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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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“バッタの子孫”の活動録/前野ウルド浩太郎(02/nx)_学究達=436

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月15日<ⰧⰊⰧ ☆ 百戦錬磨の鋼鉄の霊将にして朝鮮民族の輝ける英雄、偉大なる将軍様の父にして親愛なる総書記の祖父でもある同志、金日成首領様が誕生なされた素晴らしき日(1912年)。&so、タイタニック号が沈没した日でもある。 ☆ 日本の千葉県は浦安市に千葉ディズニーランドが開業。マリオとミッキーマウスとの、熾烈なアイドル同士の競争の幕開け(1983年)。なおマリオは1996年にアイドルの座を後継者へ譲った。 ☆ オウム真理教の予告デー。この日、新宿全域で厳戒態勢が敷かれパニックに(1995年)。

本日記載附録(ブログ)

アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。

防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。

『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。

”愛するものの暴走を止めたい”と語る前野ウルド浩太郎、秋田市土崎港出身の人である。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う

前野ウルド浩太郎(02) ◇◆ 第1回 バッタ博士と砂漠のバッタ =2/3= ◆◇

翌朝、曇天。

 研究所のゲストハウスから、サハラ砂漠へ。

 ランドクルーザー2台の編成で、1台は前野さんが雇っているドライバーのティジャニが運転して、後部座席に前野さんとぼくが乗った。もう1台は、テント、食料などをはじめとする物資を積んだ助手さんの車だ。

 到着時は深夜だったために素通りしてしまった研究所の建物を、まずはしっかり確認した。正式名称は、Centre National de Lutte Antiacridienne。原義に忠実に訳せば、「国立・対バッタ類防御センター」みたいな名だ。物々しいゲートを開けてもらい、いざ出発。

 研究所は町外れにあって、中心部とは逆側に向かう。当初は車通りがさかんで、ロバに荷物を引かせる「シャレット」の往来も多かったが、すぐに砂漠を貫く1本道になった。砂漠とはいえ、このあたりは、砂丘が連なる砂地ばかりのものとは違い、かなり草も生えている。たまたま多雨な年だというのも関係しているだろう。それでも森が出来るわけでも、草原になるわけでもない、まぎれもない砂漠だ。

 町を出て1時間と少し、おそらく百数十キロほど離れたところで、ランドクルーザーは舗装された道路を離れた。ここから先は、高い車高と大きなタイヤ、四輪駆動がものをいう。砂漠には、前に通った車が作った轍はあっても、決まった道があるわけではないので、たえずGPSで現在位置を確かめつつ進むことになる。先発隊のいる座標は分かっていて、方向も間違いなく分かる。ただ、地面の状態によって、いつもまっすぐに進めるわけではない。

「結局、最後は目視でキャンプ地を探すんですよ。3キロくらいに近づけば見えてきますね。砂漠に白いテントは目立ちますから」

 我々が探しているのは、モーリタニアの遊牧民が使うものに似た大きな白いテント群だ。

 それらを発見できずに移動するうちに、遠くに車がとまっているのが見えた。

 先発隊のうちの誰かの車であるようで、そちらに近寄っていくと、ドライバーのティジャニが「ici! Ici!(ここ、ここ!)」と指さした。

 前野さんが、ニヤリと笑いぼくを見た。

「川端さん、運が良すぎですよ。さっそく、お見せしたかったものがいました。自分も、ここにきて、ちゃんと会えたフィールドトリップは、3年いる中でもこれで5回目ッス」

車の中から目を凝らすと、赤茶けた砂地に背の低い草がところどころ密に生えていた。

 そして、緑に紛れて、あるいは砂の裸地の上に、黄、緑、黒といった色がまざった小さなものが、もぞもぞと動いているのだ。

 風に揺れる花、というのは、一瞬なら、そう錯覚することもありえる。

 ただ、なすがままに揺れる動きとは違う。

 地面を這う動物の群れだ。

・・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: 前野ウルド浩太郎_ウィキペチディア(Wikipedia)より (2/6) ……

研究初期

一浪の末に、昆虫研究も扱う農学部を有する弘前大学に進学。大学3年生になると安藤喜一教授の研究室に所属して昆虫学を専攻し、イナゴの研究に着手した。しかし安藤が退官予定のため、修士課程は弘前大学以外への進学を検討することとなる。各校の受験に失敗する日々が続くも、大学4年生の秋に学会で訪れた富山県で、偶然にも田中誠二と引き合わされた。田中は日本でも蝗害を引き起こしてきたトノサマバッタ研究で知られる昆虫学者であり、弘前大学卒業生でもあった (大学卒業は前野の28年前と年齢は開いている)。

酒席で前野が自身の研究熱意を伝えると、酔った田中から「僕のところに来て研究しないか?」とオファーを受けることになった。当時の田中は茨城県つくば市にある国立研究開発法人 農業生物資源研究所(NIAS)に所属していたことから、前野はNIASから近い茨城大学大学院農学研究科修士課程(稲敷郡阿見町)に在籍しつつ、田中の元で研究を継続することとなった。

田中からの助言もあって、以降はトノサマバッタの近縁であるサバクトビバッタの研究を行うようになる。NIASで前野が最初に手掛けたのは、人工的なホルモン注射の投与である。特にサバクトビバッタの相変異(群れの中で育つと獰猛化して体色を変化させ、長距離飛翔を可能とする長い翅を持つようになる変身現象)に興味を持ち、サバクトビバッタの生態解明を通じたアフリカの貧困救済に熱意を注ぐ。

修士課程修了後は、神戸大学大学院の博士課程に進んで竹田真木生教授に指導を仰ぎつつも、つくばでの田中との共同研究生活を続け、田中とは共著論文を学会に複数本発表している。

田中との共著論文の一部を例に挙げると、サバクトビバッタの脳内で合成されるホルモン神経ペプチド)の一種、コラゾニンが相変異に作用しているとの発見がある。既に1954年には孤独相(サバクトビバッタ同士で避け合って生息するモード)に誘導するホルモンはジョリー夫妻の研究で判明していたが、逆に群生相に誘導するホルモンは半世紀が経過しても見つかっていない状況であった。また孤独相では比較的小さな卵を産むが、産卵期を迎えた孤独相のメスを1か所にまとめて飼育したところ、相変異を起こした群生相と同じような大きな卵を産む変化も偶然ながら発見した。そしてこの「混み合い」状況をメスはどのように感知しているのか、仮説を提唱した。前野の博士論文も「サバクトビバッタの相変異:混み合いに対する生理的適応と子に及ぼす母親の影響」と題するものである。

前野はNIASで担当した研究とは別に、単独でサイドプロジェクトも立ち上げ、新しいテーマ探しをしていた。自ら見つけた現象を研究したいとの志を抱いて、アイディアを思いつくとすぐに田中に相談するものの、「うん。やりたかったらやったらいいんじゃない。僕だったらやらないけどね」と実質却下の連続だったという。最終的にNIASでの研究は8年間におよび、前野はバッタを実験室内で人工的に飼育し、日照や気温など安定的に管理した環境下で実験を行っていた。

効率的に実験データは収集でき、当時の執筆論文は計22報にものぼる。しかし、野生のバッタの本能的な行動原理を理解するには至らず、次第に机上の空論ではないかと悩むようになる。実際、野生と全く同じ相変異の室内再現は世界的に誰も成功していない(2009年時点報告)。さらに、バッタ研究開始から2年が経過した頃、前野はバッタアレルギーを発症し、以降はバッタに直接触れると蕁麻疹が出る苦難を抱えるようになった。

・・・・・・明日に続く

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= ~蝗害の元凶~ 【サバクトビバッタ】=

https://youtu.be/uzi9o-3C1B8   

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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森のなかえ

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