ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月20日<ⰧⰊⰧ ◆ 中国から頂戴した客寄せパンダで賑わう上野動物園に見習い、東京国立博物館もフランスから借りたモナ・リザで客寄せを実施(1974年)。因みに、日本と中華人民共和国が北京で日中航空協定に調印。 ◆ ソ連が領空内に無断で入ってきた大韓航空機をスパイと認識、有無を言わさずバキューン!!する(1978年)。 ◆ 朝日新聞が、沖縄で地元ダイバーが珊瑚に「KY」とサインしたと報道したが、後日記者自らがサインした捏造報道だった事が判明した。朝日新聞の未来の"空気を読む"先見性を象徴した出来事である(1989年=朝日新聞珊瑚記事捏造事件)。
本日記載附録(ブログ)
アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。
防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。
『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。
”愛するものの暴走を止めたい”と語る前野ウルド浩太郎、秋田市土崎港出身の人である。
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う
前野ウルド浩太郎(03) ◇◆ 第1回 バッタ博士と砂漠のバッタ =3/3= ◆◇
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スズメバチがアリのように地面の上でうごめいている、というのがぼくが抱いた最初の印象だった。さらに『ジョジョの奇妙な冒険』の第4部で登場する「ハーヴェスト」というスタンド(興味ない人、意味不明でゴメンナサイ)を想起した。
「これがサバクトビバッタの幼虫の群生相のマーチングですよ。幼虫の群れのことをバンドと言って、みんな同じ方向に向かって一斉に行進していく行動をマーチングといいます。本当に、よかった。とにかく、自分、これを見せたかったんですよ!」
前野さんは興奮して言った。
ぼくは夢中になって写真を撮ったわけだが、このファーストコンタクトはかなり強烈で、意識がぼーっとなってしまったほどだ。
それでも、一応、自分なりに観察をして気づいたことがいくつか。
背の低い地面を覆う植物の他に、所々、ツンツンしたイネ科植物のかたまりがある。そこには、たいていサバクトビバッタの幼虫がくっついて、なかほどまで登っていた。周囲の砂地には、黒いものがたくさん散っており、それはウンチであろう。また、近くにひとつだけ、「歯磨木」(あるいは、歯磨きの木。名の由来は後述)と呼ばれる灌木があり、そこにもかなりの数が潜んでいた。
「夜になると結構、こういうところに集まってくるんですけど、昼間からってのは、自分もはじめてッスね。本当にフィールドで、こいつらに会うたびに、新しい発見があるッス」と前野さん。
前日は雨が降り、気温が上がらなかった。雨の中でもサバクトビバッタを見ていた先発隊に後で教えてもらったのだが、その間、幼虫たちは、こういった背の高い草や木に宿り、動かなかったそうだ。そして、この日も曇天で、せいぜい気温35℃前後。また、風も強かった。なにか特別な状況の日にたまたま来てしまったために、ぼくは前野さんとともに、特別な現象を見てしまったらしい。
前野さんが、車に戻り、捕虫網を持って来た。
「捕まえます。だいたい、300匹くらいは、必要ッス」
サハラ砂漠で、捕虫網を振る「バッタ博士」こと、前野ウルド浩太郎さん。
サングラスをしていても、喜びが伝わってくるほどの躍動感で、バッタを白い網の中に追い込んでいった。
本当に、楽しげである。
前野さんが必要な数を取り終えた後、ぼくも網を借りて少しだけ捕まえさせてもらった。
子ども時代に戻ったように、楽しいひとときだった。
とはいえ、このバッタが、実は「悪魔」と呼ばれるほどの凶暴さを発揮する、まさに直前の状態であることを思い出し、ふと現実に立ち返ったのだった。
次回は“第2回 サバクトビバッタとは何者か”に続く
…… 参考資料: 前野ウルド浩太郎_ウィキペチディア(Wikipedia)より (3/6) ……
アフリカ現地調査へ
博士研究員(いわゆるポスドク)3年目を迎えた2011年、前野は日本学術振興会海外特別研究員の審査に通過した。これにより年間380万円の支給を受けて、2年間のモーリタニア現地調査の機会を得ることとなる。この決断は後に「人生をかけたギャンブル」とも評されたが、当時は室内研究が主流であり、サバクトビバッタの野外観察はほとんど行われていなかったことから、新米研究員の自分でも楽に新発見を論文発表できるのではないか、との勝算が前野にはあった。しかし現地出立の1か月前には東日本大震災が日本を襲い、東北出身の前野も多くの知人が被災した。自身のモーリタニア渡航・滞在費用を日本国内の被災者支援に充当すべきではないか、との倫理的な葛藤を抱えつつ[40]、2011年4月11日に前野はモーリタニアの地に上陸することとなった。
モーリタニア渡航から3か月後、ミドルネームの「ウルド」(Ould)をモーリタニア国立サバクトビバッタ防除センターのババ所長から授かり、以降の論文発表などでは「前野ウルド浩太郎」(英語論文ではMaeno, K.O.)のクレジットを使用するようになる。ババはサムライの国・日本から来た前野のことを「モーリタニアン・サムライだ」と評し、「○○の子孫」の意味を持ち、モーリタニアでは最高の敬意を払われるウルドの名を授けたのであった。前野がモーリタニア渡航前に感じていたように、先進国の研究者の多くはアフリカに来訪しないのが世界の研究実態であり、実験室内の研究に基づいて論文発表する有り様に、ババも強い問題意識を抱いていた。このような中、日本の被災者支援に後ろ髪を引かれる思いを断ち切ってモーリタニアに単身やってきた前野は、現地のバッタ問題解決に結びつけようと研究者としての真摯な姿勢を見せ、これにババが共鳴したことが「ウルド」命名につながった。
現地渡航前、前野はフィールドワークについて学術的に訓練を十分に積んでいたわけではなかったことから、現地でバッタを見つけると自然と疑問が湧いてきて、それを検証するために手法を自ら考えるアプローチをとった。そして、ババ所長からの手厚い支援も研究を後押しした。しかしながら、モーリタニア現地での研究生活は一筋縄にはいかなかった。モーリタニアの公用語はアラビア語であり、また実務ではフランス語も多用されているが、前野はフランス語が不得意で覚える気もなかったことから、日常生活に始まり[50]、野外観察チームの編成[51]や現地での論文プレゼンテーションに至るまで、言語の壁にぶつかる。
さらに追い打ちをかけたのが、2011年後半に発生したモーリタニア建国(1960年[48])以来の大干ばつである。この大干ばつは、サバクトビバッタのエサとなる植物の生育にも影響を与え、サバクトビバッタがほぼ見つからない日々が続いた。一般的にモーリタニアは7月から8月が雨季で、短期集中型の大雨を降らす。9月から10月は休耕期であり、11月が最も農期に適している]。しかし雨季の降水不足により、家畜のヤギにとってのエサである植物の葉が育たなかったことから、根まで食べつくし、砂漠化に拍車がかかった。
・・・・・・明日に続く
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https://youtu.be/uzi9o-3C1B8 ==サバクトビバッタ(モーリタニア)==
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