生態がほとんどわかっていなかったオオサンショウウオ
驚くべきは国の特別天然記念物でありながら、その生態は謎だらけ
勤務する水族館でよく聞かれた素朴な疑問に答えようと研究をはじめた
子供たちに答えようと、ついには「日本ハンザキ研究所」を作ってしまった栃本武良
【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=的野弘路、堀信行 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ 栃本武良: 第2回 「オオサンショウウオって何年生きるの?」 =1/3= ◆◇
兵庫県朝来市生野町の日本ハンザキ研究所を訪ねて栃本武良所長に会い、「うらやましい!」と思う人は多い。
と勝手に推測で書いてしまうが、ぼくは滅茶苦茶、うらやましい。
姫路市立水族館の館長として一時代を築き、退職した後も自分のフィールドを持ち続け、なおかつ、「城」まで築いてしまったのだから。
その城が、ハンザキ研究所だ(ハンザキは、オオサンショウウオの古い標準和名)。
川沿いにたたずむ小中学校の廃校をそのまま利用して、2005年、研究所を立ち上げた。
プールには、川の水を導入し、河川工事で一時的にすみかをなくしたオオサンショウウオを引き受けて飼育できるようになっている。またプールの機械室を改装してミニ水族館を開設し、緊急保護として採集した卵からオオサンショウウオの幼生を育てている。体育館兼講堂は50人規模のイベントホールにぴったりだ。校庭には池をつくり、ビオトープにしている。
そして、校舎! 職員室だった場所が研究所の事務室で、1階の教室は7つを使って資料室として、様々なものを保管してある。オオサンショウウオ関連の生体標本やグッズはもちろんのこと、西日本各地で集めた民俗資料、さらには研究所近辺の生き物の標本も多数。もう「やりたい放題」なのである。
栃本さんは、退職後に築いたこの「城」で、実に若々しい熱のある口調で、オオサンショウウオとの出会いから、ハンザキ研究所開設にいたる経緯を語ってくれた。
まず原点は水族館の飼育員時代。
「子どもたちが大きなオオサンショウウオを見て、『これは何歳?』『何年生きるの』と、素朴な質問をしてくるわけですよ。そのたびに「分かっていないんです」としか答えられないんですね。国の特別天然記念物だし、地域で一番著名な水中の生き物ですよね。なのに、基本的な寿命とかもわからない状態で放っておくのはいけないんじゃないかという思いがずっとありました」
栃本武良(とちもと たけよし)
1941年、東京都生まれ。NPO法人日本ハンザキ研究所所長。東京水産大学卒業後、生物科の教諭を経て、姫路市立水族館建設準備室着任。 昭和50年よりオオサンショウウオの生態調査を始める。 平成6年から姫路市立水族館長を11年間務め、退職後、日本ハンザキ研究所を設立。『大山椒魚』(解説、ビブロス)、『生物による環境調査事典』(編著、東京書籍)、『環境保全学の理論と実践3』(共著、信山社サイテック)、『これからの両生類学』(共著、裳華房)などの著書がある。
日本ハンザキ研究所のホームページhttp://www.hanzaki.net/
■□参考資料: “謎の生物”オオサンショウウオを追って (1/2) □■
世界最大の両生類といわれる国の特別天然記念物、オオサンショウウオ。3千万年前から変わらぬ姿で生き続け、「生きた化石」とも呼ばれている。近年は日本の在来種と中国種との交雑種問題がクローズアップされているが、実は、寿命も生態もよく分かっていない“謎の生物”なのだ。そんなオオサンショウウオを約40年にわたって追い続け、山奥の廃校に移り住んでしまった男性がいる。
兵庫県朝来市のNPO法人「日本ハンザキ研究所」の所長を務める栃本武良さん(74)だ。「ハンザキ」とはオオサンショウウオの昔の標準和名で、「大きな口を開くと半分に裂けているように見えるから」だと言われている。廃校となった小・中学校に研究所を構えたのは、館長を務めた姫路市立水族館退職後の2005年。校舎のそばに建つ教員住宅に移り住み、近くを流れる市川で生息調査を続けている。
オオサンショウウオは夜行性のため、栃本さんは夜な夜な自転車で川に出かけてはオオサンショウウオを探し、見つけた個体に追跡のためのマイクロチップを埋め込んでいる。水族館時代から確認した個体数は1600匹を超え、うちマイクロチップを付けた個体は約970匹に上っている。
山奥にたった1人で生活し、ひたすらオオサンショウウオを追いかける日々。何が栃本さんをそこまで駆り立てるのか。きっかけは、水族館勤務時代に子どもたちから受けた質問だった。
オオサンショウウオの展示に集まってくる子どもたちから、幾度となく「これは何歳なの?」「何年生きるの?」と聞かれ、その度に言葉に詰まり、答えられなかった。「基本的な生態さえ不明なまま飼育展示するのは恥ずかしい」という思いから、1975年に調査を始めたのだという。
最初の約15年間は、ひたすら捕まえては全長などを測定、登録するだけで目立った研究成果は出せなかった。しかし、90年ごろから環境に配慮した河川工事が広まり、工事の際に見つかった個体を預かるようになった。さらに、オオサンショウウオが産卵したり、身を隠したりする人工巣穴を研究所に設置したことで、生態の調査も進んだ。オオサンショウウオがおとなしくなる袋や、巣穴から卵を採取するL字型の器具なども自作したという。
.-.-.- オオサンショウウオ幼生動画 -.-.-.
動画のURL: https://youtu.be/yn1P5inEKUo
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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