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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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今日(狂)の狂言 : 10月17日(木曜日) &旅と文化の足跡が野帳

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★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 ★

☆ ロンドンで147万リットルのビールが大盤振る舞いされ、酔いつぶれた挙句に9人がバッカスに導かれて天国に行く(1814年=ロンドンビール洪水事故)。 ☆ 日本の水は不潔!だと文句を言った外国人のために、横浜市で外国人居留地への給水を開始。上水道の供用が開始される(1887年)。 ☆ 生半可な英語力では留学生活が危ういってことを、日本国中に知らしめた日(1992年=日本人留学生射殺事件)。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 13 回= ◎ ◎

1921-1956期 追考 « ルーズベルトからチャーチルへの贈り物 »

……National Geographic Journal Japan 〉 ニュース〉 旅&文化〉 より……

2012年6月20日 / (Web編集部)

 カラー写真革命が起きたとはいえ、いまから振りかえってみれば、1930年代は散々な10年間でした。何しろ、入口は世界恐慌、出口は第二次世界大戦でしたから。

 戦争のせいでせっかくのカラー写真革命も冷や水を浴びた形になってしまいます。いろいろとお金がかかると同時に、華やかなカラー写真は時代の雰囲気に合わなかったのでしょう。カラー写真がふたたび勢いを盛り返すのは戦後のこと。このあたりは第一次世界大戦のときとよく似ています。

その代わりというわけではありませんが、戦争の気配が漂い始める1930年代の後半から、ナショジオが力を入れたものがあります。  なんだと思います?

ヒントは、ルーズベルト大統領がチャーチル首相にプレゼントしたもの。もちろんナショジオ製ですよ。  それは……

地図でした。  これも第一次世界大戦のときとよく似ています。まあ編集長が同じですから、ヒット企画を繰り返すのは当然ですけどね。

ただし、前とは規模が違いました。  第二次世界大戦までに協会が世界中から集めた地図のストックはなんと5万3000点。のちにグロブナーは書いています。

「軍部は協会の地図をすごく頼りにしていたよ。戦略上カギとなる都市や港、鉄道、空路、輸送路を含む大縮尺のたくさんの地図。地理的に重要な記述を含む膨大な未刊行のファイル。2万冊(!)におよぶ各地の旅行ガイドブック。作戦を立てるのに必要な地理の情報を得ようと、毎日に何10という政府機関が協会の調査部に相談に来ていたものさ」

 ちょっと話はそれますが、おまけにグロブナーは空撮が大好きでしたから、協会には過去10年間に撮影されたヨーロッパの航空写真がたくさんありました。それらを偵察機が撮影した写真と照合すると、カモフラージュしたり新しく建てたりした建造物がすぐに判明し、たいへん貴重な資料になったそうです。おかげで、協会が軍の情報機関に渡した写真は3万5000枚を超えました。

 これほど膨大な資料をグロブナーが放っておくわけがありません。 たとえば、1938年3月にドイツがオーストリアを併合すれば、4月に「ヨーロッパと地中海」の地図を。  1939年10月ナチスがポーランドに侵入し、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告すれば、翌11月にまた最新版の「1939年9月1日現在の中央ヨーロッパと地中海」を。

 1940年5月にドイツ軍がフランス軍を崩壊させてパリを占領する直前には、またまた最新のヨーロッパの地図をつくる。  ヨーロッパの地図だけみても、戦況を見すえつつ、毎年のように会員に届けます。

 戦局がほかにも広がると、大西洋、太平洋、アジアの地図も増え、戦争が終わるまで、「これでもか!」という数の地図がつくられます。その地図のまた詳しいこと。それがタイミングばっちりでしょっちゅう送られてくるわけですから、会員には大好評でした。1943年に出版した10色刷の世界地図など1年もたたないうちに9回も増刷します。

 協会の地図が優秀だったことは、軍が実際に戦闘に利用したことからもわかります。  1944年4月には、軍のアドバイスにしたがって「日本と近隣アジアと太平洋」の地図を製作。中心は東京です。この地図を空軍は高く評価して、協会から原図を借り出して拡大版を作り、空襲に利用します。

 同年6月6日のノルマンディー上陸作戦の翌月には、「ドイツとそのアプローチ」という地図をつくりました。陸軍の工兵軍は、ヨーロッパの陸軍や空軍のためにすぐこの拡大版をつくり、連合軍がドイツに向かうルートの分岐点にこの地図を掲げました。当時の米軍工兵団長はグロブナーにこんな手紙を書いています。

「実際のところ、我々はナショナル ジオグラフィック協会の地図に頼りきっています。協会が軍の地図製作部に不可欠であることを思い知らされました」  ルーズベルト大統領がチャーチル首相に贈ったのは、そんなナショナル ジオグラフィック協会の地図一式でした。

 日本軍から真珠湾攻撃を受けたちょうど2週間後のこと。ギルバート・グロブナーのもとに大統領補佐官が訪れます。  彼は日本軍の攻撃を受けているシンガポールの町の地図を探しにきたのでした。大統領は、その小さな町の名前をニュースのタイトルで見たものの、ホワイトハウスにはそこまで詳しい地図などなかったのです。

 しかし、協会には当然その地図がありました。グロブナーは補佐官に地図を渡したあと、世界中の地図を収納する回転式の戸棚ごと大統領に贈ることを思いつきます。それは協会の地図がいつでもすぐに引きだせる、とても便利な特製の収納棚でした。

 ホワイトハウスにその戸棚が到着すると、ルーズベルト大統領はすぐさま自分の執務室に設置します。そして、チャーチルが執務室を訪れた際、その棚に興味を示したため、“WSCへ、FDRから。1943年のクリスマスに”という文字を彫り、1943年のクリスマスに大統領専用機でプレゼントしたのでした。

次回は “ « ナショジオが見た戦前の日本 » “ に続く・・・・・

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