☆ タダでさえ水道やらガス管やらでゴチャゴチャしているニューヨークに地下鉄が開通(1904年)。地下の複雑さに拍車をかけ怪物や妖怪の跳梁跋扈を許す原因に。 ☆ ソビエト海軍士官がウォッカではなくウイスキーを支給されたことに腹をたて、潜水艦を座礁させる(1981年= ウィスキー・オン・ザ・ロック)。 ☆ ロンドンのシティが大爆発、外国の投資家のカジノと化し大方のイギリス人はお呼びでない存在になる(1986年=金融ビッグバン)。
本日記載附録(ブログ)
日本にもゾウやサイなど、アフリカ並みの巨大野生動物が暮らしていた
地質学的には「少し前」までの話である
国立科学博物館で開かた特別展「太古の哺乳類展」
この企画を担当したのが冨田幸光地学研究部部長
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
冨田幸光地学研究部部長(08/mn)
◇◆第4回 「原始的」ではなかったアマミノクロウサギ =1/2= ◆◇
国立科学博物館の冨田幸光さんは、日本で発掘された哺乳類化石が一堂に会する特別展「太古の哺乳類展」の企画立案者だ。博物館での所掌範囲は陸棲哺乳類ぜんぶ! ということになっているので、今回の特別展はその集大成という意味もある。
その一方で、哺乳類研究者として、個別の生き物の系統の研究にも深く関わってきた。哺乳類全体を見るのは国立の博物館としての「官」の仕事であり、それとは別に「研究者としての個人」の仕事がある、というか。
研究室の書架にアマミノクロウサギの下顎がぽんと置いてあった。それについて問うと、冨田さんはぱっと顔を輝かせた。
「私自身は、小型哺乳類、ウサギ類や齧歯類なんかを研究してまして──」と古生物学者としての御自身のキャリアを語ってくださった。
「私、横浜国立大学出身なんですが、もう骨の化石が勉強したくてしたくて、当時、その勉強ができる大学院は京都大学しかなかったんです。でも、落っこっちゃったので、英語苦手だったけど勉強して、アメリカのアリゾナ大学に行きました。そこの先生がたまたま小型哺乳類を専門にしてたんです。修士論文では、古地磁気学を使って暁新世(ぎょうしんせい)の化石が入っている地層をうまく合わせて、年代をピチッと決めるプロジェクト。ただ暁新世の化石は日本では出ないので、日本に帰るのを見越して、ドクターでは鮮新世(せんしんせい)という新しい時代の化石産地の小型哺乳類をやりました。一番たくさん出てくるのは齧歯類です。あとはウサギ類、食虫類、コウモリも出てくる。古地磁気学で年代をかなりきちっと決めて、見つかった化石を記載する。そこまでやって、日本に帰ってきました」
暁新世とか、鮮新世とか、いわゆる「地質学的年代」が出てきた。
暁新世というのは、恐竜がいた中生代の白亜紀に続く比較的古い年代で、6600万年から5600万年前くらいだ。「恐竜後」の世界である古第三紀の中では、一番最初の(一番古い)時期だ。日本ではその時期の地層がほとんどなく化石が出ない。一方、鮮新世は530万年から260万年くらい前で、日本でも各地で化石がみつかる。今回の特別展「太古の哺乳類展」で中心的役割を果たしているゾウでも、各地から発見されるミエゾウは鮮新世の生き物だ。
冨田さんは、日本に研究者のいない古第三紀の古い時代について詳しく(修士時代の研究)、かつ、新しい時代の小型哺乳類を専門にしている(博士論文の研究)という独特の特徴をもった研究者としてスタートすることになった。北海道で発掘されたクシロムカシバク(その名の通り釧路で発掘された古いバク)など、古第三紀の古めの化石は冨田さんが見るという流れが出来上がった。
「一方で、アリゾナでの博士論文以来、ウサギにずっと興味を持っていました。15年ほど前かな、中国の先生がたまたまウサギの化石をいっぱい見つけたので、『冨田さん、ウサギやりません?』と言われまして、『いや、ぜひやらせてくださいよ』って即答しました。それをよく見たところ、アマミノクロウサギの祖先にあたる属でプリオペンタラグスだったんです。これ、実は私がアメリカでやっていたのともつながっていて、中国と北米、日本のアマミノクロウサギの系統が解明できたんです」
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
【参考資料】 : 100年前の“史上最大級”の探検(1/3)
Ω・Ω 監修者が解説、特別展「化石ハンター展」の見どころ Ω・Ω
10月10日(月・祝)まで、東京の国立科学博物館(上野)で特別展「化石ハンター展−ゴビ砂漠の恐竜とヒマラヤの超大型獣−」が開催中です。ゴビ砂漠を恐竜化石の一大産地に押し上げた化石ハンターからヒマラヤの超大型獣まで、特別展の主な見どころについて、監修者である国立科学博物館名誉研究員の冨田幸光氏に語っていただきます。
ゴビ砂漠が有名な恐竜化石産地だということは、今では誰もがよく知っている事実である。しかし、今から100年前には、偶然見つかった一片の歯化石以外には、化石はまったく知られていない、ほとんど人跡未踏の秘境だったことはご存知だろうか。その人跡未踏の地へ、哺乳類や人類の起源を求めて大探検隊が入ったのが、ちょうど100年前の1922年のことなのだ。
この探検隊を率いたのが、ニューヨークにあるアメリカ自然史博物館のロイ・チャップマン・アンドリュースである。1922年から1930年にかけて、合計5回の大探検(総称して、中央アジア探検隊)を行ったが、それは規模においても成果の大きさにおいても、史上最大級の探検であった。本展では、このアンドリュースの探検100周年を記念して、古生物学史上たいへん重要なその成果を紹介するとともに、その後に続く世界や日本の化石ハンターたちの活躍と成果を紹介している。さらに、アンドリュースに大きな影響を受けた現代の化石ハンターらによって明らかにされた、氷河時代における哺乳類進化に関する「アウト・オブ・チベット」説についても詳しく紹介している。
動物好きだったアンドリュースは、大学卒業後ニューヨークに出て、憧れのアメリカ自然史博物館で見習い剥製師として働き始めた。その後は出会いや運にもめぐまれて、めきめきと研究成果を上げ、1910年ごろには日本にも滞在してクジラの研究を行っていた。そして、アンドリュースは、後に同館の館長となるヘンリー・F・オズボーンの「哺乳類や人類の起源はアジアにある」とする学説を信じ、それを証明しようとゴビ砂漠に探検に入ったのが1922年だったのである。化石なんて見つからないのではないかという一部の人々の予想をくつがえし、探検を始めてわずか数日後には、白亜紀の恐竜や始新世という古い時代の哺乳類化石を多数発見したのだ。
……つづく
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