではシカやプロングホーン、アメリカグマ、小型のバイソンが生き残り、新たに入ってきたエルクやヘラジカが生息域を広げていった。南米ではジャガーとラマが残った。

 現在のオーストラリアで、陸生動物の固有種のうち最大のものはアカカンガルーである。

 オーストラリアの大型動物に何が起こったのか―。それは古生物学者を悩ませる特に大きな謎の一つだ。これまでは、気候変動が原因だとする見方が主流だった。確かにオーストラリア大陸は100万年以上前から乾燥が進み、植生が減っている。そんな環境に、大型動物は耐えられなかったのかもしれない。

 だが、オーストラリアの古生物学者ティム・フラナリーは、約5万年前に人類が上陸し、狩りに火を使うようになったことも影響していると推測する。森林が焼き払われて減少し、水循環が断ち切られたというのだ。

 フラナリーによれば、現時点で確実に言えるのは次のようなことだ。およそ4万6000年前、オーストラリアを支配していた陸生動物に突然何かが起こった(どう「突然」なのかは議論が分かれるが)。それは高い知能をもち、道具を使う「敵」が来てまもないころだった……。

 1994年、フラナリーは過剰殺戮説のオーストラリア版とも言えるこの壮大な仮説を、著書『The Future Eaters(未来を食べる者)』で発表した。さらに、人類は生態系を荒らし、みずからの未来を破壊する前代未聞の動物だという大胆な主張も繰り広げた。

 この本は大きな議論を巻き起こした。自然と調和しながら生きる誇り高いアボリジニへの批判と受け止める声もあった。フラナリーの説には根本的な問題もある。大型動物を人類が殺したことを示すはっきりした証拠は、まだ一つも見つかっていないのだ。矢じりがあばらに刺さったディプロトドンの骨格化石があったとか、たき火の跡でティラコレオの骨が出土したとなれば話は別だ。実際、北米と南米では似たような証拠が発見されている。しかしオーストラリアには皆無だ。

 フラナリーの仮説にはほかの疑問もある。武器といってもせいぜい槍と火しか持たない人類が、数多くの種を絶滅させるのは不可能ではないか? 大型動物は大陸全土に分布していて、生息地の環境は多様で、人がとうてい入りこめないような奥地もあった。そんな状況で、千人単位の人口しかいなかった人類が、動物たちの命を次々に奪った。それも絶滅というからには、1頭も生き残っていない状態にまで追い詰めなければならない。

つづく・・・・・

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森のなかえ

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