◇ 血まみれメアリーの治世が終わり、処女王がイギリスを世界の一等国へと押し上げ始める(1558年)。 ◇ 大分県別府市のとある不動産屋が、ワイドショーへの出演を目論み妻子と一緒に自家用車で海へとダイブ。自分だけが助かり、念願がかなった(1974年)。 ◇ アップルがiPodを発売(2001年)。日本の特産品・ウォークマンが忽ちのうちに売れなくなり、技術立国のプライドが崩壊する一因に。
◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 22回= ◎ ◎
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= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =
……National Geographic Journal Japan 〉/ 2012年12月5日 / (Web編集部) ……
前回はリーキー【脚注資料参照】が女性好きだったから、というようなことをちらっと書きました。その遍歴をたどると、確かに彼は女性が好きだったようですが、でも、それだけではありません。
そもそも女性ということ以前に、学問的にはまったくの素人をいきなり抜擢したことからして、はたから見ればありえないことでした。おまけに3人とも若かったので、ますます奇異に映ったのでしょう。リーキーが類人猿の研究をはじめたのは「中年の男が突然スポーツカーを買うようなもので、男の更年期によくみられる反応ではないか」「自分の寂しさをまぎらわせるために若い女の人生を応援したかったのだろう」とあきれた人もいたほどです。
しかし、リーキーは単に若い女性だから選んだわけではありません。重視したのは女性ならではの観察眼と粘り強さでした。 たとえば、こんなエピソードがあります。
ガルディカスは著書のなかで、面接試験での「知能検査」を紹介しています。 ……ルイスは、一組のトランプを伏せたままコーヒーテーブルの上に広げた。「どれが赤で、どれが黒か?」彼は尋ねた……私は答えた。「どっちがどっちかはわかりませんが、カードの半分は少し曲がっていて、もう半分は曲がっていません。」
事実ルイスは、ほとんど気付かれない程度に、黒いカードの背を曲げていたのだった。彼は微笑して、ジェーン・グドールもダイアン・フォッシーも簡単にこのテストをやってのけたが、男は誰もできなかったと言った」(『オランウータンとともに 上』ビルーテ・ガルディカス著、杉浦秀樹・斉藤千映美・長谷川寿一訳、新曜社)
また、リーキーがグドールにチンパンジーの研究をもちかけたとき、10年間はフィールドにいてほしいと主張しました。グドールは3年と思っていたようですが、結局のところ、3人とも10年どころか20年、30年というスパンで1カ所にかかわり続けることになります。だから若さは必須だったのでしょう。若くなければ長くかかわれません。
対して、3人以前の男性研究者、たとえばゴリラのジョージ・シャラーが現場に滞在したのは1年半。オランウータンのジョン・マキノンは約3年。そして、彼らは彼女たちが見つけたものを発見できませんでした。
観察眼と粘り強さは、類人猿の研究だけでなく、動物を理解しようとしたときに必要な資質とリーキーは考えていたようです。『野生のエルザ』の著者ジョイ・アダムソンも彼が仕事を与えた女性のひとりでした。彼女をサポートしたのはグドールに会う前のこと。もしかしたら、ジョイ・アダムソンのような資質をリーキーは3人に求めていたのかもしれません。
では“リーキーズ・エンジェル”はいったい何を成し遂げたのか。 というわけで、次回はその筆頭であるジェーン・グドールを紹介いたしましょう。 しかし、その前に・・・・・・
※ ルイス・シーモア・バゼット・リーキー / 前節参照
ルイスの両親ハリー・リーキーとメアリー・バゼットはイギリス出身で英領東アフリカ、現ケニヤの宣教師だった。拠点は小さな小屋とテントだけだった。リーキーが幼い頃に住んでた家は土間があり、雨漏れする草葺きの屋根で、ネズミと虫がたくさんおり、暖房設備はなかった。
ルイスには弟ダグラスとグラディス、ジュリアという二人の姉妹がいた。その他に家庭教師、宣教師、看護婦が一緒に住んでいた。必然的にリーキーはアフリカ人たちとともに遊び、狩りを学んだ。兄弟はみなキクユ族の独特の足どりで歩くことを学び、現地語を流暢に話せるようになった。
ルイスは敷地の端にキクユ式の小屋を建てることを許されて、そこに鳥の卵や頭骨など博物学のコレクションを集めた。H.R.ホールの著作を読み英国の先史時代に興味を持った。1904年から1906年まで、父の神経衰弱を癒すために家族はイングランドのバークシャー州レディングにあるメアリーの母親の家で過ごした。
家族は第一次大戦中はアフリカにおり、大戦が終わると再びボーンマスに渡った。1919年にリーキーはそこで民間の男子学校に通い始め、父の母校でもあったケンブリッジ大学に入学するための勉強を始めた。入学試験で良い成績をおさめ、1922年に奨学金を得てケンブリッジ大学に入学した。当初は父と同じようにアフリカで宣教師になるつもりだった。
1922年にイギリスは第一次大戦の賠償としてドイツ領東アフリカを獲得した。その地域でドイツ人がテンダグルと呼ばれる恐竜化石の豊富な土地を発見していた。リーキーは家族の友人から、大英自然史博物館が化石の発掘隊を送りだそうとしていることを聞いた。リーキーはそれに応募し採用された。
リーキーはこの経験から専攻を人類学に変え、アルフレッド・ハッドンの元で学び始めた。1926年に人類学と考古学で最高の成績をおさめて卒業した。在学中からアフリカの考古学、古生物学について講義を行い、執筆活動をし、すでに有名人であった。卒業後はアフリカで多くの遺物を採掘し、出土する人工品を体系的に研究した。
1927年にエルメンテイタ湖近くのカンブル洞窟と呼ばれた発掘場所で、二人の夫人の訪問を受けた。一人は考古学を学んだことのあるヘンリエッタ・アバーン(フリーダ)だった。二人は夜通し話し合い、その後も交流を続けて1928年に結婚した。同時期にカリアンドゥシ(Kariandusi)でアシュール文化の遺跡を発見し、発掘を行った。1929年にセント・ジョンズ・カレッジで研究職を得て、エルメンテイタでの発見を整理するためにケンブリッジに戻った。
フリーダの持参金でリーキー夫妻はケンブリッジ近くに煉瓦造りの大きな家を買った。彼女は毎日吐き気に苦しんで、リーキーの二冊目の本『アダムの祖先』のイラストを画けなかった。王立人類学研究所の講演の後に彼のために開かれた晩餐会で、リーキーは友人から20歳の若い絵描きメアリー・ニコルを紹介された。
リーキーはメアリーに本のイラストを描いてくれるよう頼んだ。それから数ヶ月すると、二人の関係はロマンスに発展していた。以降、ルイス・リーキーのスキャンダルが続発する。
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
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次回は “ « “類人猿ガールズ”誕生秘話 » “ を記載、続きます・・・・・
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