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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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未知の世界へ 関野吉晴 =013=

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〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇

= Webナショジオ_“北極探検 二つの物語”に転載・補講 =  10p グレー

☠ 関野吉晴の探求心はどこから来たのか ☠

◇◆ 決断 =前節= ◆◇

 なかなか寝つけなかった。夜になって夕立があり、風が弱まったため、蚊が顔の周りにまとわりついていた。甲高い機械音のような羽音が耳ざわりだった。シベリアやアラスカなど、寒い地方の蚊ならば夜はおとなしくなる。たとえうるさくても寝袋なり、毛布をかぶっていればいい。ところが風がない亜熱帯の夏となると、何かをかぶると暑くてたまらない。

 しかし、寝られない一番の理由は蚊ではなく、興奮だった。次の日、台湾から西表島まで、国境を超えて300km近くをノンストップで航海しようと計画していたからだ。それまでは、島から島へと渡り歩く航海だった。海峡越えや島の間が離れていても、距離は120kmを超えることはなかった。

 かなり気が昂ぶっていた。見知らぬ所に遠足に行く前夜の子供のような心境だ。途中で風が止まったらどうしようという不安もあった。今回のコースでは錨を下ろせないので、風がなくなれば潮に流されるしかない。不安と共に初めてのことに挑む緊張感が頂点に達していて、目は冴えきっていた。こんな経験は久しぶりだ。

 クルーの皆は宿に泊っていたが、私と渡部純一郎はカヌーのすぐ近くにある、公共の物置き場に泊っていた。下はコンクリートで、高い屋根がついているだけの風通しのいい大きな建物だが、がらんとしていて滅多に寝泊まりする者はいない。

日本への航路

 2011年6月、私たちは台湾南東部の成功港にいた。幸先のいい名前だ。台湾南部でカジキの突きんぼ漁をする船と漁師はここに集まってくる。トビウオ漁の漁期が終わり、この時期はカジキ漁が盛んだ。銛でカジキを狙う射手が立つ、船首から突き出たお立台が特徴の漁船が盛んに出入りしていた。

 インドネシア国内では、マンダール人たちがそれこそ手のひらの上のように海を熟知していたが、国外に出て以来、その日どこを通って、どこまで行くかの決定は私に任されていた。日本人クルー3人に意見を聞き決断をする。

 成功港を出たら一気に日本を目指すことについては、4人の意見は一致していた。エンジンのついた船が台湾から沖縄に行く場合、通常は200km北の花蓮から与那国島を目指す。しかし私たちのカヌー、特に小さな縄文号には弱点があって、後方からの風や真横からの風ならば走るが、少しでも前方からの風だとお手上げだ。花蓮から与那国島を目指すと、よっぽどいい風でないと、黒潮に押し流されてしまう。そのまま行くと尖閣諸島だ。行ってみたいが、海上保安庁に阻止されるだろう。曳航でもされたら最低だ。そこで、花蓮より南の成功港から出航しようと決めた。

 ただし、どの島に向かうかについては意見が割れていた。

 私は、一気に石垣島を目指し、場合によっては石垣島の南にある波照間島に寄る航路を考えていた。一方、若い乗組員、前田次郎と佐藤洋平は、与那国島経由で石垣島に向かいたいと思っていた。成功港から与那国島までは220kmなのに対し、石垣島までは320km。波照間島に寄ったとしても270kmと、与那国より50km長い。

 若者たちはその50kmの差は大きいと感じていた。「コンパス、GPSなしで長距離を走る力、自信はまだない」と考えていたのだ。しかし、私はたとえ与那国島に着けたとしても、それから東にある西表島、石垣島に行くのはカヤックなら簡単だが、縄文号では、よっぽどいい風が吹かない限り難しいと思っていた。

 この日、航海にエンジン船で伴走してくれる新嵩(あらたけ)喜八郎さんが与那国島から到着していた。あらためて彼らを交えて打ち合わせをしたところ、波照間側から石垣島を目指すという私の案は一蹴された。西表島の東側が浅いサンゴ礁地帯になっていて、航行は無理だという。

 かわりに西表島の西側まで行って一服した後、東に向かい、石垣を目指すという代案を考えてくれた。反対するものは誰もいなかった。西表島西部までの距離は直線で280kmある。まっすぐには行けないので実際には300km以上走ることになる。こうして翌日の航路が決定した。

=補講・資料=

黒潮

黒潮(Kuroshio Current)は、東シナ海北上してトカラ海峡から太平洋に入り、日本列島の南岸に沿って流れ、房総半島沖を東に流れる海流である。日本近海を流れる代表的な暖流で、日本では日本海流(にほんかいりゅう)とも呼ぶ。 貧栄養であるためプランクトンの生息数が少なく、透明度は高い。このため、海色は青黒色となり、これが黒潮の名前の由来となっている。南極環流メキシコ湾流と並んで世界最大規模の海流である。

黒潮は、赤道の北側を西向きに流れる北赤道海流に起源を持ち、これがフィリピン諸島の東で、北に向かった流れがコリオリ力の緯度変化の影響であるベータ効果を受けて強化される。その後、黒潮は台湾と石垣島の間を抜け、東シナ海の陸棚斜面上を流れ、九州の南西で方向を東向きに転じ、大隅諸島トカラ列島の間のトカラ海峡を通って日本南岸に流れ込む。

日本南岸を流れる黒潮は、四国・本州の海岸線にほぼ平行に流れる場合と、南に大きく蛇行する大蛇行流路をとる場合の2パターンが存在することが知られている(「黒潮大蛇行」の節で詳述)。日本南岸を通過してさらに東に流れ去ったものは黒潮続流と呼ばれる。東シナ海の黒潮の一部は分流して、九州西方沖から対馬海峡を通って日本海に流入し、対馬海流と呼ばれる。また黒潮は平均的には西から東に流れるが、黒潮本流の南側には反対方向に向かう流速0.3ノット程度の弱い流れが観測されており、これは黒潮再循環流と呼ばれる。

日本人の祖先の一部は、南方(台湾・東南アジアなど)から黒潮を利用して日本列島に到達したとの説がある(南方起源説)。ただし、分子人類学的な分析では、日本民族における南方系の遺伝子の比率は低いというのが2016年の時点での一般的な見解である。

・・・・・新節につづく・・・・・

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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