ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年12月12日<ⰧⰊⰧ
☆★ 2年前にルーブルから脱け出した神秘的な美女が、イタリアはフィレンツェで保護される(1913年=『モナ・リザ』の盗難事件解決)。☆★ 年末の風物詩・忠臣蔵が当局により上演禁止となる。記録によれば78年ぶり3度目の禁止とされる。(1945年=GHQの仇討ち・心中物の芝居の上演禁止を指令)。☆★ 100日後に死ぬワニがTwitterで連載開始(2019年)、まさかこれに過労自殺を引き起こした広告屋が絡んでいたとは当初誰も気づかなかった。
本日記載附録(ブログ)
猿人、原人、旧人、新人―何百万年も前から進化してきた人類
ホモ・サピエンス=つまり、我々=だけがなぜ地球上に拡散し、文明を発展させたのか
人類進化の「常識」を覆すフローレス原人 !!?……
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
人類進化・拡散史の解明に実証的に挑む=海部陽介=
海部陽介(12/1x) ◇◆ 第5回 実は世界の最先端だった旧石器時代の日本列島 =2/2= ◆◇
「──長野県あたりでよく出てくる、砥石ですとか、刃の先を磨いた石斧(せきふ)があるんですが、こういう磨製の技術って、新石器時代になってから世界各地に普及するんです。日本のものは、オーストラリアと並んで世界最古級なんですね。日本で発明されたのか、大陸にもともと起源があるのか、まだわからないんですけど、この遺跡で出たものを見ると、もうバリバリ研いでますからね」
海部さんは、展示を前にして、本当に楽しくてたまらないというふうな口調で語ってくれた。最古級だからすごい、というだけではなく、人類史の中で、我々、日本列島の祖先がどのような位置にいて、全地球的な人類拡散史・文化史を再構成するピースを提供できるか、ということなのだから。
ぼくの理解では、こういった人類の起源や拡散に関するネタは、ネイチャーやサイエンスといった、メジャーな学術誌がもっとも好む話題のひとつだ。あるいは、カメラマンが写真を撮りためて売り込めば、『ナショナル ジオグラフィック』の本誌に特集が出ても不思議ではない。
博物館で普通に展示されているレベルできちんと調査され、研究されているものが、まだ世界にはそれほど知られていないというのは驚きでもある。
海部さんは、「日本の旧石器考古学って、本当に面白いですよ」と何度も強調していた。たぶん、これは、違う方面から研究を進めてきた人類学者として、いくら言っても言いたりないくらいの衝撃が、考古学との出会いでもたらされたのであろうと想像する。
「2011年のシンポジウムのプロシーディングス(学術会議で発表された論文)の編集を今進めています。その中には日本の旧石器考古学の関係者自身が、成果をまとめた論文がいくつか掲載される予定なんですよ」と海部さんは付け加えた。
日本の旧石器考古学が世界を驚かせるのを見たいと、ぼくも思う。
なお、意外な事実をひとつ。
「日本の旧石器の遺跡ってどんなところから出るかご存じですか」と海部さん。
そして、旧石器が出てくる地層の断面の展示を指さした。地表から数メートル、3万数千年前くらいまでの地層を切り出したものだ。
「これ、東京の高井戸小学校から取ってきた断面なんですよ」
正直、驚いた。
高井戸小学校とは、杉並区にあるごくごく普通の区立小学校だ。京王井の頭線高井戸駅から見えるし、環状八号線を車で走ると校舎の隣を通り過ぎる。ぼくはたまたま近所に住んでいるので、そこがごく普通の都市環境で、遺跡と聞いてイメージするものとはかなり違うことを知っている。
「皆さん、旧石器時代人って山の中にいるって、誤解しがちなんですよ。でも、そんなことなくて、こういう平地に普通にいたんですよ。東京都は特にたくさん遺跡があって、その中でも多いのは武蔵野台地。あと、神奈川の相模野台地も。僕らの足元にかつての祖先たちが暮らした跡があるんですね」
まっさらな目で自分の足下を見ると、思いもしない歴史が埋まっている。時代は違えど同じ大地で生活をしている以上、当たり前なのだが、意識してみると新鮮だ。インドネシア・フローレス島の「ホビット」の話題から、するりするりとつなぎ目なしに、ここまで話が転がってくるのか、ということも含めて、感慨を新たにした。
次回は“第6回 人類進化から見る、いまとは違うヒトの世界”に続く
○○ 参考資料: 祖先が挑戦した命がけの航海”への挑戦 =7/9= ○○
= 日本列島は、人類の海洋進出のフロンティアだった /
「人類史に刻まれるべき偉大な航海」 の発見 =
私は、研究者である父親(海部宣男。国立天文台名誉教授。ハワイの「すばる望遠鏡」計画リーダー)からの影響もあり、幼い頃から自然科学、特に「人間の過去と成り立ち」に興味がありました。
今はその夢かなって、国立科学博物館で人類進化の研究者に。これまでジャワ原人やフローレス原人の研究などで成果を上げてきましたが、最近では「アジア大陸におけるホモ・サピエンスの大移動と現代アジア人の成り立ち」をテーマにした調査をしています。そうした中、興味深い、知られざる事実に行き当たったのです。
それが前述の「日本人の祖先は海を渡ってやってきた」ということ。とりわけ琉球への航海は、当時の世界で最も困難なものであったはずで、人類の歴史の一幕として教科書にも記されるべきことだと思います。航海術の発達は、アフリカ生まれのホモ・サピエンスが全世界へ広がることができた原動力の1つでした。その謎を解き明かす重要な証拠が、私たちの足元の日本列島にもあったのです。
= 「定説」への違和感。語られてこなかった祖先の本当の旅路 /
祖先たちは海を越えてきた =
今回のプロジェクトの発端の1つは、多くの研究者が採用している「海岸移住説」への私の違和感。この説では、最初のアジア人は海岸をつたってアフリカから東進したと考えます。一部の欧米研究者は、この海岸沿いの移動は日本列島付近にまで達したと、さしたる根拠もなしに述べています。
しかし私が遺跡データを厳選し、初期のホモ・サピエンスの遺跡の信頼できる年代だけを地図に落としてみたところ、海岸移住説とは異なる、もっとダイナミックなシナリオが浮かび上がってきたのです。
祖先たちは沿岸部に限らず内陸部にも爆発的に広がり、寒冷地を含む多様な自然環境に素早く適応していったようなのです。そうした文化的な適応能力を持つ集団が、北(サハリン→北海道)、西(朝鮮半島→九州)、南(台湾→沖縄)の3方から日本列島へ渡って来たはずです(↑上図参照)。
このプロジェクトでは、その中で南の沖縄ルートに注目します。全長 1200 km におよぶ琉球列島には、その全域に3万年前頃までさかのぼる遺跡があるのです(↓下図参照)。偶然の漂流でこのような事態が説明できるでしょうか? 列島全域に広がっていたこと、子孫を増やして島に定着していた証拠があること、そして本州などで見つかっている他の証拠も合わせると、祖先たちはこの航海にあえて挑戦したと考えるしかないでしょう。
= 台湾から黒潮を横断する100 km 以上の航海は本当に可能か?/
沖縄ルート、難関の大航海の再現実験 =
琉球の島々にたどりつくには、数十kmの航海を繰返す必要があります。その一部は100~200 km あるいはそれ以上の距離があり、水平線の向こうの見えない世界へ向かう冒険でした。さらに当時も世界最大規模の海流である黒潮が、今と同じ台湾-与那国島間を流れていたのであれば、それを横断する必要がありました(※当時の黒潮の流路については現在チームメンバーの研究者が調査中です)。
このチャレンジは実際にどれだけ困難だったのか、この3万年前の事実を徹底的に追求するため、多彩な分野の一流研究者と探検家が力を合わせる壮大なプロジェクトが、2013年に始動しました。
実験によって古代技術を検証し、海峡横断に必要だった海についての知識と経験を知り、そして知られざる我々の祖先の本当の姿に迫ります。(図3 実験航海で検証するという突飛なアイディアに共感し、実現しようとする一流の専門家たちが多数集まってくれました)
明日に続く・・・・・
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= 台湾から丸木舟で与那国島へ=実験航海 =
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