◆ 桶狭間の戦い(1560年)。織田信長が今川義元を討ち取る。・賤ヶ岳の戦い(1583年)。前田利家が羽柴秀吉に降伏。・文禄の役(1592年)。小西行長・加藤清正が入城。等々 ◆ オランダ在住のユダヤ人の少女が屋根裏部屋で日記をつけ始める(1942年)。 三日坊主になるどころか、結果として世界史的な記録となるとは当の本人も自分の運命も含めて予想できなかった。 ◆ Wで選挙を掛け持ちしていた鈍牛総理、自らの党を勝たせるために敢えて生贄となる (1980年=衆参同日選挙中に首相が急死)。
◎ ◎ ベルサイユ宮殿の栄華を支えた巨大揚水装置「マルリーの機械」 =後節= ◎ ◎
- - -セーヌ川の水を高さ160メートルまで汲み上げ、水道橋で送水 - -
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・・・・2020年 08月25日 / 文=ULRIKE LEMMIN-WOOLFREY/訳=桜木敬子・・・・
夢の機械
3年の準備期間を経て、1681年にマルリーの機械の建造は始まった。それからの4年間に1800人のエンジニア、労働者、そして大工がこのプロジェクトに携わり、現在の貨幣価値にして約30億円もの資金が投入された。マルリーの機械を25年間研究してきたマルリー=ル=ロワの元住民、デイビッド・ペンデリー氏によれば、ベルサイユ宮殿の建設費の実に3分の1が庭園と噴水に費やされたという。
セーヌ川は2つの流れに分けられた。1つは船の航行用、もう1つはマルリーの機械に水を供給するためだ。直径約10メートルの水車14台が251個のポンプを動かして汲み上げた水は、導水管を通り、途中でさらに2つのポンプ場を経て、丘の上にあるルバン塔まで運ばれる。ルーブシエンヌ水道橋の上流側の端にあたる塔である。
古代ローマ式にならって造られたルーブシエンヌ水道橋は、石とレンガでできた、36のアーチを持つ巨大な構造物だ。高さは約20メートルで、セーヌ川の水面よりも160メートルほど高い。全長は約640メートルで、ここからはポンプに代わって重力が水を運んだ。
「ルイ14世の意志が、かつて構想されたことのないアイデア、あるいは水道橋のように古代ローマ以来忘れられていたアイデアを現実のものとしたのです」。元エンジニアで歴史家のジャン・シオー氏はそう話す。 この壮大な仕掛けの建造には、850トンの鋼鉄と鉛、1万7000トンの鉄、8万5000トンの材木、長さ10キロメートル以上の鎖が使われ、さらに歯車の潤滑油として約5500キログラムの獣脂が必要だった。
ひどい騒音、かさむコスト
しかし、マルリーの機械は決して完璧だったわけではない。あまりにも多くの部品からなり、可動部分も多かったため非常に騒々しく、近隣に住む王族から不興を買った。ルイ14世の息子、後のルイ15世の最後の愛人だったデュ・バリー夫人は、この騒音を「地獄のよう」だと評している。何百人もの労働者が昼夜を問わずメンテナンスし続けたこの機械には、現在の貨幣価値にして年間580万円ほどのコストがかかったと推定されている。
また、フル稼働させると24時間で380万リットル以上の水をセーヌ川から運べるはずだったものの、実際には300万リットルを少し超える程度だった。構造そのものに問題があったため、頻繁に故障していたからだ。
欠点は多かったものの、マルリーの機械はベルサイユ宮殿の庭園にある2400基の噴水に、133年間も水を供給し続けた。ド・ビルとスアレムが造った原型は、1817年に蒸気式に置き換えられ、1859年には再び別の水力式に変わった。20世紀後半に作られた、元の機械の「ひ孫」にあたる現在の電動ポンプは、近くにあるクロアジー帯水層から水を汲み上げ、噴水用の水ではなく地域の飲料水を供給している。
マルリーの機械の面影
マルリーの機械は、ほとんど現存していない。セーヌ川のイル・オー・ベルナーシュ(ガチョウの島)という小島にポンプ小屋が1つ残るだけだ。島のちょうど反対側にあるレネカン・スアレム岸壁には、蒸気式時代の装置があった建物が残っている。水道橋は、その向こうにある2つの貯水槽とともに今も立ち続ける。
水道橋は現在、かつてマルリー宮殿があった公園への入り口になっている。今は宮殿に代わって小さなマルリー王領博物館があり、マルリーの機械の貴重な図面や部品、エッチング画、模型を保存している。 レネカン・スアレム岸壁に沿って6キロ強にわたる「印象派の遊歩道」が整備されており、マルリーの機械は今、そこに並ぶ印象派絵画の複製画の中に息づいている。これらは、クロード・モネやカミーユ・ピサロらが作品を描いたまさにその場所に設置されており、当時の時代と発明を垣間見せることで、350年近く経った今なお驚嘆の念を抱かせてくれる。
・・・・・・・・おわり・・・・・
…………補足説明…………
噴水庭園/ヴェルサイユ宮殿
宮殿の建設よりも労力を費やされている噴水庭園には、宮殿建設の25,000人に対し、36,000人が投入されている。そして、その噴水にはルイ14世の三つの意図が込められている。
「水なき地に水を引く」
ヴェルサイユには近くに水を引く高地が無い。ルイ14世は10km離れたセーヌ川の川岸にマルリーの機械と呼ばれる巨大な揚水装置を設置し、堤の上に水を上げさせた。そして古代ローマに倣って水道橋を作って、水をヴェルサイユまで運び、巨大な貯水槽に溜め込んだ。こうして水無き地で常に水を噴き上げる噴水庭園を完成させ、自然をも変える力を周囲に示した。
「貴族を従わせる」
ルイ14世は10歳の時にフロンドの乱で、貴族たちに命を脅かされたことがある。ルイ14世はこの体験を一生忘れず、彼は貴族をヴェルサイユに強制移住させた。
「民衆の心をつかむ」
ルイ14世は民衆の誰もがヴェルサイユに入るのを許し、民衆に庭園の見方を教える「王の庭園鑑賞法」というガイドブックを発行した。それには「ラトナの噴水の手前で一休みして、ラトナ、周りにある彫刻をみよ。王の散歩道、アポロンの噴水、その向こうの運河を見渡そう」と書かれている。民衆は、ガイドブックに従って庭園を鑑賞することで、貴族と自然を圧倒した王の偉大さを刷り込まれていった。夏、ヴェルサイユでは毎晩のように祭典が催され、訪れた民衆はバレエや舞劇に酔いしれた。
噴水庭園は、遠近法を用いて修景され、宮殿からラトナの泉、タピスヴェール(Tapis Vert、緑の絨毯)に沿って、アポロの戦車の盆地へと続いている。水面から昇る戦車は、太陽の昇りを象徴した。シャルル・ルブランが設計し、1668年から1670年の間に彫刻家ジャン=バティスト・テュビが王立ゴブラン製作所で製作したもので、鉛で鋳造された後に金メッキが施されている。噴水の向こうには、大運河(Grand Canal, グランド・カナール)が公園の南端まで1800メートル伸びている。
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