○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○
探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己=
= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =
☠ 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠
◇◆ 始まりと終わり・・・・・・ =1/6= ◇◆
1968(昭和43)年10月1日、植村直己は足かけ5年に及ぶ世界放浪の旅から帰ってきた。 64年5月初め、アルバイトでためた4万円(約110ドル)を手に海外に飛び出したのは、「ヨーロッパ・アルプスの氷河が一目見たかったからだった」と、植村はのちに語っている。
そしてその望みは十分に達成された。 同じ年の暮れ、アルプスの麓にあるモルジンヌ村(フランス)のスキー場で仕事につくことができたからである。 植村はこのモルジンヌ村を根拠地として、モンブランやマッターホルンに単独登頂し、アフリカにひとりで遠征してケニヤ山やキリマンジャロにも登った。
また、67年にはグリーンランド西海岸にまで旅をしている。 68年にフランスを発って南米に渡った。 南米最高峰アコンカグアの単独登頂に成功し、アマゾン川6000キロを筏で下るという大冒険をやってのけた。 帰国の途次、アラスカに立ち寄って北米最高峰のマッキンリー単独登頂をもくろんだが、許可が下りずにこれは果たせなかった。 そして10月1日に帰国。
このような世界放浪の一千日については、植村の最初の本『青春を山に賭けて』(1971年、毎日新聞社刊、現在は文春文庫)にくわしい。大学卒業直後、海外で過したこの日々については、のちに改めてふれることがあるかもしれないが、いまはさっと通り過ぎておくことにする。
植村が帰国して1カ月半ぐらい後に、私は初めて彼に会った。 そのときのことを語っておきたい。 1000日にわたって世界を放浪してきた若者が、羽田に到着した。 朝日新聞の第3社会面だったかに、そういう小さな記事が出た。 当時は1ドルが360円、しかも外貨の割当規制がきびしかった。
若者が当たり前のように外国へ出て行ける現在とは、事態はまったく違っていた。 そういう壁を乗り越えて海外に行く若者がポツポツと出てきていて、彼らの体験談は新鮮で面白かった。 私は当時、月刊「文藝春秋」編集部に所属していたのだが、植村というその若者に会い、冒険的な旅行について話を聞こうとしたのである。 ちなみに付け加えておくと、私は植村より3歳年長。 私自身もまだ若かった。
11月半ばのある日、植村は文藝春秋を訪ねてきてくれた。 意外に小柄というのが最初の印象だった。 しかし体はがっしりと厚みがあるのが一目で見て取れた。 けっこう寒い季節なのに、彼は長袖の白いYシャツ1枚で、腕まくりをしていたのに少し驚いた。
用意していた小部屋に彼を講じ入れ、話を聞きはじめたとたんに、これは大変な男に取材することになったと思った。 話の内容が大変というのではない。 話の内容にまで行きつくのがひと通りのことではなかったのである。 彼は一言、二言話すたびに、顔を赤らめ、大汗をかいた。 比喩としていっているのではない。 上気した顔面に、汗が噴き出し、頬や顎にそれが流れ落ちた。 言葉がうまく出ないのである。
一言いってつっかえ、つっかえたことで顔を赤らめ、顔を赤らめながら、できるだけ誠実かつ正確に自分の体験を伝えようとする。 そういうことなのだろうとすぐに推測がついたが、しかし私がそう思ったところでどうにもなるものではなかった。
=補講・資料=
キリマンジャロ(スワヒリ語: Kilimanjaro) はタンザニア北東部にある山で、標高5,895m。 アフリカ大陸の最高峰。 山域がキリマンジャロ国立公園に指定されている。 山脈に属さない独立峰では世界で最も高い。
キリマンジャロは、赤道から南に約340kmの南緯3度、アフリカ大地溝帯の東リフト・バレーに位置する。 東南約50km、南北30kmの山体をもつ大型の成層火山である。 西から東へ並ぶ、シラ峰(Shira、3962m)、キボ峰(Kibo、5895m) 、マウエンジ峰(Mawenzi、5149m)の3つの主な成層火山から成り、山体中央にあるキボ峰が最高峰である。
キボ峰の山頂は、直径2.5kmのカルデラと、その内側の直径900m火口と、中心の直径200mのAsh pitと呼ばれる小火口で構成されている。 最高地点はこのキボ峰の直径900m火口の南縁にあり、スワヒリ語で「自由」を意味するウフル(Uhuru)と呼ばれている。 これは1961年のタンザニア独立を記念して命名されたものである。
キリマンジャロの「キリマ(kilima)」はスワヒリ語で「山」、「ンジャロ(njaro)」はチャガ語で「白さ」であり、全体として「白く輝く山」を意味するというのが通説だが、実は正確な語源ははっきりしていない。 3つの峰の名前もチャガ語に由来するといわれているが、こちらも語源についても諸説挙げられている。 マサイ人はこの山をンガジェンガ(神の家)と呼ぶ。
ケニア山(Mount Kenya )はケニア共和国中央にそびえる。 標高は5,199 mで、ケニア最高峰であり、アフリカ大陸でもタンザニアのキリマンジャロにつぎ、第2位。 赤道直下に位置するにもかかわらず、氷河を戴いている。 人を寄せ付けない厳しい気象環境として知られ、昼間は30度を超え、夜になると厳しい寒さとなり、氷点下5度までに下がる。 また、標高の3,350 m以上がケニア山国立公園として世界遺産(自然遺産)に登録されている。
山域には、バティアン(Batian, 5,199 m)、ネリオン(Nelion, 5,189 m)、ポイント・トムソン(Point Thompson, 4,955 m)、レナナ(Lenana, 4,985 m)などのピークが存在する。 しかし通常の登山ではレナナ峰の頂上でケニア山登頂となる。 他のピークに登るには、高度なクライミング技術が必要となる。
ケニア山とは後世になってこの土地を征服したヨーロッパ人のつけた名前。 マサイ族やキクユ族の間ではこの山を「神の山」という意味のキリニャガ(Kirinyaga)と呼んでいた。 これは彼らの神話の中に、この山の頂上にはンガイ (Ngai) と呼ばれる神が黄金の玉座に座っているという言い伝えがあるからである。
最高峰バティアンへの初登頂は1899年9月13日にイギリス人地理学者のハルフォード・マッキンダーによって果たされ、第二峰ネリオン初登頂は1929年にイギリスの登山家パーシー・ウィン・ハリスとエリック・シプトンによって果たされた。
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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