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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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世界の登山家=extencion_01=

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○◎ メスナーだけじゃない!! 数河海外の登山家 ◎○

= Webナショジオ_“登山家”& “世界のスーパーアルピニスト”より編纂 =

☠ アルペンスタイルの追求 ☠

◇◆ スティーブ・ハウス ◆◇

  世界最強のアルパインクライマーといわれるスティーブ・ハウス。エべレスト登頂の際にも一般ルートは登らず、より直線的で困難な未踏ルートを自ら開拓し、装備と食料は必要最小限しか持たない。北米とヒマラヤを中心に数々の難ルートを初登またはスピード登攀してきたスティーブ氏が、自身の体験を綴った初の著書「垂壁のかなたへ」を上梓した。そこにでてくる「アルパインスタイル」という言葉には、いったいどういう意味が込められているのだろう。

 スティーブ・ハウス(Steve House、1970年8月4日- )は、アメリカの登山家・山岳ガイド。 1999年よりパタゴニア (patagonia)の大使・アンバサダーを務める。 2004年6月にパキスタン、カラコルムのK7南西壁の新ルートを単独初登攀し、ピオレドール賞にノミネートされた。 そして、翌年の2005年8〜9月にパキスタン、ナンガ・パルバットのルパール壁を完登し、ピオレドール賞を受賞。 

  ラインホルト・メスナーから「いま、世界一の高所クライマー」と呼ばれているスティーブ。だがスティーブにとってクライミングは達成したことより、そのプロセスが重要であり、「目前のクライミングから眼をそらした瞬間、待っているのは失敗だ」と話す。スティーブはヒマラヤからカナディアン・ロッキーまで、これまで誰よりもより大きなルートをより早く、より少ないギアで登ることを率先してきたことにより、メスナーの称賛を得た。著書『垂壁のかなたへ』の日本語版が出版された2012年9月に来日している。

  ハウスは最小限の装備で登頂し、山に何も残置しない"アルパインスタイル"での登山を支持している。2004年にロシアのチームが、ジャヌー北壁新ルートを登頂し、ピオレドール賞(Piolets d’Or 2005)を受賞した際には、 同チームがフィックスロープの設置に数ヶ月費やし、また77本のロープを残置したことを批判した。

  彼は言う。 “クライミングでもっとも重要なのは山なんだ。僕がクライミングをするときに興味を持っていることのひとつとして、どのルートで登るのか?ということ。ただ登りやすいルートをたどって、登頂することだけが目的ではないから。自分の体力や能力との挑戦だったり、美しい景色を楽しみながら登ることだったりね。山にはたくさんの表情がありルートがある。それを楽しみながら登るのがアルパインスタイルのクライマーなんだ。”

“それともうひとつ重要なことは、登る山や自然に負担をかけないこと。最近多くのクライマーがアルパインスタイルに賛同してくれている。クライミングの時に山になにも残してこないこと。残すのは自分の足跡だけ。岩に穴を開けたり、使用したロープをそのまま置いて行かない。例えばエベレストなどの大きな山に登るときは何十人というグループがたくさんの食料やギアを持って登ることがほとんど。途中、何度もキャンプをしながら頂上を目指すんだ。そしてキャンプごとに使い終わったギアをその場に残していくことも多いんだよね。体は疲れていくし、使用済みのものはただのお荷物になるから。空になった酸素ボンベやテントだったり。酸素ボンベは鉄のタンクでできているものが多いので重量があるからね。”

“僕はそもそも酸素ボンベを使って山に登ることもしない。ボンベを使うことはスポーツでいえばドーピングしているのと同じだと思うんだ。その条件の中自分の実力だけでいかに登って行くことができるか、というところに自分の価値を置いている。それがアルパインスタイルなんだ。”

主な登攀歴 : 2000 デナリ南壁の "Slovak Direct"ルート を63時間で初登攀(マーク・トワイト、スコット・バックスと)  /  2003 アイ・トゥース(ムース・トゥース支峰の"Talkeetna Standard"ルート開拓(ジェフ・ホレンバウと) / 2003 ディッキー山第2登(ジェフ・ホレンバウと) / 2004 K7南西壁の新ルートを単独初登攀(ピオレドール賞大衆賞を受賞) / 2005 ナンガ・パルバットのルパール壁完登(ピオレドール賞を受賞)  / /2007 ロブソン山のエンペラー・フェースの"House-Haley"ルート開拓(コリン・ヘイリーと) / 2007 K7ウェスト (6858m) 初登攀(ヴィンス・アンダーソンマルコ・プレゼリと) /  2008 アルバータ山北壁の"House-Anderson"ルート開拓 (ヴィンス・アンダーソンと)

 ◇◆ キム・チャンホ ◆◇

  韓国の月刊「人と山」誌13年1月号に『韓国山岳界の未来を問う』という連載が始まつた。 トップバッターとして取材を受けたのは、2012年ピオレドールアジア受賞者のキム・チャンホ。 同誌では三つの記事に分けてキム氏を取り上げているのですが、そのうちの一つ、キム氏と知り合いでもあるイム・ソンムク記者とのインタビュー記事がwebで公開されている。

  2005年以来、韓国の山岳メディアはマメにチェックしていますが、表舞台に登場するのはいつも「8000m14座」のタイトルを巡る高所クライマー達でした。 キム・チャンホ氏の存在はアルパインスタイルでビッグウォールを陥すクライマー、ナンガ峰ルパール壁を登ったクライマーとして注目していたが、韓国メディアに華々しく登場することはありなかった。 グレートトランゴ北東壁、ガッシャブルム4峰東壁を登り、2005年にナンガ峰ルパール壁を登ったキム氏は、2006年を境に高所登山のピークハントに専念、「ビッグウォールクライミングの裏切り者」とまでささやかれる程でした。 

  キム・チャンホは、国際的な評価は高かったが韓国では日本と同じくエベレストなどの有名峰登山ばかりが注目される傾向があり、スポンサーが集まらず大手メディアからは無視され続けてきた。 2013年の春に最後の1座となるエベレストに海抜0mからの人力移動、無酸素登頂に成功し、7年10ヶ月の最短記録で14座完全無酸素登頂を達成した。 メルー峰北壁初登攀 / バトゥーラⅡ峰 初登頂 / ナンガ・パルバット ルパール壁中央ピラー第二登 等々 世界の山岳会に衝撃を与えていく。

  彼は、独白する。・・・・・・カラコルム山脈探検3年目、死ぬ思いで「峠」を何度も超えてきました。強盗に遭い木にロープで縛られ、銃声も聞きました。心穏やかならず出発できないことも、幾度もありました。独りぼっちで、カメラやテントに向かい話しかけて氷河を歩き回ってました。ある晩、夢の中に母が出てきました。気を付けろと言ってましたよ。クレバスに落ちて死ぬと思ったその日、母も息子の夢を見ていたんですね。ぞっとするような記憶は胸にしまい、前人未踏のカラコルム踏査を終えて山頂に登りました。世界が私のものでした。服を脱ぎ捨て、カメラと共に踊りまくりましたよ。(しばらく沈黙) その時、名前もわからない氷河で死んでも良いと考えました。私の意思がそうでした。いったい、何を考えていたんでしょうね。・・・・・・

動画 : クリック ➡

https://youtu.be/_u4rburINsA

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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