ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月14日<ⰧⰊⰧ ☆ 南軍の連中を許してやってくれと南部出身の一役者が大統領に直訴するものの、観劇の邪魔だと言われてブチ切れて銃弾をお見舞いした(1865年=リンカーン大統領暗殺事件)。 ☆ 三原脩が、南海ホークスとの因縁からかギャラリーを飛び出して相手の一塁走者に拳骨を一発お見舞いする(1949年=三原ポカリ事件)。 ☆ 1969年-文京区本郷兄弟決闘殺人事件(超エリートの兄弟が・・・・)発生。 &so、バングラデシュで天から重さ1kgもの氷の塊が降ってきて、90人以上がデッドボール(1986年)。
本日記載附録(ブログ)
アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。
防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。
『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。
”愛するものの暴走を止めたい”と語る前野ウルド浩太郎、秋田市土崎港出身の人である。
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う
前野ウルド浩太郎(01) ◇◆ 第1回 バッタ博士と砂漠のバッタ =1/3= ◆◇
今回、訪ねたのは、西アフリカの砂漠の国、モーリタニア。
しばしば大発生しては、緑という緑を食い荒らす害虫、サバクトビバッタの研究者、前野ウルド浩太郎さんを訪問した。前野さんは、2011年からモーリタニア国立サバクトビバッタ研究所を拠点に調査研究をしている「日本人唯一」(そして、「先進国唯一」でもある)野生のサバクトビバッタの研究者だ。
前野さんと同行し、1泊2日でサハラ砂漠にキャンプに出かけ、最初に出会った光景を、まずご覧いただきたい。≪下記参照≫
サバクトビバッタの幼虫が写っている。バッタの幼虫だから、翅が飛べるほどに発達していない他は、成虫とそれほど姿形は変わらない。さて、バッタはどこにいるでしょうか。
現地から写真を送った時、編集者は「菜の花畑かと思った」と述べ、友人は「どこにいるか一生懸命さがして、ぜんぶ! と分かった瞬間、ぞわっとした」と言った。
なにはともあれ、これがサバクトビバッタとぼくのファーストコンタクトである。
帰国し、撮影した写真を眺めている今も、すごい生き物を見た! という純粋な驚愕と、しばしば人々を飢餓に陥れるほどの凶暴さを発揮するという、これまで文献で知っていた知識が「本当なんだ」という妙な納得がないまぜになった、不思議な感覚にとらわれている。
この不思議の世界、サハラ砂漠でひたすら研究に明け暮れる前野ウルド浩太郎さんのこと、そして、彼の案内で体験できたことを、興奮が薄まらないうちに書き留めておきたい。 【下記動画参照】
西アフリカ諸国へのハブになっているモロッコのカサブランカ空港から、モーリタニアの首都ヌアクショットへの便は深夜12時近くに到着する。
砂漠の国へやってきたと思いきや、機外に出た瞬間、空気が湿っていることに気づいた。それどころか、飛行機から降りてターミナルまで歩く間に、ぽつりと1滴頬に雨粒を感じた。
英語が通じにくいフランス語圏で、なおかつ厳格なイスラム国家。入国はそれなりに厳重で、目的は何かとか、アルコールは持ち込んでいないかとか、などさんざん質問された上で、やっと無事に入国スタンプを押してもらえた。
前野ウルド浩太郎さんが、駐車場で待っていてくれた。いわゆるポスドク(博士研究員)であり、抱腹絶倒のブログ「砂漠のリアルムシキング」や、昆虫研究者の本気と狂気(?)を垣間見せてくれる著作『孤独なバッタが群れるとき』(東海大学出版会)などで知られ、日本ではディープなファンがいる。今、最も認知度が高い、若手昆虫研究者と言って差し支えない。
「きょうは1日雨だったんですよ。自分が来てから3年目ですが、この時期に雨が降るのははじめてですね。こっちの人に聞いても、滅多にないそうです」という。
ぼくが訪ねたのは11月で、1年の中でも乾燥が強くなりはじめる時期だそうだ。少量の雨が降る7月、8月とは違い、本来降雨はない。事前に前野さんからのメールで「日中は40℃、夜でも20℃くらいの気温です」と言われていたけれど、それよりもずっと涼しい。おまけに湿っている。
そんなイレギュラーな天気の中で、砂漠らしからぬ砂漠の国への到着となった。
・・・・・・明日に続く・・・
…… 参考資料: 前野ウルド浩太郎_ウィキペチディア(Wikipedia)より (1/6) ……
前野 ウルド 浩太郎(まえの ウルド こうたろう、1980年〈昭和55年〉2月20日- )は、日本の昆虫学者。通称「バッタ博士」。アフリカで大規模な蝗害を引き起こすサバクトビバッタの生態に精通する。サハラ砂漠西部のモーリタニア・イスラム共和国やモロッコ王国における現地調査体験に基づき、サバクトビバッタの相変異(群れを成すと体色を変えて獰猛化し、植物・農作物を喰い荒らすモード)の解明と防除技術の開発に従事している。
秋田県秋田市土崎港出身。自然豊かな地で育った幼少期にファーブルの『昆虫記』に魅了され、自ら研究手法を編み出すような昆虫学者を将来像として夢見るよう省になる。2008年に神戸大学大学院博士課程修了(農学博士)。2011年4月より、モーリタニア国立サバクトビバッタ防除センター(Centre national de lutte antiacridienne、略称: CNLA)で現地調査・研究に従事した。その足跡を自叙伝的に綴った『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社)は、「抱腹絶倒のバッタバカ一代記」とも評され、2018年の新書大賞などを受賞してベストセラーとなった。2016年4月からは日本の国立研究開発法人 国際農林水産業研究センターにて研究員として在籍し、サバクトビバッタ研究を続けている。
戸籍名は前野浩太郎(Maeno, K.)であり生粋の日本人だが、モーリタニア現地で授かったミドルネーム「Ould/〜の子孫」を使い、2011年7月1日より研究者名(ペンネーム)を「前野ウルド浩太郎」(Maeno, K.O.)に変更して著作物の一部を発表している。
幼少期
前野のバッタ研究への憧れは、すでに小学生の頃に萌芽していた。小学校低学年の時に科学雑誌の記事を読んだ前野は、「バッタに食べられたい」という夢を抱くようになる。この記事は、日本国外でバッタの大群を見学する観光ツアーに参加した女性が、緑色の衣服を身に着けていたことからエサと間違われてバッタに衣服を喰われた、と報じる内容であった。また、母親が秋田市立土崎図書館から借りてきた『ファーブル昆虫記』を小学生の頃に読んで魅了され、昆虫学者になることを夢見るようになった。
この背景には、幼少期の肥満体質があった。かくれんぼや鬼ごっこだけでも息切れするほどの前野は、次第に遊び仲間たちの間で「空気のような存在」になり、道端に座り込んでうつむくようになった。その時に昆虫が目に留まり、昆虫の動きや体の形などに興味をひかれるようになっていったのである。そして、昆虫の謎を解明するにあたり、自らの創意工夫で実験方法を編み出していったファーブルをヒーロー視するようになった。前野の地元は自然豊かな地だったこともあり、夏休みの自由工作で昆虫の標本を作製したり、昆虫観察を作文してコンクールに入賞するなど、ファーブルへの憧れを胸に昆虫と戯れる幼少期を過ごした。
・・・・・・明日に続く
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= サバクトビバッタのマーチング(モーリタニア)=
https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/df3c18f6716842ee893b430e335dcd40
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