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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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アネリカ先住民がが築いた大都市=カホキア=(1/9); 歴史深層(040)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年09月27日<ⰧⰊⰧ

☆★ 13日前に選出されたばかりのローマ教皇ウルバヌス7世が、重責に耐えかねて自分から天に召される(1590年)。☆★ ナポレオン・ボナパルトのエジプト土産に何が書かれているのかが判明(1822年=ロゼッタ・ストーンの解読)。☆★ 中国を蹂躙しまくってた日出ずる国とヨーロッパの支配者に載し上がろうとしていた卐)が共闘。翌年にも起きそうなアンクルサムとの決闘に備える(1940年=日独伊三国同盟締結)。

本日記載附録(ブログ)

カホキア (Cahokia) は、アメリカ先住民が築いた大遺跡。現在のアメリカ合衆国中西部、東部および南東部に広まり、ミシシッピ文化期(A.D.700年~1600年頃)の大遺跡。1450年頃から衰退に向かうが、人口過密と伝染病が原因と考えられている。

ミシシッピ文化(Mississippian culture)は、マウンド(塚、上に住居や墳墓などを建設するために積み上げた人工の丘)を構築したインディアン文化であり、地域により様々な形態をなした。その人々は持っていた技術からみてヨーロッパの銅器時代に比定される。マウンドの機能はミシシッピ文化共通の特徴でもあるが、基本的には神殿と考えられる。

防御用と推定される柵で囲まれた遺跡の中心部分には、「中央広場」を囲んで20基ほどのマウンドがある。そのうち最大のものはモンクス=マウンド (Monk's Mound) で、底面積の大きさでは、エジプトのピラミッドやテオティワカンの太陽のピラミッドを上回る。遺跡の中心部を囲んで北側、東側、西側にも広場を囲むようにしてマウンドが築かれ、マウンド数は合計120基ほどである。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆ アネリカ先住民が築いた大遺跡・カホキア(仁徳陵古墳の長辺60%、高さは同相)の謎 =1/9= ◆◇

米国イリノイ州、ミシシッピ川の東に、先住民が築いた大都市の遺跡がある。カホキアだ。西暦1000年から1200年代の最盛期には、この都市は面積約16平方キロメートルに達し、住民たちは墳墓や公共建造物、さらには「ウッドヘンジ」と呼ばれる天文観測所を建設した。

 なかでも大きな存在感を放っていたのは、メキシコ以北最大の土塁であるモンクス・マウンドだ。複数の段からなるこの墳丘は、約30メートルもの高さにそびえていた。

 カホキアの墳丘群は、その昔、メキシコの砂漠と北極圏に挟まれた地域において最大規模をほこった「ミシシッピ文化」の核となる遺跡だ。農業文明であるミシシッピ文化は、西暦800年頃から最盛期の13世紀頃にかけて今の米国中西部と南東部に広がった。アメリカ先住民の最も優れた業績のひとつとも言われるカホキアには、この文化の痕跡が目に見える形で残されている。

カホキアが見捨てられてきた理由
 現在、カホキアは、イリノイ州の史跡、国の歴史的建造物、ユネスコの世界遺産に指定されている。しかし、近年までは地元の人たちしか知らない遺跡だった。その背景には深い事情がある。

 カホキア墳丘について初めて詳細な記述を残したのは、ヘンリー・M・ブラッケンリッジだった。弁護士でアマチュア歴史家だったブラッケンリッジは、1811年、周辺の草原を探索している最中に偶然、この遺跡と巨大な中央墳丘を見つけた。「非常に驚かされた。まるでエジプトのピラミッドを眺めているような気分だった」と書き残している。

 ブラッケンリッジの発見を報じた新聞記事は、ほとんど話題にならなかった。ブラッケンリッジはこれについて、友人の元大統領トーマス・ジェファーソンに宛てた手紙で不満を述べている。友人にこうした著名人がいたことで、カホキアの存在はようやく知られるようになっていったものの、その後もさして注目を集めることはなかった。

 1830年にアンドリュー・ジャクソン大統領が制定したインディアン強制移住法は、東部の先住民をミシシッピ以西の土地に移住させることを命じたもので、その前提には、アメリカ先住民は「野蛮人」であるという白人至上主義的な考え方があった。

 かつて栄えた大都市があったという証拠は、こうした考えにとって都合が悪かった。19世紀の歴史家たちは、カホキア墳丘群を築いた人々の正体について、フェニキア人からバイキング、さらには失われたイスラエルの部族まで、滑稽なほど多様な候補を挙げてみせた。それほどまでに、アメリカ先住民の技術や尽力を認めたくなかったのだ。

 米国の大学でさえ、カホキアをはじめとする国内の遺跡にはほとんど目を向けなかった。1880年代になってようやく、スミソニアン協会のサイラス・トーマスが何年もかけて現地調査を行った末、墳丘群がアメリカ先住民のものであることを証明した。それでもカホキアや近隣の墳丘群の価値を認める人の数はそう多くはなかった。

 かつて周辺に住んでいたフランス人修道士たちにちなんでその名が付けられたモンクス・マウンドは(モンクは修道士の意)、1925年に小さな州立公園となったが、ソリ遊びやキャンプをする場所として利用されていた。カホキアの残りの部分は、1960年代に入るまではほぼ放置状態だった。

 皮肉なことに、カホキアが地図に載るきっかけとなったのは、この土地にそれまでで最大の建築プロジェクトが持ち上がったことだった。ドワイト・アイゼンハワー大統領の州間高速道路計画には、その経路にある遺跡の調査に関する条項が含まれていた。計画では2本の高速道路が遺跡を串刺しにするように貫いていたことから、遺跡の体系的な調査が開始された。そして考古学者たちは、天啓とでも呼ぶべき大発見をした。

・・・・・・明日に続く・・・

⨁⨂参考資料: ミシシッピ文化(1/4) ⨂⨁

 ミシシッピ文化( Mississippian culture)は、マウンド(塚、上に住居や墳墓などを建設するために積み上げた人工の丘)を構築したインディアン文化であり、およそ800年から1500年まで、現在のアメリカ合衆国中西部、東部および南東部に広まり、地域により様々な形態をなした。その人々は持っていた技術からみてヨーロッパの銅器時代に比定される。

    ミシシッピ文化の生活様式はミシシッピ川渓谷で発展し始めた。テネシー川渓谷支流の文化も当時のミシシッピ文化の性格を持って発展し始めた。ミシシッピ文化の遺跡とされる場所の年代は1539年(スペインの探検家エルナンド・デ・ソトが探検した年)以前に遡り、これらの遺跡ではヨーロッパ白人による遺物がほとんど見つかっていないので、この文化はほとんどすべてヨーロッパ白人との接触以前のものとされている。

文化の特徴
ミシシッピ文化を特徴づけるものとして多くの点が認識されている。ミシシッピ文化の人々が全て下記の行動をしたというわけではないが、これらの特徴の幾つかあるいは全てを採用したということで、その前の時代の人々とは区別が出来る。

1.  頂点のない断面台形のマウンド(en:platform mound)の構築。これらのマウンドの多くは正方形、長方形などの四辺形あるいは円形のものもある。構造物(住居、寺院、墳墓など)がたいていはマウンドの頂上に構築された。
2. トウモロコシを基本とした農業。ほとんどの場所でミシシッピ文化の発展は比較的大規模で集中したトウモロコシ農業の採用と時期が一致する。
3. 土器の混和材として川の(極くまれに海の)貝を用いていること。
4. 西はロッキー山脈、北は五大湖、南はメキシコ湾、東は大西洋まで交易の範囲が拡がっていること。
5. イングランドにおける古代ローマ以後、統一以前の種族に様々な点で比較できる社会構造における首長制国家(首長により治められる社会構造、 チーフダム、en:chiefdom )あるいは複雑な構造をもつさまざまな首長制国家形態の発展。
6. 制度化された社会的不平等の発展。
7. 少数もしくは一人の手に、政治的および宗教的支配権力の組み合わせの集中化。
8. 居住地域の階層化の開始。大規模なマウンド群をもつような祭祀センターは、少数のマウンドを所有していようといまいと、多くの小さな集落に明らかに影響を及ぼすか支配した。
9. 「南東部祭礼様式」、またはサザン・カルトと呼ばれるものの祭具の採用。これは現在でも知られているミシシッピ人の信仰様式である。

サザン・カルトはウィスコンシン州(アズタラン州立公園)からメキシコ湾岸、またフロリダ州からアーカンソー州やオクラホマ州にかけて発生した。これは時に、チャンキー(en:chunkey)のような儀式的ゲームに結びつけられている。
ミシシッピ人は文字体系がなく、石の建築も無かった。自然に発生している金属堆積物を加工できたが、銅や鉄を溶解して加工する冶金の技術はなかった。・・・・・・明日に続く

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=Cahokia Mounds State Historic Site=

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=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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