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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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未知の世界へ 関野吉晴 =020=

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〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇

= Webナショジオ_“北極探検 二つの物語”に転載・補講 =

☠ 関野吉晴の探求心はどこから来たのか  ☠    12p黄色

◇◆ ラスト20キロ / 渡辺純一郎の意外な提案 =後節= ◆◇

  同行乗り組み員の顔ぶれから、グスマンもオールは漕げないが、キャプテンとして縄文号には重要な存在だ。となると、イルサンにパクール号に移ってもらわなければならない。イルサンはパドルを漕ぐのは得意でもオールは苦手である。

 ところが、イルサンにパクールに移ってもらうにはエネルギーと配慮が必要だ。彼は精神的に浮き沈みが激しいからだ。台湾の成功港でも、家族になかなか電話が通じないので、落ち込み、涙まで浮かべていた。終始ご機嫌斜めだったが、電話が通じてやっと機嫌が回復した。ほんの些細なことで鬱状態になってしまうので、慎重にイルサンの説得にかかった。

「パクール号の日本人クルーたちは、イルサンに縄文号からパクール号に乗り移って来て欲しいと渇望している。今、パクール号には日本人クルー3人と、漁師ではないラテイフ、新人のサダル、キャプテンのジャビルが乗っている。危急の時に最も頼りになるイルサンがパクール号に移ってくれると、パクール号の連中も安心する。あと1日だけだから、移ってもらえないかい」と言うと、ニヤッとしてグスマンの顔を覗き込んで、「仕方ないな。俺、移ってもいいかい」と聞いた。グスマンはにこにこして小刻みに顔を縦に振った。私に最高の評価をされたイルサンは、そのあと終始嬉しそうだった。

意外な提案

 ところが渡部純一郎は意外な提案をしてきた。「イルサンだけでなく、関野さんも縄文号からパクールに移ってください。私と洋平君が縄文号に移動します」と言う。

 私と次郎は顔を見合わせて、「何故洋平が」と耳を疑った。と言うのは、漕ぐ力は洋平より次郎の方が優れているし、私も洋平より漕ぐ力はある。スピードの遅い縄文号の漕力を高めるなら私か次郎だろう。次郎も純の提案には不満そうだった。

 しかし、それから6時間ほど漕いだところで、渡部純一郎の意図が分かった。再び彼から提案があった。

「ここで、縄文号に関野さんと次郎君が乗りませんか」

  渡部純一郎は、洋平と二人で距離を稼いでから、私と次郎にバトンタッチしようという意図だった。風の中、最初から最後まで縄文号を漕ぐのは大変なので、最初の部分は渡部、洋平で漕いで、最後を私と次郎が漕ぐように企てたのだ。

 私と次郎が乗り込んでからも、縄文号は思うように進まず、タッキングを繰り返して少しずつ進んだ。石垣の町は見えたが、港は東の外れだ。帆を思い切り引き寄せて、思い切り漕ぐ。漕がないと引き戻されてしまう。

 海岸から見ると、私たちのカヌーは同じところを行ったり来たりしているように思えたかもしれない。結局10数km進むのに15時間漕ぎっぱなしだった。最後の小さな試練ではあったが、午後5時に石垣港に着いた。

新しい刺激の旅

 このプロジェクトを始める前、私は旅に倦んでいた。いつしか好奇心が摩耗して、気づきを失ってしまっていた。旅をしても、ドキュメンタリーを撮るにしても、ある程度の結果が予想できてしまうようになっていたのだ。

 2002年に武蔵野美術大学に職を得てからは、長い旅のなかで生まれた気づきを、ものづくりを志す若者たちに伝えようとしてきた。けれども、教室ではフィールドの風や音、湿気、熱気、寒さ、ほこり、匂い、その実感をうまく伝えることができない。もどかしかった。

 私はこの若者たちと旅に出たいと思った。それまでなら、若者から旅への同行を求められても「若いときは、一人旅をしたほうがいいよ」と言って断り続けてきた。しかし、今回は、50年後を生きる若者たちに現場を知ってもらいたいと思っていた。

 彼らはそれぞれに、個人的な気づき、発見を重ねてくれたと思う。彼らを巻き込んだ私自身にとっても、気づきの多い、刺激に満ちた旅となった。

 トラブルは多かったが、大きな事故はなかった。エンジンも載せていない愛おしいぼろ船だ。壊れないかと、いつもハラハラしながらの航海だった。ようやく到着してホッとした。

=補講・資料=

縄文人は高い航海術を持った海洋民族であった?(その一、1/2)

縄文時代は1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,00年前まで続いた時代であり約1万2,000年続いたものである。 土器が発明されたり、住居を持つなどして人間らしい生活をするようになった時代だと言えるだろう。 食生活は農業をやりながらほ乳類を狩猟する生活であった。

この時代にまさか、海洋技術を持っていたなんて誰も思わないだろう。 教科書にもそんなことは一切書いていない。 しかし世界では衝撃的なものが見つかったのだ。 それはバヌアツ共和国で見つかったのだ。

私たちの祖先はバヌアツ?

バヌアツ共和国は、南太平洋のシェパード諸島の火山島上に位置する共和制国家である。 西にオーストラリア、北にソロモン諸島、東にフィジー、南にフランス海外領土のニューカレドニアがある。イギリス連邦加盟国。 人口はたったの24万人であり、およそ日本とは70000キロも離れている国である。 しかしその遥か彼方のバヌアツ共和国で縄文土器と全く同じの土器が見つかったのだ。

 因みに、バヌアツの島々には、数千年前にオーストロネシア語族の人々が渡来してきて定住し始めたと考えられている。その最古の遺跡のは、約4000年前のものだと推定されている。 1452年から1453年にかけて、海底火山クワエの大噴火が複数回起こり、世界の歴史に大きな影響を与えた。

ヨーロッパ人で最初にこの島を訪れたのは、ポルトガル人人のペドロ・フェルナンデス・デ・キロスで、1606年4月27日にサント島に上陸している。 ヨーロッパ人による植民が始まったのは、ジェームズ・クックによる調査が行われた18世紀末以降のことである。 1774年、クックがこの地域をニューヘブリディーズと命名した。 イギリスとフランス」の間で衝突が繰り返された後、1906年に両国は、ニューヘブリディーズ諸島を共同統治領とすることに合意した。

このような南太平洋の島で縄文式土器が見つかった。 縄文土器が遠くのバヌアツ共和国で見つかったということはどのようなことを表しているのだろうか?

・・・・・新節につづく・・・・・

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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