ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年05月18日<ⰧⰊⰧ ◆ 一斗缶の日。1斗=5ガロン=18リットルだとか、ハイお一つ賢くなりましたネ。 ◆ 中野区在住の阿部定さんが、アーン♥♥でのぴー&ひーがエスカレートして大騒動に(1936年= 阿部定事件)。 ◆ アメリカ合衆国のセント・ヘレンズ山で大規模な花火大会を開催したところ、手違いで山が吹っ飛び猛暑が世界中から無くなった(1980年)。
本日記載附録(ブログ)
アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。
防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。
『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。
”愛するものの暴走を止めたい”と語る前野ウルド浩太郎、秋田市土崎港出身の人である。
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
参考資料: バッタに人生を捧げます!!
番外編 ;前野ウルド浩太郎(24)
◇◆ 天災レベルに大発生する害虫を愛する男が行き着いた"ある場所" ◆◇
敵は組織?―現場の人に愛されるには― / 2_お近づきのしるし作戦
これはなんとかしなければならない。そもそも私のことをまだ知らない調査隊も防除隊も私の都合など気に留めるわけがない。目の前に悪魔がいるのに戦士がたたずんで見守っていられるわけがないのだ。これはなんとかしなければ。
そこで、「お近づきのしるし作戦」をとることに。調査隊も防除隊も家に帰ることがなかなかできず、砂漠の中に留まっていなければならない。長い者だと9ヶ月も砂漠暮らしが続く。固定給の他に日当がでるので、むしろ望んでいる者もいる。とはいってもサハラ砂漠のど真ん中だ。不自由な砂漠暮らしをしている男が喜ぶ贈り物をしようと画策。なにがよいかティジャニに相談したところ、「肉」との回答。
バッタが頻繁に発生するエリアを担当しているチームを訪れ、生きているヤギを一匹贈った。ティジャニが声高らかに「おー、みんな! このヤギはコータローからの差し入れだぞ」とヤギを見せつける。スタッフたちが笑顔で握手を求めて感謝の意を表明してくる。一気にみんなとの距離が縮まった。ヤギ一匹1万円払っただけのことはあった。コックのモハメッドが小型ナイフでヤギの喉を掻き切り、木に吊るして器用に解体した。いろんな部位の肉塊を塩だけで味付け、鍋で煮込む。
1時間後、大皿に盛ったヤギ煮込みに全員大喜びで群がり、「コータロー、アリガトー」と口々に御礼を伝えてくる。満腹になって戦士たちの目つきが緩んだところを見計らい、ティジャニに目配せをし、「コータローは生きたバッタが必要だから、もし今後バッタを発見したら退治せずにすぐに情報を提供してほしい」と私の狙いを伝えてもらった。「まったく問題ない」と戦士たち。それ以降、手違いで全滅させられることはなくなった。
自分が抱えている苦しみを共有してくれて、少しでも解決に向けて手を差し伸べてくれる人がいたらどう思うだろうか。人の感情は日本から1万3000キロメートル離れていても共通するものがあった。そして今日も私は、バッタだけではなく、彼らの屈託のない笑顔が見たくて、ティジャニが駆るランドクルーザーにヤギと同乗し砂漠に繰りだしていく。
2人のウルド(前篇)―我ら共に闘う―/ 1_研究所を率いる男
サバクトビバッタによる農業被害(専門用語で蝗害と呼ぶ)は、西アフリカから中東・南アジアにかけて約60か国にもおよぶ。地球上の陸地面積の約20%が被害に遭う可能性がある。被害が大きい国々ではサバクトビバッタ専門の研究機関が政府によって設立され、バッタの問題は国家的課題として位置づけられている。
国家や国連機関が支援するものの、研究機関の運営は難しい。なぜなら、バッタの大発生は不定期に起こるため、継続的な資金集めが問題となるからだ。大発生中ならいざ知らず、バッタがほとんどいないのに誰が資金援助してくれようか。大発生してからでないと政府は動かないが、それでは手遅れになる。
今年、マダガスカルでバッタが大発生し、甚大な被害が出ていることがその典型だ。また、サバクトビバッタは一日に100km以上も飛翔する。あっという間に近隣諸国に侵入するため、国内外の組織的な連携が必要となる。サバクトビバッタを熟知し、政治的手腕に長けた者でなければ研究所を指揮することは不可能なのだ。
このバッタ問題と最前線で闘っている男こそ、この連載にすでに何度か登場した私の上司モハメッド・アブダライ・ウルド・ババ所長だ。がっしりした体型、笑顔が絶えない男。7か国語を操る50歳の生物学博士だ(ちなみにアラビア語、ハッサニア語、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語)。
モーリタニアはサバクトビバッタの重要な発生源のひとつであり、1960年に北アフリカ諸国によって創設された国際バッタ研究センターを前身とするモーリタニア国立サバクトビバッタ研究所は、1995年に国立研究機関として再編された。本部はモーリタニアの首都ヌアクショット(Nouakchott)にあり、国内5か所に支所が設置されている。研究所は今日まで半世紀以上バッタ防除に力を注いできた。
2009年にババ所長が「モーリタニアでサバクトビバッタが大量発生の兆しがある」と世界のバッタ研究者たちに連絡し、その頃日本にいた私は共同研究者と一緒に訪れた。それまで実験室の飼育個体しか見たことがなく、サハラ砂漠で野生のサバクトビバッタを初めて見て感動し、愛していたバッタに惚れなおした。ああ、日本に帰らず、このままずっと観察していたい。
2人のウルド(前篇)―我ら共に闘う―/ 2_研究所との約束は「死なないこと」
バッタ見学を終え、野宿中に考えていたことをババ所長に伝えた。
前野「ここにまた来て研究してもいいですか?」
所長「もちろんウェルカム」
前野「本当ですか! 日本の留学制度に受かったら来るのでよろしくお願いします」
そのときは、防除よりも野生のサバクトビバッタを観察して新発見がしたいという個人的な欲求が強く、モーリタニアにまた来ようと決めた。数ある研究所を見比べて選んだわけではなく、たまたま知っていたのがモーリタニアだった。
その後、運よく日本学術振興会の海外特別研究員に採用され、本当に行けることになった。所長はメールで「さすがサムライ。有言実行だ」と賛辞を送ってくれた。
日本学術振興会が滞在費と研究費を支給してくれるため、バッタ研究所は私に給料を支払う必要はない。研究所の敷地内にあるゲストハウスの家賃は光熱費込みで月4万円。部屋の広さは8畳程度。これまで防除をメインに活動してきた研究所は研究面の強化を図ろうと考えていたため、手弁当で研究者がやってきて共同で研究を進めることは研究所にとって願ったり叶ったり。
私にとっても、野外調査するための設備があり、フィールドを熟知した現地スタッフと共同で研究できることは大変ありがたい。研究所から伝えられた義務事項は、「死なないこと」。これだけを守り、思いのままに研究することになった。
明日に続く・・・・・
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https://youtu.be/xeHukQ6Ux1k == Fighting a locust plague amid Covid-19 in east Africa ==
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