ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年06月01日<ⰧⰊⰧ ◆ 日本全域の気象観測を開始(1875年)。9年後のこの日は朝6時に日本初の天気予報を発表=警察署・派出所に掲示=するが、全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ。これで人々が信用すると思う? ◆ イギリスでしぶとく逆らい続けているデブを抹殺しようとしたナチス・ドイツが、手違いで二枚目の映画俳優を血祭りに挙げる (1943年=英国首相チャーチル暗殺が、映画俳優R.ハワードが犠牲となる) 。 ◆ 警察捜査の攪乱・妨害を繰り返す迷探偵の排除が目的として、探偵業規制法が成立 (2007年) 。
本日記載附録(ブログ)
ロシアがウクライナに侵攻した背景とその行方を広厚に理解すべく、旧ソ連諸国紛争や「未承認国家」「ハイブリッド戦争」の著作
日本の政治学者=国際政治・比較政治学・コーカサス地域が研究テーマ
=黒海地域の国際関係・政治経済変動などが主な業績=
研究課題“ロシアのハイブリッド戦争とその影響”/‘14年12月以降 継続中
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
廣瀬陽子(05/nx)
◇◆ 第2回 ロシアが旧ソ連諸国の紛争で使う「未承認国家」とは =3/3= ◆◇
日本とかかわりの深い「その他」の未承認国家を挙げるなら、まず歴史的には、日本がパトロン国家となって成立させようとした「満州国」があることを指摘しておきたい。また、「台湾」も、自律性、独立性が高いために「国」であるように感じられることも多いものの、やはり「未承認国家」だ。さらに、国際関係の議論で、常に焦点となる「パレスチナ」も同様だ。
さて、廣瀬さんが語る未承認国家の物語は、コーカサス地方のアゼルバイジャン共和国から始まる。アゼルバイジャンは、未承認国家「ナゴルノ・カラバフ共和国」(ナゴルノは「山岳の」、カラバフは「黒い庭」(土地の肥沃さに由来)を意味するという)を領土内に抱えており、廣瀬さんが博士課程の時代に研究の拠点に選んだ場所だった。
「大学院生の頃に、旧ソ連研究を志す中で、紛争とか未承認国家などが、ロシアに体よく利用されている構造に関心があったので、やっぱり現地に行くしかないと思ったんです。そこで、テーマに選んだのは、わたしが一番変な戦争だと思っていた『ナゴルノ・カラバフ紛争』でした」
では、ナゴルノ・カラバフ紛争とは、どのようなものなのだろうか。
「『ナゴルノ・カラバフ共和国』は、アゼルバイジャンの中でも、アルメニア人が多い地域で、自治州として自治が認められていました。しかし、その所属をめぐってかねてからあった確執がソ連末期に表面化しました。最初はアルメニア側も平和的に抗議行動をしていたんですが、だんだんエスカレートして、互いに民族浄化をし合うまでになってしまいました。もうドロドロになってきた時にソ連が解体して、ロシアはアルメニア側に立って参戦しました。それで、アゼルバイジャンは完膚なきまでにやられてしまうんです。停戦になった時の状況では、ナゴルノ・カラバフ地方全部とその周辺のかなり広い緩衝地帯をアルメニア系住民が実効支配するということで固まりました。それがアゼルバイジャンの国土の大体20%ぐらいにあたります」
ソ連が崩壊して、アゼルバイジャン共和国が国として独立した矢先に、ロシアの介入もあって、国土の20%にあたる地域を未承認国家として実効支配されている、というのが、廣瀬さんが留学先を探していた2000年頃のアゼルバイジャンの状況だった。1994年の停戦の際には、旧ソ連の国家で作る独立国家共同体(CIS)やCIS集団安全保障機構への参加といったロシアからの要求を飲まざるをえない(後に脱退)状況に追い込まれるなど、国内に存在する未承認国家を梃子として使われる形で、ロシアからの影響を甘受してきた。
廣瀬さんは、2000年から01年にかけて、国連大学秋野記念フェローとして、アセルバイジャンの首都バクーに拠点を持って、公文書、外交文書の類を読み込み、アルメニアやジョージアにも出かけて、様々な人々にインタビューを重ねることで、未承認国家を絡めたロシアの外交戦略について理解を深めていくのだった。
次回は“第3回 ナゴルノ・カラバフ紛争と「旧ソ連の戦争の中身」”に続く・・・・・
【参考資料】 : ロシアとウクライナが「こじれた」複雑すぎる経緯(5/5)
Ω・Ω・Ω 歴史で紐解く「ウクライナは民族国家なのか」 Ω・Ω・Ω
=東洋経済ONLINE /政治・経済;ウクライナ侵攻、危機の本質= 的場昭弘: 哲学者、経済学者=
中立的な連邦国家としてのウクライナ
ロシアは、それがスラブ精神と相容れないのならば、望むべくは巨大な中央集権的国家であることを辞めるべきであろう。それと同時に、ウクライナも小さなルガンスクやドネツク共和国を認めるべきであろう。ソビエト連邦は少なくともそれを目指したはずだが、実際にはロシア支配になってしまっていた。バルカンでは、バルカン同盟という構想があったが、連邦制という考えはどうであろう。
長い間東欧地域はオスマントルコ帝国、オーストリア帝国、ロシア帝国の絶対主義体制が支配的であったのだが、それを打ち破る連邦制を追求したのが、ロシア革命であったとすれば、今プーチンがやろうとしていることは、ロシアのツアー体制に逆戻りすることにもなりかねない。それを受けて立つウクライナも、ロシア人地域を自国に引き留めておけば、同じ穴の狢だ。
厳しいことをいえば、ウクライナはEUに入るよりも、中立な連邦国家として存在したほうがいい。EUの拡大がNATOの拡大なら、ロシアとの対立は避けられないだろう。EUが独自の軍事機構を持ち、なおかつロシアもその仲間に入れるようになれば、状況は変わるだろうが、それは今のところ無理であろう。ならば、やはり、歴史的にも、地理的にもウクライナは、ロシア=スラブという環境の中で生きていくしかないだろう。もちろん、ウクライナに住む少数民族のルテニア人、ベッサラビア人、ガリツィア人なども小さな国を創り、連邦化するべきかもしれない。
・・・・・・おわり
【参考資料】 : =国際秩序のゆくえ= : ロシアと「近い外国」(1/3)
Ω・Ω・Ω 廣瀬陽子─ウクライナ危機で変わる関係性─2022/07/05 -- Ω・Ω・Ω
2022年2月24日、ロシアが「特別軍事作戦」としてウクライナに侵攻し、以後、ロシア、ウクライナの間で戦闘が続いている。当初、兵力・火力でウクライナを凌駕するロシアが有利に戦闘を展開するかに思われた。
だが、2014年にクリミア併合・ウクライナ東部の危機という憂き目を見たウクライナ側は、政府、兵士、国民が一体となり、高い士気と団結力のもと、ロシアに徹底抗戦している。とりわけ、情報戦、認知戦でのウクライナの成功は特筆に値する。さらに、欧米諸国が迅速かつ協調的な軍事支援を行っていることがウクライナの戦闘継続と巻き返しを強く支えている。
他方、ロシア側は誤算続きで、当初、簡単に勝利できると考えていたウクライナに対し、苦戦を強いられている。そのようなロシアを、ロシアが自国の影響圏(後述)と考えている旧ソ連地域の国々(ロシアから見ると「近い外国」)はどのように見ているのだろうか。本稿では、ウクライナ危機によってロシアと近い外国との関係が変化する可能性を指摘したい。
・・・・・・・・明日に続く
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