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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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公民権運動への決断_キング牧師1/3; 歴史深層(018)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年08月29日<ⰧⰊⰧ

☆★ 日本で銅が初めて採れたのを記念して、海の向こうの国のを真似た銅銭を鋳造(708年=「和同開珎」を発行)。でも、多くの日本人には使用方法が解らずお察し下さいな事に。☆★ インドでぞんざいな扱いを受けたヴァスコ・ダ・ガマが、胡椒を手土産にポルトガルへの帰途につく(1498年)。☆★ 帝都物語の出版元の創業者の息子が自ら野性の証明をする筈が、金田一耕助によって酒井法子並みだったことが判明(1993年)。

本日記載附録(ブログ)

彼はプロテスタントバプテスト派の牧師、市民やメディアはキング牧師と呼ぶ

クローザー神学校の院生の折マハトマ・ガンディーの思想を知り、ボストン大学で博士号修得

牧師として就任したモンゴメリーで発生したローザ・パークス逮捕事件が彼の運命を激変した

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

ローザ・パークスとキング牧師……内向型と外向型二つの性格が歴史を変えた

◇◆ 公民キング牧師とローザ・パークス_ _ _「非暴力主義」の公民権運動 =1/3= ◆◇

米国公民権運動のきっかけとなった「NO」の一言
アラバマ州モンゴメリー。1955年12月1日夕方、バス停で市営バスが停まり、きちんとした身なりの四〇代の女性が乗り込んだ。彼女の名前はローザ・パークス。地元のデパートの換気が悪い地下にある仕立屋で、一日中アイロンがけをして疲れているにもかかわらず、背筋をぴんと伸ばしている。

足はむくみ、肩はこわばって痛んでいた。有色人種用の席の一番前に座って、彼女は乗客たちが乗ってくるのを静かに眺めていた。ところが、運転手が白人に席を譲れと彼女に命令した。

そのときパークスが発した一言は、全米に広がる公民権運動の契機となり、より良いアメリカを導く第一歩となったのだ。

その言葉は「ノー」だ。

運転手は警察を呼んで逮捕させるぞと彼女を脅した。「どうぞ、そうなさい」パークスは答えた。警官がやってきて、なぜ席を譲らないのかと訊いた。

「どうして私が罪に問われなければいけないの?」彼女は簡潔に訊き返した。「知るもんか。とにかく、法律は法律だ。おまえを逮捕する」警官が言った。

パークスが市条例違反で罰金刑を宣告された日の午後、モンゴメリー向上協会が町一番の貧困地域にあるホルトストリート・バプテスト教会で集会を開いた。パークスの勇気ある孤独な行動を支持する5,000人が集まった。教会内から人が溢れ、外の人々はラウドスピーカーから流れる声に耳を傾けた。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が「鉄のごとき弾圧に踏みつけにされるのを終わりにするときが来た。七月の太陽の照る人生から押しだされて、冷気が肌を刺す一一月の高山に取り残されるのを、終わりにするときが来たのだ」と群集に語りかけた。

キング牧師はパークスの勇気を称え、彼女を抱きしめた。彼女はただ黙って立っていたが、それだけで群集を活気づかせた。この集会はその後381日間も続く市営バスのボイコット運動へとつながった。人々は何マイルも歩いて通勤したり、知らない人と車を相乗りしたりした。そして、アメリカの歴史を変えたのだ。

ローザ・パークスは、たとえバスいっぱいの乗客から睨まれてもびくともしないような、大胆な性格の堂々とした女性だろうと、私は思い込んでいた。

だが、2005年にパークスが92歳で亡くなったとき、たくさん出た追悼記事はどれも、静かな語り口のやさしい女性で小柄だったと書いていた。記事は彼女を「臆病で内気」だが「ライオンのごとく勇敢」としていた。「徹底した謙虚さ」と「静かなる不屈の精神」という言葉があちこちで見かけられた。

物静かで、そのうえ不屈の精神を持つとは、どういうことだろう? いったいどうすれば、内気でかつ勇敢でいられるのか?

パークス自身もこの矛盾に気づいていたらしく、自伝の題名を『静かなる力強さ』(邦題は『勇気と希望――ローザ・パークスのことば』高橋朋子訳)としている。私たちの思い込みに挑戦するような題名だ。静かで力強い人というのは例外的なのか。物静かな人は、じつは思いがけない面を秘めているのだろうか。

・・・・・・明日に続く・・・

⨁⨂参考資料: マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの生涯と遺産 (1/3)⨂⨁

==== アメリカ大使館/公式マガジン より====

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、アメリカにおける人種差別撤廃を求める非暴力の闘争に生涯をささげました。1月第3週の月曜日は「マーティン・ルーサー・キング牧師の日」。キング牧師の功績をたたえるアメリカの祝日で、市民に地域の奉仕活動にかかわるよう勧める日です。

人生の始まり
1929年1月15日、何代も続くバプテスト派聖職者の家に生まれたキングは、ジョージア州アトランタで育ちましたが、当時はジム・クロウ法によってアメリカ南部の黒人に対する人種隔離政策と差別が日常になっていました。

アトランタのモアハウス大学に進学したキング牧師は、宗教に社会変革を促す強い力があると考えるようになりました。ボストン大学大学院神学部で博士号を修了した後、南部に戻り、アラバマ州モンゴメリーのデクスター・アベニュー・バプテスト教会で牧師を務めました。

現在、アトランタにあるキング牧師の生家は、アメリカ国立公園局により国立歴史地区に登録されています。

1950年代の公民権闘争
キング牧師は、アラバマ州モンゴメリーで起きたバス乗車ボイコット運動を支援しました。裁縫師だったローザ・パークスが、白人の乗客に席を譲るのを拒否したために逮捕されたことがきっかで始まったこの運動は、1年間続きました。

1956年に最高裁判所が、アラバマ州においてバスに適用される人種分離法を違憲とした後、キング牧師は、南部キリスト教指導者会議を共同で設立し、南部全域で公民権を求める非暴力活動を呼びかけました。またマハトマ・ガンジーの教えの影響を受け、1959年にインドに渡航しました。

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  =  21世紀への伝言 【非暴力・不服従】ガンジーとキング牧師  =

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=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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