ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年11月05日<ⰧⰊⰧ
☆★ ハワード・カーターが王家の谷で盗掘に専念、その執念とカーナヴォン伯の援助でツタンカーメンの黄金マスクを入手(1922年)。されど、「ツタンカーメンの呪い」に遭う。☆★ 8年前にJFKに苦杯を飲まされたリチャード・ニクソンが、雪辱を果たす(1968年)。しかし6年目にして任期途中の水門事故でホワイトハウスから去ることになろうとは、誰も予想しなかった。☆★ 自作の動画・尖閣諸島中国漁船衝突事件によってSENGOKU38がネ申となった日(2010年)。
本日記載附録(ブログ)
地球上のありとあらゆるものは、様々な元素でできている、/なかでも「大きな元素」は自然には存在せず、人工的につくったものだ
大学院生の住田貴之とともに実験結果の初期解析を行なった結果、2012年8月に3個目の113番元素の合成を新たな崩壊経路で確認する
この実験が新元素の合成成功に結び付き、世界の科学者が“超重元素の錬金術師”と彼を呼び、113番元素は「ニホニウム」(nihonium元素記号:Nh)との命名される
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
様々な科学手法・長期間の反復実験を重ねる“超重元素の錬金術師”=森田浩介=
森田浩介(03/13) ◇◆ 第一回 日本人初!の“超重元素の錬金術師” =3/3= ◆◇
ウラン235やウラン238という表記が出てきたが、それはまさに原子核レベルの問題だ。同位体という概念を思い出していただけるならよいのだが、念のために書いておくと、原子番号を決めるのは、前述の通り原子の中でプラスの電荷を持った陽子の数であり、それが決まれば元素が決まる。
しかし、原子核の中には中性子もあるので、中性子の数によって、同じ元素なのに重さが違うもの(同位体)がいくつも存在することになる。化学の世界で使われてきた周期表では、同位体は考慮されず元素は元素でしょう! という雰囲気でまとめてあるのだが、同じ元素でも何種類も同位体があるということをここでは念頭に置いておこう。
そして、その上で、森田さんは、原子核を構成する陽子と中性子の「魔法数」について教えてくださった。
「──原子核にも陽子と中性子がある特別な数になったときに安定になる性質があって、魔法数と呼ぶんです。陽子の方では、2、8、20、28、50、82、その6種類が既知の魔法数で、中性子の方は、それにもう1つ126が加わります」
「──例えばカルシウム40の原子核は、陽子が20、中性子が20でして、両方とも魔法数なので、とても安定で固いんです。もう1つカルシウム48というのがあって、それも20と28の組み合わせ、陽子が20、中性子が28個なんですごく安定なんですよ」
原子核の研究者の間では、魔法数についての興味、つまりどんな条件で、原子核が安定するのか、さらに重たい元素についての理論的な予想があり、超重元素への興味がかき立てられていった経緯があるのだそうだ。
「──原子核が重たくなっていくと、陽子同士の反発力のために、陽子はこぼれ出て中性子が多いほうが安定するんですね。鉛208の原子核は、陽子が82個、中性子が126個。魔法数で一番大きいものを組合わせた二重魔法核で、安定しています。でも、ひょっとすると、もっと大きな陽子の魔法数があって安定した原子核があるのではないかと、1960年代後半に理論の研究者が言い出して原子核物理屋の興味をひいたんです。
それまで決して長寿命では存在しえないだろうと思われていた元素が長寿命で存在すれば、全く未知の性質をもつ物質ができる可能性があるのではないか? などとね。その時は、次の陽子魔法数は114ではないかと言われていました。つまり114番元素の原子核。それで70年代に世界中で実験されたんですが、みんな失敗しまして。やはり、一足飛びに114番目の元素など合成できない、1歩ずつ重たい元素を作っていくしかないという流れになってきたわけです」
次回は“第2回 「我々が見つけた、113番元素はここですね」”に続く
=== 参考資料: 日本発、アジア初__113元素発見の意味するもの ===
理化学研究所RIビームファクトリーで生成された113番元素が国際的に新元素として認定されました。元素周期表に日本人の手で新たな元素が加わったことになります。かつて、新しい元素の発見は新しい物質科学の始まりを意味し、新物質はさまざまに利用され、人々の生活を豊かにしてきました。
今回発見された113番元素は10年近い年月をかけ、困難な中3原子を合成・発見しました。また寿命も約1000分の2秒とみじかく、瞬く間にほかの元素へと壊変してゆきます。
新元素は現在のところ、人々の生活に直接かかわることはないと考えられます。しかし元素は世界の構成要素であり、これを探求することは、人類に化学の基礎を与え、原子核の安定性についてより深い理解を与えます。物質の存在にかかわる基礎研究の深化は、未来の科学、ひいては科学技術と社会の発展に大きな貢献をすることは間違いありません。
元素発見の歴史~発見から命名至るまだ
~元素は「見つける」から「作る」へ
「万物は、その根源をなす不可欠な究極的要素からなる」*(広辞苑 第五版)という考えは古代からの自然観であり、その究極的要素の探究は科学の起源の一つです。そしてこの「究極的要素」を元素と呼びました。その元素が「それ以上分けることができない物質」として定義されたのは18世紀になってからです。
実はその時点までに炭素、金、硫黄、鉄など10種類以上の元素は既に知られていました。19世紀になると「物質を構成する最小の粒子」を原子とする概念が広く支持されるようになり、元素の物質的正体は原子とされ、元素は「原子の化学的性質を表す概念」または「同じ陽子数を持つ原子の総称」となりました。なお、現在では、原子よりさらに小さい素粒子が「物質を構成する最小の粒子」であることが明らかになっています。
1869年、ロシアのメンデレーエフが提唱した「元素周期表」は鉛(Pb 原子番号 82)まで、そして1871年に発表した第二周期表には既に天然で最も重いウラン(U 原子番号92)がありましたが、まだまだ空欄が残っていました。その空欄は徐々に減りましたが、その全てを埋めるには1930年代の加速器の登場を待つ必要がありました。
そして加速器の登場はウランより重い元素(超ウラン元素)を人工的に作り出すことも可能にしたのです。1940年に米国のエドウィン・マクミランらによってネプツニウム(Np 原子番号 93)が作られると、米国で次々と超ウラン元素が作り出され、それらの功績によりマクミランとシーボーグは1951年にノーベル化学賞(超ウラン元素の発見)を受賞しました。
1958年にアメリカでノーベリウム(No 原子番号102)が作られると、その後はソ連(ロシア)、ドイツ、そして日本がこの競争に参入、最近ではロシアと米国の共同研究グループが発見した114番、116番元素に、それぞれフレロビウム(Fl)、リバモリウム(Lv)という名前がつきました。
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= アジア初 新元素を理研が発見 日本に命名権も(15/12/31) =
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