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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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未知の世界へ 関野吉晴 =027=

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〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇

= ほぼ日刊イトイ新聞_2013-03-22-FRI “【グレートジャニー人類の旅】展開催時の対談”より転載・補講 =

☠ “人類の旅”に魅せられた関野の探求心はどこから来たのか  ☠    12p黄色

◇◆ 世界で一番でかい川 2/3 ◆◇

関野吉晴; ぼく、もともと、なんでも、一気に行ってやろう、という「性格」で。

糸井重里; あ、「性格」(笑)。

関野吉晴; ぼく、いちばんはじめに訪れた外国も、22歳で訪れたアマゾンなんですよ。それも、1年以上いて。

糸井重里; はじめからアマゾンに1年以上ですか。それもすごいですね。しかし‥‥どうしてまた?

関野吉晴; ぼく、小さいころから、やりたいことがずっと抑えられていたんです。ひとりで山登りも「ダメ」。バイトも「ダメ」。「勉強しろ」ともまったく言われませんでしたけど、末っ子の5男で、ものすごくかわいがられてて。それが、きゅうくつできゅうくつでしょうがなくて。

糸井重里; その反動で、アマゾンへ?

関野吉晴; 大きく言えば、そういうことです。 とりあえず、大学に入ったら、勘当されてでも海外に出てやろうと、ずっと思っていました。

糸井重里; ‥‥飛び出してやるぞ、と。

関野吉晴; だから大学に入学してすぐに、まずは、探検部を自分でつくりました。だけど自分が作ったから、教えてくれる人がいなくて、先輩がほしくて、社会人の山岳会に入って。あと、早稲田の探検部の準部員になって、一緒に合宿に出かけたりもしました。

糸井重里; どんどん行動をはじめられたんですね。

関野吉晴; ええ。それで当時、早稲田の探検部の人たちが、ナイル川──つまり、「世界でいちばん、長い川」へ通っていて。

糸井重里; ああ、世界でいちばん、長い川。

関野吉晴; それを横目に見ながら、「じゃあぼくは、 世界でいちばんでかい川だ」と。

糸井重里; 「じゃあ、いちばんでかい川だ」(笑)‥‥意地を張った、とか?

関野吉晴; いえ、単純に、アマゾン川があいてたんです。

糸井重里; 関野さんは、大学にはあんまり‥‥?

関野吉晴; ほとんど行ってませんでした。 1年の3分の1は山か川に行ってトレーニングをしてましたし、
もう3分の1は、アルバイトをしてました。 あと、学生紛争の年代で、大学が、閉鎖されたりもしてましたから。

糸井重里; そうですか。 関野さんの生まれ年は‥‥1948年?

関野吉晴; 1949年生まれです。 ただ、早生まれで。

=〝グレートジャニー“地球を歩いて気付いたこと / 講演会(2015-05-19-TUE)より=

日本に来た人々のルーツを辿ったら(1/4)

さて、南米最南端からアフリカ・タンザニアのラエトリ遺跡までの旅を終えて、ぼくは2004年から
「じゃあ、人々は日本列島にどうやってたどりついたんだろう?」という旅を始めました。 日本の人々はどこからきたか。 それは、アフリカからやってきたんです。

じゃあ、どんなルートで?いろんな所からやってきました。 大きく3つのルートがあります。 「北から」「朝鮮半島から」「南から」です。 そうしてやってきた人々の混血でできたのが日本人なんです。 そこで、ぼくはその3つのルートをそれぞれ自分でたどってみることにしました。

最初は「北から」のルートを辿りました。 今は遺伝子を調べると祖先がわかるのですが、ぼくの遺伝子を調べたら、母方が礼文島の縄文人でした。 そこで縄文人と礼文島にすごく興味を持って礼文島の船泊遺跡に行ったんです。

行ってみたら自衛隊の官舎ができていました。 もともと、官舎を建てようとして掘っていたら、人骨や、縄文時代のいろんなものが出てきた場所だったんですね。 それで、すごいんです。 その遺跡から出てきたものを見ると、「イノ貝」という日本の南部にしかない貝で、首飾りを作っていたり、富山や新潟まで行かないとないはずの「ヒスイ」があったり。 新潟かサハリンに行かないとないはずの「アスファルト」もありました。

これは、縄文時代にはもう人々がかなりの貿易をしてたということです。 縄文時代、人々は土器まで作ってたんですから、これはかなり進んでいます。 実は2万年前、サハリンと北海道はくっついてました。 当時は海面が今より100メートル以上低かったんです。 だから、おそらく狩りですね、野生のトナカイやマンモスを追いかけてきて、人々がやって来たんだと思います。 これが「北方ルート」なんですね。

あと韓国のほうから海を渡って日本にきた人もいますよね。 次にその「朝鮮半島からのルート」も、たどる旅をしました。 そして、いちばん最後におこなったのがインドネシアから来た人々の「南方ルート」です。 実は、南から人々がやってきたというはっきりした証拠はないんです。 だけど、海を渡って日本にやってきた人もきっといたんじゃないかと、やってみたんですね。

もともと「南方ルート」の最初はインドネシアに行って、太古の船を探したんです。 けれど熱帯で竹とか木はぜんぶ腐るので、もう何も残っていないんです。 しょうがないので、この旅は、「素材をすべて、自分で自然から取ってきて作る」というコンセプトでやることにしました。

・・・・・つづく・・・・・

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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