ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年10月23日<ⰧⰊⰧ
☆★ 年号を明治に改めることにすると共に、年号が天皇の私有物となることに(1868年=慶応から明治に)。☆★ ドイツの総統がスペインの総統に第二次世界大戦への参戦をせっつくものの、昼寝時だったため実現せず(1940年=西仏国境アンダイで会談)。☆★ 成天皇に初孫が生まれる(1991年)が、惜しくも女の子だった。待望の男の子が生まれるには、更に15年の時を待たねばならなかった。尚、初孫は眞子内親王と呼ばれ、秋篠宮家の長女なれど今日は小室眞子。
本日記載附録(ブログ)
表向きは生物統計学の上席研究員にして大学教授。しかし、その裏では体系的な認識のルーツと本質を探求/宗教、写本、はては「百鬼夜行絵巻」など
曰く、日本の進化学者/国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構農業環境変動研究センター環境情報基盤研究領域 統計モデル解析ユニット専門員にして、農学博士(東京大学)
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
統計学を駆使してさまざまな対象に切り込む“系統樹ハンター”=系統樹思考の世界=
三中信宏(06/13)◇ 第三回 ハヤブサがタカよりインコに近かったことが示すもの=前節= ◇
三中さんは京都の生まれで、小学生時代は、近く山の渓流で石をひっくりかえして水生昆虫を集め、夜は灯火採集といったように、かなり深みにはまった昆虫少年だったという。東京大学農学部に進学し、最初は昆虫の分類学に携わろうと考えていた。
しかし、本人いわく「たまたま」生物統計に出会ってしまった。だから、三中さんの「表の仕事」は、一見、系統樹とは関係がないものだ。農業環境技術研究所、という名の通り、農学に関係が深く、かつ、統計に関わる仕事なのである。
「私のいるところは、現在は組織改革により研究室とは呼ばなくなりましたが、元をたどれば第二次世界大戦直後に旧農事試験場に設置された物理統計部がルーツでした。30数名のスタッフを擁した物理統計部には統計調査を専門とする調査科という部署がありまして、育種実験計画など農林水産研究の統計データ分析を専門にしていました」
「当時は大型コンピューターがまだ普及していなかったので、データ計算は手計算あるいは『タイガー計算機』という機器を用いていました。1960年から毎年開催されていた統計研修というのがありまして、各地にある農水省系の研究所の人たちがデータを持ってきて、2週間朝から夜まで計算し続けるようなことをすべて手計算でやっていたと聞いています。持ってくるデータは、まさに実地のもので、例えば新しい品種ができれば、ほんとにこれは良い品種なのかどうか知りたい、ですとか。最近は農水省でも、分子レベルの研究が、増えましたからDNAデータを扱う研究も多いんですが」
農学と統計学は切っても切れないほど深い縁がある。
現代統計学の祖の一人であるロナルド・フィッシャーが、20世紀のはじめに研究生活を送っていたのは、英国の農業試験場であった。実験計画法、分散分析、最尤法(さいゆうほう)といった、統計学のどんな教科書にも出てくる、基礎的で偉大な業績を多く残した。
またフィッシャーは進化生物学者でもあった。彼の考えは優生学と密接に関連していたので、この点について後世の評判はよくないのだが、ここでは進化生物学の研究、例えば系統推定などが、統計学によって確からしさを保証されるものだと押さえておきたい。
「統計学という意味では、『裏の仕事』も『表の仕事』もたしかにつながっています。昔から生物の分類には興味があったんですが、たまたま生物統計の研究室に行くことになって、進化の系統推定をどうやっていくのかということになると、実は、それらがつながっていたと。まあ、いきがかり"by chance"なのですが」
なお、進化の道筋を知る系統推定(つまり、系統樹を描くために必要な作業である)になぜ、統計学が必要なのか。意外に思う方もいるかもしれないので解説していただいた。
「今は、DNAの塩基配列やタンパク質のアミノ酸配列を見て、系統推定をすることが増えました。かつては形態を見ていたんですが、原理的には同じです。生き物ごとに相互に比較できる特徴(形質)がありますから、適切な指標となりえる部分を複数選んで解析するわけです。進化の過程でどのような順番で枝が分岐したと考えるのがもっともらしいか、データから推定しうる最良の系統樹はどうなるかが、系統樹推定の中心となる問題です。そのために,最節約法、最尤法、距離法、と様々な方法が考案されてきました。特に、最近はDNA塩基配列やタンパク質アミノ酸配列の分子進化過程を確率モデルとして考察する分子系統学が進展してきましたから、系統樹の推定に際して統計学の最先端の知識が要求されるようになってきました」
といった具合。
・・・・・・明日に続く・・・
=== 参考資料: サー・ロナルド・エイルマー・フィッシャー (1/2) ===
サー・ロナルド・エイルマー・フィッシャー Sir Ronald Aylmer Fisher(1890年2月17日 - 1962年7月29日)は、イギリスの統計学者、進化生物学者、遺伝学者で優生学者である。現代の推計統計学の確立者であるとともに、集団遺伝学の創始者の一人であり、またネオダーウィニズムを代表する遺伝学者・進化生物学者でもあった。王立協会フェロー。
少年・青年期
少年時代から数学の才能を発揮するとともに生物学にも興味を持った。1909年、ケンブリッジ大学に進み、数学を学ぶとともにジョン・メイナード・ケインズやホレース・ダーウィン(チャールズ・ダーウィンの息子)とともに優生学研究会を組織した。
卒業後まもなく第一次世界大戦が始まるが、この時期は会社の統計係やパブリックスクールの教職などをしながら、遺伝学と統計学の研究を続けた。この時期に彼は論文を書いたが、この論文は連続変数的遺伝がメンデルの法則と両立することを示すものであるとともに、当時すでにカール・ピアソンらによって用いられていた相関分析の方法に、分散分析という非常に重要な方法を導入するものでもあった。1917年にはアイリーン・ギネスと結婚し、その後8人もの子をもうけた。
終戦とともに新しい職探しを始め、ピアソンに招かれたものの、彼に反感を抱いてこれを断り、1919年、ハートフォードシャー州のロザムステッド農事試験場の統計研究員に就職した。ピアソンや息子のエゴン・ピアソンらとは、のちに統計学に関して大論争を起こすことになる。
研究生活
ここでは大量のデータに関する研究を行い、結果は『Studies in Crop Variatio』という一連の報告となった。その後の数年間がフィッシャーの全盛期であり、実験計画法・分散分析・小標本の統計理論といった革新的な業績を生み出す。
実際的なデータの研究から始まって新しい統計学理論へと進むのが彼の仕事の特徴であった。この仕事は1925年に最初の成書『Statistical Methods for Research Workers』として実を結ぶ。これはその後の長きにわたり様々な分野の研究者のスタンダードとなった。1935年には『The Design of Experiments(』を出版しこれもスタンダードとなる。
フィッシャーは分散分析や最尤法の手法を編み出し、統計学的十分性、フィッシャーの線形判別関数、フィッシャー情報行列などの概念を産んだ。彼の1924年の論文『On a distribution yielding the error functions of several well known statistics』では、統計学全体の枠組みの中に、ピアソンのカイ二乗分布や、スチューデントのt分布を、正規分布や、彼自身の成果である分散分析やZ分布とともに位置付けた。これで20世紀の統計学の大家と呼ばれるに十分であった。
/ 明日に続く
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