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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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軽敏廉価な高速移動器具=ローラースケート史= 3/3; 歴史深層(056)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年10月15日<ⰧⰊⰧ

☆★ 蒋介石一派に燻り出された中国共産党が集団で夜逃げし、以後2年間・12,500kmにわたるガンパレード・マーチに出発(1934年=西方への長征を開始)。☆★ 第二次世界大戦中さんざん日本軍に協力したインドネシア独立派が、敗戦で利用価値が無いと見るや武器を分捕るために攻撃を仕掛ける(1945年=スマラン事件)。☆★ 長崎県平戸口発長崎行きの西肥バスが「アソレンゴウ セキグン」と名乗る覆面レスラー風の男2人組に乗っ取られる(1977年=長崎バスジャック事件)ものの、18時間後に警察官が押しかけて事態は決着することに。

本日記載附録(ブログ)

発明には失敗がつきものです。失敗を重ねて成功が生み出される。ローラースケートの発明者であるジョンは、まさかの失敗をしてしまう。軽快なる移動器具である車輪靴の発表会でのこと、演出を派手にしようとバイオリンを弾きながら登場したジョン。ここで彼はあることに気がつきます。

ブレーキがない!!?。どうすることもできない彼は、そのまま壁に衝突して止まる。色々な意味で「滑った」発表会になってしまったというお話。史実は、在英ベルギー人のジョン・ジョセフ・マーリンが、1760年にパーティで自身が使用したとされるが、これらが広まる事はなかった。

1863年の米国にて最初のクワッドスケートが発売される。安全で簡単に楽しめる遊具として広まり、ニューヨークシティやロードアイランドのニューポートに専用のリンクが開設された。そして、1979年の米国にてローランドプレード社のインラインスケートが発売される。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

コロナで再燃、健康的なローラースケートの意外と長い300年の歴史……

◇◆ 最初のブームは19世紀後半、革命的なあるモデルが火付け役に =3/3= ◆◇

 20世紀に入る頃には、米国のシカゴコロシアムとニューヨーク市のマディソンスクエアガーデンに巨大なローラースケート場が建設され、ローラースケートブームは最初の頂点を向かえた。その後の数十年間、ローラースケート人気の上昇と下降を繰り返しつつ、1916年の『チャップリンのスケート』をはじめ、サイレント映画に登場するまでになった。

 ローラースケートはまた、家族で楽しめる屋外レクリエーションになっていった。さらに、多くの道路が舗装されるにつれ、都市部以外にもスケート人気が広がっていった。子どもたちが街中でローラースケートをしている光景が当たり前になり、上の世代からは道路法の無視や危険な動きについての苦情が出るようになった。当然のことながら、スケートでの怪我も急増した。

 大恐慌と第二次世界大戦を経て、ローラースケートは米国で黄金時代を迎え、最大の人気を誇る参加型スポーツとなった。ピーク時にはローラースケート場が5000カ所あり、1800万人のスケーターがいた。エンターテイメント色の強いチーム格闘技である「ローラーダービー(ローラーゲーム)」を観戦するためにファンが押し寄せ、1940年代後半には、対戦相手への攻撃が認められた試合が毎週テレビで放映されるようになった。

インライン型への回帰

 技術者たちは長年にわたり、4輪のクワッドスケートを改良しようと努めていた。1880年代には車輪にボールベアリングが加えられ、よりなめらかな滑り心地が実現した。

 一方、4輪型に対抗する試みはなかなかうまくいかなかった。たとえば、先の画像にある英国人J. F. ウォルターズが1882年に三輪車をヒントに発明した3輪スケートや、パリのシャルル・シュベルスキーが1896年に発明した、靴の前後に2つの小さな自転車用の車輪を備えた自転車スケートはいずれも失敗に終わっている。

 ターンやスピードコントロールの性能を上げる技術革新は成功した。20世紀半ばには、スケートの先端部にゴムのブレーキ「トーストップ」を付けることが当たり前になり、減速と停止がそれまでよりはるかに簡単になった。木製の車輪は金属とゴムに取って代わられた。その後、ポリウレタンの車輪によって地面を捉える力が向上し、1970年代にはローラースケートを履いて踊る「ローラーディスコ」が爆発的に流行した。

 1980年代には、インライン型への回帰によって新たなブームが巻き起こった。2人の兄弟が、アイスホッケーのスケートの動きを再現したインラインスケートをデザインしたのだ。彼らが発明した「ローラーブレード」によって、スポーツとしてのローラースケートが復活し、インラインスケート競技やローラーホッケーの人気が急上昇した。

 3世紀ほどの歴史の中で、ローラースケートは人々に運動と娯楽の源泉となり続けてきた。今後もデザインや素材は進化してゆくだろうが、150年前と変わらぬ魅力を放ち続けるに違いない。

次回は新シリーズ“学究達: 進化の”系統樹ハンター” _ 三中信宏  に続く・・・

⨁⨂参考資料: 昭和に流行した「ローラースケート」のお話(2/2) ⨂⨁

空前のローラースケート・ブーム到来!

 この第3次ローラースケート・ブームは女子にモテたい男子も巻き込んで、今までで最大のブームとなりました。この時のブームで子どもたちが手に入れたローラースケートも以前のものとは異なり、シューズタイプのカッコいいスケートの子もチラホラいたような。でもやっぱり主流は靴に取り付けるタイプの方でしたね。ただ、第1次の頃よりポップなカラーになって、軽量化もされていたようです。

    光GENJIとローラースケートのイメージは鮮烈で、この世代にとっては光GENJI=ローラースケートとして記憶に刻み込まれました。それほどセンセーショナルに押し寄せた第3の波も、1995年の光GENJI解散とともに終わりを告げます。この終焉ののちは各地のローラースケート場の閉鎖も相次ぎ、老舗であった後楽園ローラスケートリンクも2002年に営業を終了してしまいました。

ローラースケートに代わりインラインスケートが流行

 第3次ブーム終焉後、ローラースケートに代わりインラインスケートが子どもたちの間で主流となりました。ローラースケート・ブームを経験した世代で、自分の子どもにインラインスケートを買ったという方もいることでしょう。

 アメリカのローラーブレード社のものが有名で、インラインスケートのことをローラーブレードとも呼びますね。また、スニーカーの靴底にローラーが装着されたヒーリーズも流行りました。子どもはいつの時代も“滑る”おもちゃが大好きです。

ローラースケート再ブレイクの兆し!?

 人々の記憶からすっかり消えてしまったと思われたローラースケートですが、再ブレイクの兆しも。10代の若者世代を中心に人気のスポーツアミューズメント施設にローラースケートリンクが出現し、さらに2011年には東京ドームシティに「東京ドームローラースケートアリーナ」が再オープンして近年、その認知度を上げています。

 また、ローラースケートをウリにし、特技とする光GENJIの後輩アイドルも現れ、TVで観たときは一瞬タイムスリップしてしまったかと思いました!

 ローラースケートは全身の筋肉を使う有酸素運動で、膝に負担がかかりにくくジョギングよりもカラダに優しいスポーツといわれます。日が暮れるまで遊んだ子どもの頃を思い出して、風を切って滑る爽快なローラースケートに再チャレンジしてみるのもいいかもしれませんね。

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= People Are Awesome Presents: Indy Jamma Jones | Roller Skating =

https://youtu.be/G6k3aQcKT1s

= America's Cup 2022 - Artistic Roller Skating =

https://youtu.be/ZgpXQ3ojDX4

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=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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前節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/a0072fcde81c65dc2bcc93adcbf81f6c

後節へ移行 : http://blog.goo.ne.jp/史跡深層057/xxx

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森のなかえ

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