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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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現代の探検家《植村直己》 =016=

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○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠

◇◆ 冒険家の食欲 =3/6= ◇◆

自分と犬に食料があるかどうかが生死を分ける。植村の犬橇旅行は、つねにそのことに細心の注意を払いながら進められた。 食料は、アザラシの凍肉がいちばん多く、それがなくなったときは、植村自ら海氷に穴をあけてオヒョウを釣った。凍ったオヒョウを橇に山積みして旅をつづけたこともある。カナダ領北極圏に入ってからはときにはこのようにカリブーを仕止めることができた。 カリブーはうまい、と植村はいっている。

 くりかえしていうが、これらはすべてエスキモーが犬橇の旅をするときの流儀にならったものである。しかし、生肉をエスキモーと同じように食べられるようになるには、やっぱり一苦労があった。

 初めて生肉を食べたのは、72年、犬橇を習得するためにグリーンランドの最北端の村シオラパルクに入ったときだった。

 エスキモーが歓迎の意をこめて、家のなかに入れてくれる。 植村の後ろから、村人たちが物見高くゾロゾロ入ってきた。

 そのときのことを、植村は『極北に駆ける』(文春文庫)のなかで詳しく再現している。 「黒い血らしいものに染まった肉塊が、天井からぶらさがっていた。」 家のなかに案内してくれたカシンガという男が、「ジャパニ、肉を食べないか」とさそいかけ、自分でナイフを使ってそのどす黒い肉を削ってニチャニチャと噛み、「ママット、ママット(うまい、うまい)」 といって植村にすすめた。 シオラパルクで村人と一緒に生活するには、どうしてもこの肉を食べなくちゃいけない。 植村はそう考え、腹をきめて、ナイフで肉を切りとった。

《私は恐る恐る肉片を口元へ運び、唇に肉片が触れないように前歯でおさえてからナイフで小さく切りこみをいれた。 生臭さがプーンと鼻をつく。 ところが生肉が舌に触れただけで、私の胃はたちまち絶対拒否の反応をおこした。》

 胃がけいれんし、胃液が逆流してきた。植村は「ここが勝負どころ」と、吐き出さずにかろうじて呑みこむ。 とても噛んで味わうどころではなかった。 後でこれはクジラの生肉であることがわかった。 いずれにしろ、のちに、「夕食にアザラシの生肉、一キロぐらいペロリですよ」というようになった植村からは想像がつかないほどの初体験だった。

 植村のすごいのは、数日で生肉を食べるのになれたことである。 胃と喉元を往復した生肉が、1週間後は何の抵抗もなく腹におさまった。 「私は自分の身体ながら、その適応能力に感心してしまった」と淡々とした調子で書いている。

 この適応能力の高さが、植村が数々の冒険を成功させることができた秘密に違いない、と私は考えている。 極北の地で生きのびるには、そこで生活するエスキモーのやり方に学ぶのがいちばんの正道である。 理屈としてそれは理解できても、実際にエスキモーのやり方を身につけるのは容易なことではない。 植村は「尊敬する」エスキモーの生き方を一つ一つ自分のものにしていった。 生肉を常食とするのもその一つで、植村の驚くべき適応能力を示している。 またそれは、彼がほんものの「自然人」であったことの証明でもあった。

「自然人」と私はなにげなく書いたけれど、人間は誰しも子どものときから育った習慣からかんたんには抜け出せない。 植村はそれができた。 私はそこに一種の「天才性」を感じてしまうのである。

 先に挙げておいた『植村直己の冒険学校』という本のなかで、植村は冒険のときに口にしたさまざまな食べ物について語っているが、こんな一節がある。

《……獲りたてのアザラシの肝臓はうまいとか、同じく肝臓の解凍しかかったのはアイスクリーム以上の味とか、心臓を煮たものとか、脳味噌の独特の味とか、生肉といってもじつにいろいろな種類の肉と食べる部分があって、味に変化があるんです。》

《肉は火を通したり、調理しますと、やっぱりそのものの味はなくなってしまいます。
 旅をしているときは、一日1キロ近くの肉を食べていましたけれど、これも、クジラやアザラシの皮下脂肪をちょっとつけて、独特の味をつけて食べると、たくさんお腹に入ってエネルギーがでるわけです。》

=補講・資料=

冒険家ラインホルト・メスナー(後節)

8000メートル峰14座の登頂記録 ≪全て無酸素で登≫

1970年 ナンガ・パルバット (8125m) 1972年 マナスル (8156m) 1975年 ガッシャーブルムI峰 (8068m) 1978年 エベレスト(8848m)、ナンガ・パルバット(単独) 1979年 K2 (8611m) 1980年 チョモランマ(エベレスト)(単独) 1981年 シシャパンマ (8013m) 1982年 カンチェンジュンガ (8586m)、ガッシャーブルムII峰 (8035m)、ブロード・ピーク (8047m) 1983年 チョ・オユー (8201m) 1984年 ガッシャーブルムI峰 (8068m)、 ガッシャーブルムII峰 (8035m) ベースキャンプに帰還せず縦走による連続登頂 1985年 アンナプルナI峰 (8091m)、ダウラギリ (8167m) 1986年 マカルー (8462m)、ローツェ (8516m)

その他の登頂(抜粋)

1966年 グランド・ジョラス(4208m) 1969年 アイガー北壁 当時世界最短となる1日半で登頂 1972年 ノシャック (7492m) 1974年 アイガー北壁 5年前の記録を上回る10時間で登頂 1974年 アコンカグア (6959m) 1976年 マッキンリー山 (6168m) 南西壁 世界初登頂 1978年 キリマンジャロ (5895m) 1981年 チャムラン (7317m) 1986年 ヴィンソン・マシフ (4897m) 1994年 シヴリン (6543m)

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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