ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年10月27日<ⰧⰊⰧ
☆★ タダでさえ水道やらガス管やらでゴチャゴチャしているニューヨークに地下鉄が開通(1904年)。地下の複雑さに拍車をかけ怪物や妖怪の跳梁跋扈を許す原因に。☆★ ソビエト海軍士官がウォッカではなくウイスキーを支給されたことに腹をたて、潜水艦を座礁させる(1981年= ウィスキー・オン・ザ・ロック)。☆★ ロンドンのシティが大爆発、外国の投資家のカジノと化し大方のイギリス人はお呼びでない存在になる(1986年=金融ビッグバン)。
本日記載附録(ブログ)
表向きは生物統計学の上席研究員にして大学教授。しかし、その裏では体系的な認識のルーツと本質を探求/宗教、写本、はては「百鬼夜行絵巻」など
曰く、日本の進化学者/国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構農業環境変動研究センター環境情報基盤研究領域 統計モデル解析ユニット専門員にして、農学博士(東京大学)
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
統計学を駆使してさまざまな対象に切り込む“系統樹ハンター”=系統樹思考の世界=
三中信宏(09/13)◇◆ 第四回 実証できない進化論ははたして科学なのか =1/2= ◆◇
日本には恐竜ファンが多くて、毎年のように「恐竜展」が行われる。
ぼくも、古生物には興味があり、とりわけ恐竜には破格の魅力を感じる。なにしろ、凄い生き物だった! 是非、肉眼で動く姿を見てみたかった。古生物ではなく、野生動物として。進化生物学、さらには古生物学は、系統を推定したり、古い時代の生態系を再現しようとしたり、遠い過去を垣間見るのぞき窓を提供してくれる。ぼくたちの知識が及ぶ範囲でのタイムマシン、ともいえる。
ところが……宗教的な文化が強い国や地域では、「進化」について受け入れがたいと感じる人が今も少なからずいるようだ。日本ではあまり聞かない話なので、ピンと来ないという人は、「創造科学」「クリエイショニスト」「インテリジェントデザイン」といったキーワードを調べてみるとよい。
例えば、コカ・コーラやマクドナルドの国であるアメリカ合衆国は一見「世俗的」に思えるかもしれないが、深く宗教的な地域があって、学校で創造論(創造科学と、一応、科学を名乗ってはいるが……)を教えるべきだとする声があることを、簡単に見て取れる。
創造論の信奉者が、進化生物学・古生物学分野の研究者にむかって、批判を並べるのを耳にしたことがある。
いわく──
〈進化生物学も古生物学も、何千万年も前にさかのぼって恐竜を観察できるわけではない。系統樹を推定しても裏付けはない。物理や化学のように実験して確かめたりもできない。なにかの法則を導き出して、未来を予測することもできない。科学とは呼べないのではないか〉
これに対して、研究者はこのように回答していた。
〈科学は手持ちのデータから仮説を立てて、検証する。新しい証拠があったら、それに応じて仮説を修正したり、抜本的に考え直す。系統を分析して推定し、たとえばこの時代のこの恐竜と、この時代の恐竜の間に、ミッシングリンクがあると指摘したりする。実際に、それに相当する化石が出てくれば、仮説は補強されるし、逆に相反する証拠(化石)が出てくれば、仮説を修正しなければならなくなる。そうやって、次第に真実に近づいていくことができる〉
それを聞いた時、なんだかわかったような、分からなかったようなもやっとした気分になった。
このエピソードを、統計学者として、進化生物学的な系統推定の理論にかかわり、系統樹について俯瞰的な視野をもつ、三中さんにそのままぶつけてみた。「創造論信奉者への、この反論って、適切だと思います?」と。
「うーん、あんまり、良い説明とは思えないなあ」と三中さんは言った。
「系統関係を推定するのは、物理や化学とは違ったタイプの科学だと考えたほうがいいと思うんですよ。物理学みたいに一般的な法則を導いたりとか、普遍法則を導いたり、とか、そういうことを目指しているんじゃないんですよね。系統推定って、そういう種類の科学ではない」
科学と呼ばれているものにも、いろいろな種類があるのではないか、というのである。
「系統樹の推定でやりたいことというのは、例えば恐竜だったら恐竜、地球のある時期に出現したある生物群がどういうふうに分岐して、種分化して、発展していったのかを明らかにすることです。それは全然一般的じゃなくて、ある特定の生物群がどんなヒストリーをもってきたのかを、現存のデータから逆に推論するっていう、そういうサイエンスになるわけですね」
・・・・・・明日に続く・・・
=== 参考資料: 進化論(1/5) ===
進化論(theory of evolution)とは、生物が進化したものだとする提唱、あるいは進化に関する様々な研究や議論のことである。
生物は不変のものではなく長期間かけて次第に変化してきた、という仮説(学説)に基づいて、現在見られる様々な生物は全てその過程のなかで生まれてきたとする説明や理論群である。進化が起こっているということを認める判断と、進化のメカニズムを説明する理論という2つの意味がある。なお、生物学における「進化」は純粋に「変化」を意味するものであって「進歩」を意味せず、価値判断について中立的である。
進化は実証の難しい現象であるが(現代では)生物学のあらゆる分野から進化を裏付ける証拠が提出されている。
初期の進化論は、ダーウィンの仮説に見られるように、画期的ではあったが、事実かどうか検証するのに必要な証拠が十分に無いままに主張されていた面もあった。だが、その後の議論の中で進化論は揉まれて改良されつつある。
現代的な進化論は単一の理論ではない。それは適応、種分化、遺伝的浮動など進化の様々な現象を説明し予測する多くの理論の総称である。現代の進化理論では、「生物の遺伝的形質が世代を経る中で変化していく現象」だと考えられている。
中世以前の進化思想
古代ギリシャの哲学者アナクシマンドロスは生命は海の中で発展し、のちに地上に移住したと主張した。エンペドクレスは非超自然的な生命の誕生を論じ、後の自然選択に類似した概念を書いている。
中国では荘子が進化思想を持っていた。ジョセフ・ニーダムに拠れば、道教ははっきりと種の不変性を否定し、道教の哲学者は生物が異なる環境に応じた異なる特徴を持っていると推測した。
彼らは自然に対して、当時の西洋の静的な視点とは対照的に「恒常的な変化」を見いだした。古代ローマの哲学者ルクレティウスはギリシアのエピクロス主義に基づいていかなる超自然的干渉もなしで宇宙、地球、生命、人間とその社会が発展すると論じた。
ローマに受け継がれたギリシアの進化思想はローマ帝国の没落と供に失われたが、イスラムの科学者と哲学者へ影響を与えた。イスラムの学者、哲学者で詳細に進化を推測したのは9世紀のAl-Jahizであった。
彼は生物の生存のチャンスと環境の影響を考え、「生存のための努力」を記述した。Ibn Miskawayhは蒸気から水、鉱物、植物、動物、そして類人猿から人へと進む生命の発展の歴史を書いた。イブン・アル・ハイサムは進化論を称賛する本を書いた。
他の学者たちアブー・ライハーン・アル・ビールーニー、ナスィールッディーン・トゥースィー、イブン=ハルドゥーンらも進化思想について議論した。彼らの本はルネサンス以降ラテン語に翻訳されてヨーロッパに持ち込まれた。 ・・・・・・明日に続く
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